第3話「はじめての授業」
炎の自己紹介を終え、次に新入生達が移動させられた先は講義室。
ぞろぞろと暗い廊下を歩いていたため、扉が開いた時、生徒たちは溢れんばかりの光に目がくらんだ。
次に感じたのは、家具に使われた木の香り。床から天井へとのびる細い窓が、西側の壁にいくつも取り付けられている。くうに浮かぶ白い塵が、窓から差し込む光の中で、控えめに光を返しながらゆっくりと舞っていた。
すなわち、埃。目の前が白っぽく輝いて見えるのは、恐らく空中に舞う埃が多すぎるためだった。
しかし掃除をしないのは、ここを専用として授業を行う、とある先生なりの持論がある。
――埃は本当にすごい。まぶすことによって、どんな物にも時の流れと敗退的な美を感じさせる。
――埃の中にあれば、万物が芸術となり得るのだよ。
それがこの教室を使っている、かつらを燃やされた先生による持論だった。
そう。次の先生は、かつらを燃やされた先生だった。
「では……模擬授業を始めたいと思います。」
かつらの先生が教壇に立つ姿は余りにも弱々しく、その上に
例えバレバレだったとしても、本人は隠せていると思っていた秘密。知っていたとしても生徒たちも、かなり気まずかった。
その原因である、我関せずのフレイヤ。
一方もう片方の原因とみなされているアヤタカは、友だちの輪と友だちの輪の狭間の席で、話に加わりたそうにそわそわとしながら座っていた。
その時アヤタカはほとんど無意識に、自分の髪の毛を撫でていた。亜麻色のふさふさした髪が、撫でつけられてはまた元気に起き上がる。
あの後アヤタカは、あそこに居た他の先生に焦げた髪の毛を魔法で再生してもらった。
黒く焦げ、縮れた髪の毛が徐々に色を戻し、またしっかり起き上がる様を見て、他の生徒たちから驚嘆の声があがった。
一体だけ状況がつかめないでいたアヤタカも、鏡を見た途端に驚きの声を上げた。
その魔法をかけてくれた先生曰く、髪が肉体から切り離されてしまえば、くっつける以外に戻す方法は無いものの、繋がってさえいれば、元からある髪の毛の生命力を利用してこのように戻せるらしい。
それは、死んでしまった毛根は蘇生不可ということを暗に示していた。
そして生命力を利用して焦げや傷みを治すという方法は、切られた直後ならできなくもないものの、とっくの昔に切り離された髪では行えないらしい。従って、今はかつらとして再利用されている髪の毛は再生不可能であり、どのような手段を使っても、きれいなかつらに戻す方法は無い。
舞台は戻り、埃だらけの教室へ。
たくさんの模型やモビールがごちゃっと窓際や棚に飾られている――本人曰く、この無造作こそがもっとも模型と時間の流れという美しさを引き立たせるものらしく――汚い教室で、かゆい目をこすりながらアヤタカは座っていた。
「えー……私は物体浮遊術を基本とした教授の、ハインリッヒ・ゲオルグ18世、です……。物体浮遊術とは名前の通り、物を動かし、浮かせる、魔法の中でも最も有名な術の……ひとつ……ひとつ、ですね。そ、それを使えば、何と君たち自身は空を飛ぶことすらできるんです。それが道具を使ってか、体ひとつで飛べるのかは……君達次第ですが……。さ、最初は目の前の物を浮かせられるようになりましょぅ……。お手本を見せてあげまし……。」
先生の話し方は尻すぼみで、最後の方は何を言っているのか全く分からなかった。
生徒たちはそこまで心を傷つけられてしまったのかと心配していたが、大概普段の授業と変わらない。
生徒たちは色々と気が散っていて、全く集中できていない。それなのに全くそれを気にしていないどころか、先生は何故か、どこか誇らしげだった。
そう、ここからが彼のターンだから。
かつらの先生がパチンと指を弾く。
花びらのような羽を持つ、壁に吊られていた蝶のモビールがひらりと舞いだした。
教室が、わっと声を上げた。
そのまま
先生はもう一度パチンと指を鳴らした。
すると今度は、窓際にあった模型の天体たちが、ゴトンと音を立て、重そうな体を空に浮かばせた。
先生の魔法により重さを忘れた世界で、天体たちは描かれた空に偽物の宇宙を創っていく。
息を殺して、生徒たちはその幻想的な空間に見惚れていた。
「はぁあん……。何と美しい……あぁ……これこそ芸術……げ……いじ……。」
幻想的な世界の下で、壮年期の男が体をよじらせる。とても奇怪な空間。生徒たちの意識は、本人が望むにしろ望まないにしろ現実に戻された。
しかし奇妙な創造主を差し引いても、その魔法は生徒に素晴らしい光景を見せてくれた。
先程とは明らかに違う生徒たちの食いつき方。それを図ったと言わんばかりの笑顔で、先生は先程よりも若干張り上げた声で語り出す。
「さあ! 今日皆さんに学んで帰ってもらいたいのは、簡単な物体浮遊術です。好きな模型でも小物でもここから持って行って、練習に使ってください。」
先程から、飛び出さんばかりにうずうずしていたアヤタカが、今だと言わんばかりに、にやりと顔に笑みを浮かべた。
席を立ち上がろうとする生徒たちの中、アヤタカはおもむろに、ぴっ! と人差し指を立てた。
ゴトン。
模型置き場の中。ひときわ重たそうなデネブの星が、ふわふわと風船のように浮き出した。
そのままデネブの模型は高く飛び出し、生徒たちの頭を軽々と飛び越えた。虹のように大きな弧を描きながら、デネブは一体の生徒の指先にとまる。
その操り手は、亜麻色のふさふさした髪の毛とお茶のような目の色をした少年、サイオウ。俗名を、アヤタカと言う。
周りからおぉお……! という歓声が上がった。先生も驚き、素晴らしいと言って拍手をした。
指先に、重たいはずの模型を乗せ、くるくると回してみせているアヤタカは分かりやすいほどに誇らしげだった。「どうだ!」と言う顔が輝いていた。
アヤタカは太陽の光から生まれた子供。光といえども、太陽系の中心である太陽の恩恵も受けている。親が重力の塊であるアヤタカにとって、重力を操ることは造作もないことだった。
ただ小さい頃それが少し得意だったから、と張り切っているうちにぐんぐん上達して、周りの同郷の者なんて目じゃないと言うほどに上達してしまった今。それは最早、一応謙遜の材料として使っているだけのようなものだった。しかし、もしそれを間に受けられて、「太陽の子ってみんなそんな上手いの!?」と聞かれてしまえば、アヤタカは少し不快。
そんなアヤタカの胸中をつゆ知らず、生徒たちは蜜を見つけたアリのように、アヤタカへと群がる。
「すごいな!」「どうやるの!?」「コツ教えてよ!」
ふん、現金なやつらめ、と粋がってみたい自分もいたものの、しっぽを振る性分に押し負け、顔が勝手ににこにことほころんでいた 。
喜びに満ち溢れ、犬であったなら尻尾をぶんぶんと振っていそうなほど嬉しそうにしているアヤタカ。
そんなアヤタカの笑顔の前を、唐突にまん丸の模型が被さった。アヤタカの新しい顔。どこから来たのか、それはアヤタカ操るデネブの星ではなく、それより小さな月の模型。
月の模型は三伯ほどアヤタカの顔の前で静止した後、アヤタカの肩にどんっとぶつかった。かと思えばその模型は、ふよふよと通り過ぎて行ってしまった。
それはアヤタカほど見事ではないにしろ、だいぶ正確な物体浮遊術。
月が泳ぐ先に目を追いかけていると、月は従順に自分の操り手のところまで必死に向かった。辿りついた時には月の体は震えていて、やっと届いたと言わんばかりにゆっくりと机に着陸した。
従順な
彼女を見て、最初に目に入ったのがきらきらと波打つ、長い金色の髪。そしてそこから覗く、環状の黄が入るヘイゼルの瞳。
まるで月のような色の目と髪。それを見て、アヤタカは思わず呟いた。
「
見た限りでは女性、恐らく女性の彼女は、アヤタカの言った通りルナと呼ばれる月の精霊体だった。
夜空のような濃紺のリボンが、うなじの辺りで月色の髪を結んでいる。
アヤタカの翠色の目と、彼女の月色の目が交差した。
周りで賑やかにしていた他の生徒が、アヤタカの様子を察してはがれる。ざわめきが、少し抑えられ、遠くなる。
古来より対の象徴とされる、太陽と月。
その象徴は対へ、愛し合う夫婦へと広がっていく。
辺りが各々の練習に打ち込み出す中、アヤタカはルナの女の子にゆっくりと近づいていた。ルナの女の子も、アヤタカのことをひたと見つめている。
昼と夜。交代して大地を照らし合う仲として有名なその姿は。
「これだから太陽って奴は……自分の力を誇示したくて仕方ないのね。高慢で、周りから面倒がられてるだけあるわ。」
「月なんて、こっちの光を反射してる分際で偉そうに……できることなんて人を惑わす程度の低級種族のくせにな。」
仲が悪かった。
太陽と月といえば対や同じものとして扱われることが多いためライバル心が強く、同族嫌悪で有名だった。
太陽はたかだか衛生と、地上では同じ扱いを受けているのが気に入らないらしく、月は月で、太陽って恒星なだけあって自分たちが中心でないと気が済まないんだ、まさに身の程知らずの勘違い種族、と嘲っている。
太陽と月が夫婦だという伝説も、結局は破綻し、それぞれ顔を合わせないように昼と夜別々で出てきているため、交代で地上を照らしているように見えるというものらしく、伝説ですらその仲違いは有名だった。
それを知っていたため周りの生徒たちはそそくさと退散し、巻き込まれないよう早めの避難を心がけていた。
「えっ、未だに月の子はそれしかできないとか言ってるの、思ってるの? やだぁ、ふふっ……そんなありきたりな罵倒、本当に言ってる精霊体初めて見た〜、貴重! くすくす……。あなた、もしかして相当遅れた場所から来てるんじゃない? 封権的な所か……もしくは信じられないほど辺境の、田舎?」
立て板に鈴を転がすかのように、ころころと出してくる歯切れの良い悪態。最後に田舎、と言った所で彼女はくすりと笑った。アヤタカの頭に、カッと血が上る。
言われた通り、アヤタカの住んでいるところは信じられないほど辺境の田舎。月に関する罵倒言葉も、これくらいしか切り札がない。アヤタカは故郷の皆が言ってた通り、月の連中は本当に嫌味で嫌な奴だと確信した。
あの物体浮遊術に対抗してきた時から、そしてわざわざ自分の顔の前に置いて邪魔をして、わざと自分にぶつけてきた時から。
初めて受ける明確な悪意に覚えた、腹が煮えくり返るような憤り。
何もしていないのに悪意を向けられた。なんてやり場のない苛立ち。都会はこれが普通なのか。都会は怖い。
田舎なので情報が遅れていることや、それくらいしか月に対する偏見と事実の狭間のような情報を知らないということの図星を突かれ、アヤタカは完全に頭に血をのぼらせていた。
たとえ拙い罵詈雑言しか出てこなくとも、絶対に、こいつにだけは退くもんか。彼は心に誓う。
アヤタカとルナの女の子は授業中なのも忘れて罵り合い、周りの生徒たちは遠巻きにしながらそれを静観していた。
ルナの女の子のネームプレートがちかっと光る。そこに彫られている文字は、「ラムーン」。
先生は誰も聞いていないことを分かっていながら、控えめに説明を続けていた。
私は何をやっているのだろう。早く帰って、新しいかつらのコンディションをしたい。
先生の操る蝶のモビールが、悲しそうに一つ落ちた。
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