第7話「美人の先生」
空に白い惑星「真珠の星」が昇る頃、新入生たちは広い半月状の教室にいた。
学校の壁に高々と掲げられている、大きな二つの時計が重なったような文字盤。銀に輝く幅のある針が「武具製作」、銀のか細く長い針が「大講堂【森】」を指していた。そしてその針は、どちらも一年生を記す文字が刻まれていた。
武具製作、それは通称「ネイルアート」と呼ばれる授業。
入学から卒業までの間、生徒たちが学年ごとに割り当てられるひとつの塔が決まるように、入学した学年によって、よく割り当てられる教室もあれば一度も使わずに終わる教室もあった。
大講堂【森】は、アヤタカたちがこれから最も使う頻度の高い教室だった。
そこは、焦茶色を基調にしたアンティークな教室。天井にはまるで樹冠――下から眺めた木の葉を描いたようなステンドグラスが、天井の代わりとしてはめられていた。
ペリドットの樹冠に、色とりどりの花や実、鳥たちが描かれていて、美しく太陽の光を透かしている。
天井から色とりどりの光が降ってくる教壇。そこには赤いくせっ毛を下の方でふたつに縛った、女の先生が立っていた。
武具製作という物々しい名前の授業には、似つかわしくないような若い女性。
そして何より、とても可愛いらしかった。
新米教師のような初々しさに、今まで壮年期と晩年期の男二体からしか教わってこなかった生徒たちの心は踊る。
りぃん、りぃん……。
先生は自分の手元で、高く澄んだ音を鳴らした。
手に握っているのは、麗しい銀製のベル。
先生は金の刺繍がちらはらと輝く黒いマントを正し、花がほころぶような笑顔を見せた。
「こんにちは。武具製作の授業へようこそ。私はこの授業の担当教室、ミザリーです。」
見た目に相応しい可愛らしい声。教室に、さわさわと嬉しそうな空気が漂う。
ミザリー先生の琥珀色の目が、天板からガラスの森を透かして降り注ぐ、太陽の光を浴びてきらきらと輝く。
「この授業では、皆さんそれぞれに相性の良い魔法の材料を知ってもらい、それを使って期末までに魔法補助道具の『爪』を作って貰います。皆さん、もう爪弾き学の授業は受けました……よね? この学園では、杖の代わりに付け爪を身につけて魔法を強化させます。」
黒いマントの下から覗く、マーメイドラインという型をしたワインレッドのドレス。先生が歩くたびに、その上質そうなドレスの布地がキラキラ光る。
ミザリー先生が説明を続ける。
「まず今日は、私がいくつかの材料を用意しました。そしてその中から、皆さんに最も相性の良いものを知ってもらいたいと思います。」
そう言ったミザリー先生は、おもむろにドレスの襟元に刺していた付け爪を取り外した。
付け爪は、ミザリー先生の人差し指をすっぽりと覆う。流麗な金の細工の付け爪に、花をかたどったルビーがきらめく。
桃色の唇から、歌うような呪文がこぼれた。
「窓辺から……手を差し伸べる……藤の花……。」
爪の周りに、光の粒のようなものが見え始めた。その途端、ミザリー先生が可愛らしい声を鋭くさせる。
「窓よ、
ピィンと高らかに金の付け爪を爪弾く。その瞬間、彼女の指から、らせんを描く白い光が飛び出してきた。
その光は生徒一体一体の元へ飛んでいく。そして生徒たちの目の前に来たかと思えば、パゥンッと音を立て、見えないガラスに当たったかのように光は薄く広がった。
しかし生徒のほとんどは身を屈め、その光を見ていない。
前日の星っこゲーム以来、彼ら彼女らは今も光るものに寄り付かない。今朝もカラス除けの光を見るや否や、何体もの生徒が逃げ出した。
しかしこの光に害が無いということが分かると、生徒たちは恐る恐る屈めた身を起こしていった。
見ると、その光は丸い窓のような形を模している。
そしてその光の奥には、虹色の光彩がたゆたっていて……。
ミザリー先生が皆に呼びかける。
「その小窓に手を入れてみてください。そうすれば、皆さんは今回私が用意したの材料の中で、自分と一番相性の良いものが掴めるはずです。」
アヤタカはわずかに首を動かし、皆が手を入れ始めたことを横目で確認してから、えいやっと小窓に手を入れた。
窓の中は朝の空気に触れたかのように爽やかだ。
そこは少しひんやりとしていて、とても心地が良かった。
その空気にふれるのを楽しむかのようにアヤタカが窓の中で手をひらひら動かしていると、ふいに手に何か硬く細長いものが触れる。
はっと、窓に手を突っ込んだ本来の目的を思い出した。
――あっこれ、さっき先生が言ってた相性の良い材料?
アヤタカはまるで逃げるさかなでも捕まえるかのように、焦った手でそれを ぎゅうっと握りしめた。
何が出るかな、何が出るかなとわくわくしながら窓から手を出すと、手の中に入っていたのは血のように赤くつやめく、欠片のような何か……。
「あら……君、それは鷹の爪だね。」
いつの間にか近くにいたらしい、ミザリー先生が赤い髪を耳にかき上げながら話しかけてきた。
鷹の爪……アヤタカの本名、
由来は、空を彩る鷹を表している。ならば鷹の爪は、その彩鷹の名前に相応しいのではないだろうか。
そう思ったアヤタカは、思わぬ運命のような偶然に胸を弾ませた。
「鷹の……爪……。」
「うん。唐辛子だよ。」
アヤタカは唐辛子を手に入れた。
唐辛子に運命を感じたアヤタカと、それだけ言って去っていくミザリー先生。
先生は説明を続ける。
「この窓は、その材料とあなたを引き合わせるための魔法です。どこかの箱や部屋に入口を作って、窓に繋げる魔法。元は貿易のために開発された魔法でしたが、あまり長い距離を繋げないことと、大きな窓を作るにはたくさんの魔力が必要だったため、損が大きいということで使われなくなりました。私が今使った魔法はそれを少し応用したもので、差し伸べた手とその先にある材料の中で、最も波長が合うものの場所の前で開くようにしています。ランダムではないくじ引きのようなものですね。ただ、ランダムになるように魔法を調律するよりも、波長の合うものとめぐり合うように調律する方がよっぽど簡単ですよ。
なので皆さんが手にしているのは、簡単に言えば相性、または波長の合うもの……。
もしくはその逆で、あなたに足りないものを補うために来た、という見方もあります。
出てきた材料に心当たりのある方は、おそらくピンと来たのではないでしょうか。」
ピンと来ないアヤタカは、消えかけの声で呟いた。
「何で唐辛子……?」
「冷え性なんじゃないかな?」
間髪入れずに答えた先生、教室がどっと沸く。
「あっははははは! よかったわね〜アヤタカ! でもどうせなら急須が出てくればよかったのにねぇ? あはははは!!」
先ほど泥沼の戦いをし、ひとつ席を空けて隣に座っているラムーンが笑っている。
お前ら隣同士かよという周りの心の声を差し置いて、二体は先ほどから机の下でお互いの足を蹴り合っていた。
唐辛子のアヤタカは、ラムーンのところに出てきたらしい琥珀を見て、今回ばかりは負けたと肩を落とした。
落胆したアヤタカは、何気無しにちらりと窓の方の席を見た。すると目がいったのは、頬杖をついて窓の外を見るフレイヤだった。
彼の整った顔は相変わらず氷のように無表情だった。しかしアヤタカが見たかったのはそれではない。視線をほんの少し下に向けると、彼の細い指は銀製のスプーンを掴んでいた。アヤタカの頭の中で、スプーン曲げを試みるフレイヤの姿が浮かんで消える。
もっと周りを見回すと、ただの石ころのようなものを握ってがっかりしている者、ドラゴンの羽が出てきたらしく、そこはかとない優越感をちらつかせている者、美味しそうなチョコレート、ぴちぴちしている鮮魚。
ミザリー先生が再び説明を始める。
「例えばサファイアが出てきた人は、サファイアの付いている武具が合っています。他にも羽や銀製のものが出てきた人はそのままと解釈して良いでしょう。」
唐辛子の武器とは一体どんなものがあるのだろう。アヤタカは隣の琥珀を羨ましそうに見る。
「しかし、今回皆さんには基本的なものの中から選んでもらったので、他にもたくさん合うものがあるはずですよ。なので珍しい物も是非是非試してみてくださいね。」
アヤタカはそれを聞いて少しホッとした。
しかしそれと同時に、鮮魚や唐辛子を基本に含むミザリー先生の感覚に少しの不安を覚えた。
「さて、百聞は一見にしかず! 実際に合うものと合わないものを付けてみることで、何故自分にあった装備を選ぶ必要があるのか身をもってわかります! ほら、君! そこの君立って!」
唐突に目が輝いたミザリー先生。かなり前の席に男子の群れで座っていた男子生徒を指名する。 鼻の下を伸ばしてミザリー先生を見ていた彼が、はっと真面目そうな顔をする。
焦茶色の短髪、長身な三枚目顔の学生だ。周りの学生にはやし立てられ、面倒そうに嬉しそうにその席から立った。
「……ちっ、何だよ、前々からの知り合いで固まって……。もっとそういうのじゃなくてさあ、こう、新しい出会いを広げるというか……。」 「うるさい」 アヤタカのひがみと切なる願いを、ラムーンがぴしゃりと叩いて落とした。
男子生徒がミザリー先生にうながされ、教壇へ向かう。
黒板、教壇の周りはそれこそ森だった。大きな丸太に浮き彫りにされた焦げ茶色でできた森だ。
途中にある大きな柱も、森の中にある木を模していて、バラやつたが浮き彫りにされている。その柱に散りばめられた真珠は、まるで明け方につく朝露のようだった。
ステンドグラスの木漏れ日溢れる、作り物の森。その最奥部では魔女が手招く。
「では……えっと、君は柳の木を掴んだの? じゃあ……相性の悪いものから試そうか。まずは少し相性の悪い、ファイヤーオパールのブレスレットからつけてもらいましょう。」
手渡されたブレスレットには、二重にされた華奢な鎖に、丸くカットされたファイヤーオパールが通されている。燃えるような色の石が、男子生徒の腕や手に赤やオレンジの光を撒き散らす。
男子生徒はミザリー先生が自分の手に着けてくれることを期待して、わざと不器用そうな手つきでブレスレットを扱った。見かねた先生は、『おともだちに着けてもらってね』と軽く突き放した。
渋い表情でブレスレットを手にはめた男子生徒が、あれっと表情を変える。
「あれっ……。なんか、手がピリピリ? します……。」
途端にミザリー先生が目を輝かせた。
「そう! 相性が合わないなどの理由で道具に拒絶されると、武具は使えないばかりか攻撃してくるんですよ! 」
へぇーと学生達が声を漏らす。先生はにこにこして続きを話す。
「では次は、合う方の柳の木で出来たイヤリングをつけてもらいましょう。」
男子生徒は、ここだと言わんばかりにばかりにせんせー! 僕うまくイヤリングが着けれません! と声をあげた。ミザリー先生は『あら、じゃあ手に持ってるだけでもいいからね』と言って突き放した。
渋い表情でイヤリングを握りしめた男子学生が、おやっと表情を変える。
「なっ……。なんか手が熱くなってきました!」
「でしょう? そのイヤリングは上級なものだから、強い魔力がこもっているの。」
魔力が彼の体を伝い、髪の毛が鈍い光を放つ。そして髪は、次第に水の中に入ったかのように浮き上がりだす。
魔法の装備なんてかっこいいね、わくわくしてきた。さわさわと生徒たちが楽しそうに囁いている。
先生はにこにこしながら見守っていた。
ぼんっ。
唐突な、男子生徒の爆発。
教壇でイヤリングを握っていた生徒が爆発した。
茶色く短い、タワシのようだった頭は乾燥したひじきのようになっている。
先生は相変わらずにこにこしながら、しかしよく見ると最初よりも若干の距離をとって男子生徒を見つめていた。
「はい、このように自分の力量とあまりにもかけ離れた、分不相応な武具を着けてしまうと、自分の体の中で魔力が暴発してしまうことがあります。君、ありがとうね。もう席についていいよ。」
道具に拒絶され大勢の前で分不相応と通告され、タワシがひじきになった可哀想な男子生徒は何も言わずに自分の席へと帰っていった。
ミザリー先生の授業は、爆発がともなうのが義務であるかのごとく爆発がともなう。学校のどこにいても、ミザリー先生が今どこで授業をやっているのか見当がつく。
彼女は珍しい武具や魔力の高い材料をたくさん収集しており、その中には明らかに学生が手にするようなレベルではない魔力が蓄積されているものもある。それをよく分からずに生徒が材料として使ってしまうこと、触れただけで爆発するほど強い魔力が込められた武具であるにも関わらずミザリー先生が普通に置いて何かのはずみで生徒が触れてしまうこと、そもそも先生が爆発するような材料や武具を渡してくることが多々あった。
そのため「彼女の授業をくぐり抜けた者は、一切魔力の暴発が無くなるらしい」という少し一人歩きした噂が他校の教師の間で囁かれていた。
やがて爆発の音もやみ、真珠の星も沈みかけて今回の授業は平和に幕を閉じそうだった。
この授業ではアヤタカもラムーンも、大人しくお互いの足を蹴り合っただけで、騒ぎも何も起こさなかった。
生徒たちが、昼の空に浮かぶ真珠の星に目をやる。あの星が昇って沈むまでが武具製作の授業だ。そのため皆、真珠の星が落ちるのを今か今かと待っている。基本的に授業は星を目印にしていて、公転が早い星たちを基準にしているため、授業の時間としてもそれは1時間程度だ。
ひとつ前の授業の目印であった紫の星はもうとっくに地平へと沈み、紫の小さな光は空に絶えている。
真珠の星が地平線に吸い込まれていくのを見届けて、ミザリー先生は銀のベルをりぃん、りぃん。と鳴らした。
澄んだ音色が、歌うように授業の終わりを告げる。
ベルの持ち手に結ばれた、ロイヤルブルーの布地に銀の糸が刺繍されたリボン。そこから先生の手が離されて、役目を終えたベルが再び教壇に鎮座する。
アヤタカたちは、本日最後の授業を終えた。教科書や羽ペンをまとめ、生徒たちは席を立って各々外に出ていった。
「そこの君。」
唐突にかけられた、花の蜜のような甘い声。
用意したバックが思ったより小さくて、どう教科書類を運ぶかに困りもたもたしていたアヤタカが、その声に振り返る。
呼んでいたのはミザリー先生。いつの間にかアヤタカの側に立っていて、目があうや否や桃色のくちびるでにこりと笑った。
アヤタカは、隣人と授業の間じゅう足を蹴り合うなど怒られる心当たりが十分にあった。
一瞬心臓が凍りかけたアヤタカ。しかしとっさに心臓を温める呪文を唱え、必死に持ち直そうとする。
――大丈夫ばれてない、先生怒ってない気付いてない、大丈夫怒ってない、怒られない怒られない……。
効果は今ひとつのようだ。
その自己暗示を知ってか知らずか、ミザリー先生は言葉を続ける。
「ちょっと君は残って貰ってもいいかな? 時間があれば、これから私の部屋に来てほしいの。」
授業は、まだ始まったばかりかもしれない。
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