第6話「爪弾き学」

 紫の星が昇る頃、アヤタカ達は入学2日目として、いよいよ本格的な授業に入っていった。

 生徒たちは外の芝生の上で並び、少し寒そうに白い息を吐いている。まだ生えたてで淡い色の芝生は、黄金の朝焼けに包まれ燦然さんぜんと輝いていた。

 アヤタカたちは、制服である真紅のローブをまるでミノムシのように体に巻きつけ、自分の吐く白い息をただただ見つめている。

 そしてにじみ出るようにそこから聞こえてくる、ぼそぼそとした不満や願望。

 「寒い……」「暖炉行きたい……」「この芝生ごと燃やせばあったかくなる、授業も中止になる……」「実家に帰りたいよ〜……」「先生遅い……」

 耳も鼻も真っ赤で、体は小刻みに震えている。

 なお、この芝生は魔力を吸収するものを選んで植えたため、燃やすことは難しい。そのため暖をとることと授業の中止を望むのならば、隣にいる同級生を燃やした方が早い。

 もしくは、先日あったかつらの放火魔にちょっかいをかければ、一瞬で自分が暖かくなれる。

 しかしそのような提案を誰もしないまま、時間はゆっくりと過ぎていった。

 やがて、朝の凛とした清々しい空気の中、先生がやってきた。

 生徒たちの視線が一斉に怨念ごと向く。

 朝もやを荘厳と身にまといながらやって来た先生は、細身で背の高い、洗練された渋さを醸し出す中年男性だった。

 「皆、おはよう。私はこの『つまき学』の担当教師、シラースだ。」

 シラース先生がばさっとマントを翻し、そのはずみで漂う、男性用香水の芳香。

 これは有名な男性用香水、「クリスタルガイザー」。

 泉のように湧き出るフェロモン、水晶のように研磨された魅力をあなたに。という売り文句で世に出されている。

 この香水が有名になった理由は、とある水の産地から商品名が被った、ということで訴えられたことからだった。なお、その争いは未だに続いている。

 「では、まずは諸君につまきの説明をしよう。」


 科目名の通称は「でこピン」。

 爪弾き学とは、一般的には杖と思われがちな魔法の補助道具を付け爪で行う魔法学であった。


 付け爪とはお洒落に使うような爪に貼り付ける物ではなく、 かつて清で付けられていた「指甲套しこうとう」という付け爪に酷似しているものだった。

 それは指にすっぽり被せて使い、まるで鷹の爪のような形をしている。


 当然杖は杖で存在するが、この学園では爪弾き学をメインとしている。


 爪弾きは杖よりもいささか威力は劣るものの、杖より目立たず知名度も低いため、暗器として暗躍していた時代があった。そして何よりもの長所は、杖より本人達に合わせて様々な微調整ができる所だとシラース先生は言った。

 付け爪の数が増えれば、――受けられる魔法式の補助も増えるため――膨大な種類の魔法が楽に使えるようになる。他にも組み合わせ次第で威力を増したり、新しい魔法が発案しやすくなる。

 アヤタカ達は初めて聞く、爪弾きという方法に心を躍らせた。


 最初は、魔法といえばの杖をこの学園ではほぼ使わないと聞いて、皆は露骨にやる気を失くしていた。

 しかしその説明を聞いて、アヤタカ含めた大多数の生徒が分かりやすく目を輝かせた。


 まだまだ青い学生達は、少しの甘い情報で簡単に釣ることができる。


 それをよく分かっているここの先生方は、あのかつらの先生のようにまずは派手なお手本を見せることが暗黙の通過儀礼となっていた。

 「堅苦しい説明は以上だ。まずは爪弾きならではの技術を使った手本を見せる。」


 爪弾き学の教師、シラース先生が荘厳な付け爪を指にはめた。


 イメージしていたものとは異なる、悪魔の爪のようにすぅっと伸びる、鈍く銀色に光る付け爪……。


 そこに彫られる流麗な紋様、そして真ん中にはめられた赤い宝石が朝日に当たって輝く様は、銀の空に浮かぶ真っ赤な星のようだった。


 その荘厳さに圧倒され、生徒たちは息を飲む。
 そしてシラース先生はその静けさの中、ピィン、と高らかな音を立ててその爪を弾いた。


 爪弾いた衝撃が魔力に変換。

 シラース先生の与える命令が、その魔力に姿を与える。

 一瞬で現れたのは、翼竜をかたどったかのような烈火。

 二、三度震えるようにその場で羽ばたいたかと思えば、火の粉と光の粒を撒き散らしながら天高く飛翔していった。

 朝日で金に染め上げられた空を、夕日と朝日が混じり合ったような炎が貫く。


 そして学生達が見上げている間に、シラース先生は懐からもうひとつの付け爪を取り出した。

 琥珀色に透き通っている、洗練された造りの爪。
 それを、人差し指にはめた銀製の爪の隣、中指にシラース先生ははめた。


 そして今度は中指の爪で爪弾いた。


 すると、空からぱうっ! と不思議な音がして、その途端、炎の翼竜は花火のように四散した。

 翼竜をかたどっていた、赤や金に光るまるで宝石のような火の粉が空で輝いている。

 「これはひとつ目の爪が炎を強化する爪、ふたつ目は物理的な力を強化する爪だ。そしてこのように、魔法を組み合わせることを統合魔術いう。 わかったかし……わかったか。」


 学生達はその魔法に見惚れながら、こくこくと浅く頷いた。


 「言っておくが、複数の爪を扱うことは全員ができるという訳ではない。爪を付けずとも統合魔術はできるが、複数つけるよりも威力は劣る。逆に複数付けることで威力は格段に増すが、その分扱いが段違いに難しくなる。私が知っている限りでは、4つまでだ。」
 先程彼は、付け爪の数が増えれば膨大な種類の魔法が楽に使えるようになると言った。しかし今の説明では複数の爪を操るのは段違いに難しいと言った。彼は心の中で、複数の爪が『使えるようになれば』、様々な魔法も楽に使えると言ったのであって、爪弾きならば難しい魔法も簡単に使えると言ったわけではない、と心の中で呟いた。
学生達がいずれ気付くであろう言葉のまやかしも、今の彼らには破れない。

 「ここに新入生に用意されたラピス・ラズィクの付け爪がある! これを一人ひとつ持っていって、自分の一番得意な魔法を試しにやってみろ!」

 低く凛とした声が、声高だかにそう指示を出した。
 学生達は木でできた簡素な造りの付け爪をはめ、思い思いに爪弾いてみる。朝日は大分輝きはじめ、辺りは眩しい金に染まっていく。


 ここで最も輝いたのはフレイヤだった。


 彼は前日も何度か見せたように、炎を入学前ながらも自在に操れた。今回の授業は楽そうだとフレイヤは指に付け爪をはめる。
そして試しに、無造作に爪を弾いてみた。


 グォオッ!!!
 目の前に現れたのは、ピンク色の人一人分は吞みこめそうな大きな火球。


 フレイヤは紫色の目を丸くして、思わず一歩後ずさった。

 その火球は煌々と燃えながら空中で停滞する。


 「あらやだ!!!」


 どこからか、裏声が聞こえた。


 フレイヤが振り向くと、咳払いをダンディにしているシラース先生が後ろにいた。


 頭の中で吟味するかのように何度もあの声を反復させるフレイヤ。それを尻目にいつもの落ち着いた低い声で賛美するシラース先生。


 「素晴らしいな…。 爪弾きは初めてか?」


 長身で男らしく、とてもダンディでスタイリッシュなシラース先生。 その雰囲気やそこに生える無精ひげを羨ましそうに見ていたフレイヤは、思わずその視線から目をそらす。


 「……はい。」

 素直な返事は、褒められてまんざらでも無さそうだった。

 「もう一度やってみろ。今度は思いっきりだ。皆離れて!」


 フレイヤは注目し出した周りの空気をうとましく思いながらも、今度は試しにではなく真剣に指を構える。すうっと息を吸って、強く、速く爪弾く。

 指に伝わる弾いた衝撃。そして感じたのは、指の中で豪風が吹きすさぶような、激しい魔力の流れ。

 ゴォォッ、と周りの風がフレイヤ目掛けて巻き取られた。フレイヤの髪が滑らかに舞う。

 やがて風の集まる場所に、白く輝く発光体が姿を現した。


 次の瞬間、ボウッと重い音をたてて発光体はピンク色の火球へと変わった。


 姿を形作った後も、変わらず風を巻き込みながら燃え続ける、先程の2倍はありそうな火球が辺りをピンク色に照らす。


 おぉお……と辺りから歓声が沸き起こった。


 フレイヤもその火球を見て、静かに息を飲む。

 そのフレイヤの後ろで、シラース先生がぱちぱちと拍手をした。

 「素晴らしい。初日でここまでできる生徒はなかなか拝めない。ただ、大きいがその分威力も拡散しているな。今度は威力はそのまま、火球を凝縮するつもりでやってみろ。」

 「はい……」


 シラース先生の個人指導が始まり、学生達もまた各々の練習を始める。


 一方その頃アヤタカは。爪弾き自体に苦戦をしていた。長い付け爪にイライラしながら爪をピュンピュン飛ばしている。

 爪弾つまびきはあてがった指を付け爪の脇に滑らせるようにして弾く。しかしアヤタカはでこピンをそのまま再現して弾いてしまうため、魔法の代わりに飛距離が出る。


 どちゃっ!!


 唐突な粘り気のある打撃音。

 アヤタカの背中に何かが飛んできた。

――来たかあの女。

 返り討ちにしてやる。心の中で呟き、アヤタカは戦闘態勢に入る。


 「わっるい!! 当たっちまった!」


 しかし飛んできたのはラムーンの声ではなく、ハキハキした男子の声だった。


 声の方に目をやると、そこにいたのはアヤタカの腰ほどの背丈しかないずんぐりとした少年。

 その見た目は大地より生まれた種族特有のもの、大地の精霊体だった。少年が朗らかな声で話を続ける。
 「泥だんご飛ばしちまったみたいでさ、きったね!」


 アヤタカはその少年に昨日のアポロンと似たもの、つまり明るく魅力的な雰囲気を感じた。

 少年は、泥をいじって汚くなった手を精一杯のばして、アヤタカの脇腹のあたりをぼんっと叩いた。

 「ごめんごめん。おれ、ショウって言うんだ。」

 「おれはアヤ……サイオウ!」

 「そっか、アヤタカか!」

 もうこのあだ名からは逃れられないのか。アヤタカは空を仰いだ。


 「……ふーん、上手く爪弾きができねーのか。」
 

 「そう……。……ショウは? できる?」


 アヤタカは何だか初めてまともな同級生と話したような気分になって、好機と言わんばかりにぐいっと押した。もう話の通じる相手を逃したくない。


 「できね。」


 会話が途切れた。

 あまりの返事の淡白さに、これは遠回しな拒絶だろうか? とアヤタカは一体でぐるぐるし始める。その姿はさながら急須の中でお湯を注がれ、 飛翔と降下を繰り返し続けるお茶っ葉。

 たくさんの声が頭の中で渦巻きだした。

 そもそも何でこいつは授業中に泥だんごを作って遊んでいたのだろう。泥だんごに青春でも詰まってるのか? 

 疑問は口に出さず、背中の泥を払い落とすことに専念する。動機がとても気になったものの、授業中に関係ない話をして怒られるのが怖い。あの先生、なんか怖そうと心の中で付け足す。

 そんなアヤタカの思考を、だみ声混じりの元気なショウの声が遮る。

 「オレは爪弾くどころか指が入りゃせん、ほれ。」
 差し出されたショウの指。見ると確かに指は太く、泥のついた爪も分厚い。

 ショウはその手でだんご鼻の下をこすった。


 「だからほれ、なんもできんから泥だんご作って遊んでたら……な。」


 ショウはちらりとアヤタカの背中を見やる。


 二体で目を合わせ、少しの沈黙。そして同時に笑い出した。


 ショウは浅黒い色の手で、アヤタカをばしばしと豪快に叩いて笑っている。

 その手で叩かれるたび、アヤタカの背中の汚れが増えていく。

 まともな友達と話せることが、アヤタカは本当に貴重なことに思えた。楽しさのあまり頭が麻痺して、もう何で笑っているのかさえ分からなくなってくる。

 「ほら! オレ土の子だからさ、さっきまでみんなに泥だんごの作り方教えてやってたんだ! お前にも見せてやるよ!」

 「え? ツチノコ? ははははは!」


 べしゃっ。


 アヤタカの左頬めがけて、泥だんごが飛んできた。


 泥だんごは空を飛ぶものではないため、通常誰かが投げ飛ばさなければ横から飛んでくることは無い。
 アヤタカの泥混じりの視線の先には、付け爪をした女の子。金髪、くるくる、ネームプレート『ラムーン』。

 アヤタカの先ほどの言い方からすれば、まともじゃない方の同級生。


 アヤタカは自分の背中にできた泥の跡の本当の意味を理解した。

 泥で顔の左半分を封印されながらも、アヤタカは口に泥が入らないよう配慮しながら懸命に叫んだ。

 「お前か! おれの背中に泥だんごぶっ飛ばしたの! ……ん?」

 その時、アヤタカは彼女の手についているのは泥ではなく付け爪であることに気が付いた。


 「あら? ごめんなさい。思ったより上手に爪弾けて……。あなたのことだから、お得意の物体浮遊術で防げると思ってたわ。ほら、お返しに泥だんごを投げてきていいわよ。手でね。」


 ぴぃんっ!!


 アヤタカは爪弾きを開始した。手で投げてたまるもんか、意地でも爪弾きで返してやる。


 前からは高笑いが聞こえる。


 どちゃっ!


 「えっ……。」


 ラムーンの足元に泥だんごが飛んできた。

 ぽかんとしていたのも束の間。はっと我に返って思わず後ずさった。

 アヤタカがまた爪弾くと、彼の足元にある泥だんごが、まるで飛び跳ねるカエルのようにびょんっと飛んだ。

 爪弾くたびアヤタカの爪弾きは、ぐんぐんと精度を増していく。

 「うそっ……もうコツ掴んできてるの……!? 私、これに慣れるのに二、三ヶ月かかったのに……くそっ!」

 もうアヤタカは爪弾いた際に、付け爪を勢いあまって落とすこともない。

 ラムーンが宙をひっかくかのように素早く腕を振り下ろし、自分の付け爪を爪弾いた。

 飛ばした泥だんごが狙ったのは、アヤタカの付け爪。

 しかし実際に当たったのはアヤタカが爪弾きで飛ばしてきた泥だんご――ラムーンの泥だんごを、自分の泥だんごで迎撃することにアヤタカは成功した。

 ばしゃんざしゅんと泥だんごがぶつかり合い、激しく泥が飛び散る。

 「汚ねーぞ!」、「またあいつらか!」。周りにいる生徒たちが口々に文句を言う。

 そんな生徒たちを包みこむようにやって来た、クリスタルガイザーの香り。

 「素晴らしい! こんなにも早くできるようになるなんて! やはりライバルの存在は素晴らしい……! ははははは!」

 シラース先生はとても嬉しそうに、両手を大きく広げて笑っている。

 うるさいと言わんばかりに、流れてきた泥だんごがシラース先生の顔面を直撃した。

 「先生っ!?」

 「おい、誰か止めろ!」


 ショウは、もうとっくに別の生徒達に呼ばれていなくなっている。友達になるチャンスはラムーンのせいで消え去った。

 そのうち他の生徒たちが仲裁に入って、泥試合は終了した。それでも、収まるまでにはかなりの時間がかかった。


 先生は、最後まで嬉しそうだった。

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