第2話「アヤタカとフレイヤ」

 入学式の後は、自己紹介の時間。

 近くにいる者たち同士で自己紹介をして、思い思いにそれぞれが交流を深めている。

 アヤタカはそれを心待ちにしていた。どんな相手と会えるかなあ、いろんな精霊体がいて楽しそうだなあ。そのようなうきうきする時間だったはずが、予想外の出来事に見舞われてしまった。

 ほとんどの精霊体が、お互い顔見知りだった。

 それは恐らく、この学校と近隣にある同じ故郷から出てきたもの同士。外国にある小さな山村から出てきたアヤタカ。同郷の者などいるわけがなく、手を伸ばせば、圧力にも似た友達の輪がそこにあった。そこら中にはびこる友達の輪に押しのけられる気持ちで、縫うように歩く。そして一旦体制を整える場所ということで行き着く先、壁へと行き着いた。

――これでとりあえずは、壁の花になれる。

 壁の花、の意味をいまいちよく分かっていないアヤタカ。しかし背景に同化したいと言いたいだけなので、生来の意味とそこまで差もない。

 本当に花であったなら萎れてしまいそうなほどしおしおしているアヤタカは、広場の壁を形作る木の枝に寄りかかっていた。

 それにしてもこの木は大きいなあ。この床というか地面の円盤、やっぱ魔法で取り付けられてるのかなあ。アヤタカは、関係ないことを考えてごまかそうとする。

 するとアヤタカはふっと、近くで同じように壁に寄りかかっているきゃしゃな影がいることに気が付いた。

 その生徒はアヤタカのように萎れておらず、冷めた目で辺りを静観している。

 しかし逆に周りがちらちらと、その生徒を気にしている様子は見て取れた。

 それでも、誰も話しかける生徒はいない。

 理由は恐らく、その壁の花が誰も見たことがないくらい美しかったから。

 その美しさは気品と近寄りがたさを感じさせる女性に見えたため、周りは遠くから眺めるだけだけにとどめていたのだ。

 髪は暗闇の琥珀のようにつやめき、短い髪から覗くうなじは、ピンクパールのようにきれいな色をしている。

 それこそ、絵にも描けない絶世の美しさ。

 それら一連の空気を知ってか知らずか、アヤタカは無謀にもその高嶺の花に近づいた。

 よちよちと近づくアヤタカに、切れ長な紫の目がちらりと向けられた。へら、と笑って軽く会釈をするアヤタカに対して、何もいなかったかのように視線を戻す。

 周りの空気が冷えていく。話しかけることができるアヤタカへの羨望も、あることはあったものの、それよりはあまりにも露骨な無視をされたアヤタカへの心配。

 その空気を勘づけないのか、アヤタカは退くことなくその美しい少女に話しかけてしまった。

 「えーっとおれは、アヤ……サイオウ。君は……あっ! フレイヤちゃんっていうのか!」

 「私は男だ!!!」

 ぼぼぼぼぼっ!

 高らかな声と共に、広間中のろうそくというろうそくに火が灯る。

 燃え盛る勢いは凄まじく、その勢いに飲まれでもしたのか、遠くで先生のかつらが燃えている。しかし先生が居たのはろうそくから離れたところであったため、恐らく燃え移ったのではなく、「燃やしていいもの」と判断されただけだ。

 「先生の! ヅラが!」

 アヤタカは思わず叫んでいた。先生の顔には「どうして分かったの?」という戸惑いが混じっていたものの、そんなことを意に介する様子も無くお粗末なかつらは燃え続ける。

 わあわあと騒ぎになってしまったものの、その恐らくの元凶はろうそくにもかつらにも目を向けず、眉を吊り上げてアヤタカを睨んでいた。

 「…………!」

 「え。こ、この騒ぎだよ!? 今はけんかしてる場合じゃ……。」

 アヤタカはそこで一旦口を止めた。

 「君か! 火つけたの!」

 反応もせず睨み続けるフレイヤを見て、そこでアヤタカは一気に合点がいった。

 フレイヤという少年は炎から生まれた精霊体、いわゆる炎の子ども。ピンクの炎は怒りのあまりつい出してしまった、感情の炎。

 「私を、女扱いしておいてよくも……」

 バイオリンのような声音が、アヤタカの耳に届いた。

 「えっ?」

 アヤタカの頭に、途切れていた会話の内容が再び流れだす。

 彼女に話しかける。私は男だ。火が灯る。騒ぎになる――

 「おとこっ!!?」

 アヤタカは、声が裏返るほど驚いた。

 フレイヤの瞳に、怒気が宿る。

 「貴様……!」

 「や、貴様じゃなくて! 嘘、その顔で、嘘! 無性別とかならともかく、嘘!」

 「無性別でも両性具有でもあるかっ! 私は男だろう!」

 「え、だって……唇とか、なんか塗ってるよなそれ? ピンクだし……。」

 「これは自前だ!」

 「じゃ、じゃあ何で『私』とか言うんだよ紛らわしいだろ!」

 「育ての親にそう言わされてきたんだ!」

 「そもそもかつらに火つけるなよ! あれはわざとやったろひどいな、何で!」

 「それは……っ!」

 そこで声を張り上げて話していた、二体の会話が止まった。

 「…………。」

 フレイヤは目を泳がせ始めた。

 もしかしてこれは、聞いてはいけないことだったんだろうか、とアヤタカは陥った空気に焦りだす。

 フレイヤの決まりが悪そうな、そしてどうしてか怯えるような目。

 その質問を境に、彼は黙りこくってしまった。さらにアヤタカが気が付けば、いつの間にか周り全てが自分たちに目を向けてしまっていた。

――何でこんなに注目が……。どうしよう、もういいって言いたいのに、すっごい皆見てる! どうしよう!

 おろおろと、焦りだすアヤタカ。それに気付くフレイヤ。

 瞬間、フレイヤの目が氷のように冷たくなった。

 くるりと踵を返して、唐突にそこから去ろうとした。

 不意をつかれたアヤタカは、思わず引き止めた。今度は周りに聞こえないよう、抑えた声で。

 「なあ……! 女の子と間違えちゃったり、こんな状況にしちゃってごめん! でも本当に悪気があったんじゃないんだ、ただ普通に、仲良くなりたかっただけでさ……」

 フレイヤの足が、ぴたりと止まった。

 「よく言う……」

 「……え?」

 俯いたままのフレイヤの顔。それを覗き込もうと、アヤタカは顔を動かした。しかしフレイヤはその前に顔を上げた。

 彼は氷のように冷たい目で、アヤタカを見据えていた。

 「みっともないことを言っているなと言っているんだ。馴れ合うために、犬のように尻尾を振ってみせて……。お前みたいな者は、見ているだけで虫唾が走る。

 言っておくが私はお前に言われたことが気に入らないんじゃない。一生懸命に機嫌をとるお前が気に入らないんだ。」

 向けられたのは明らさまな軽蔑。その言葉に、アヤタカは言葉をなくした。

 その様を見てフレイヤは、ふん、と鋭く息を吐く。フレイヤは、この広場にいる者たちのことも同じようにして眺め、アヤタカに背を向けて歩き出した。

 がしっ。

 左腕を、アヤタカに掴まれた。

 フレイヤは顔をしかめてアヤタカの方へ向き直る。

 振り向くと、若葉のような緑の目がひたと自分のことを見つめていた。アヤタカは膝を軽く曲げているらしく、自分と同じ目の高さになっている。

 そして言葉を切りながら、小さな声でアヤタカに囁きかけられた。

 「もしかして……」

 「君がかつらだったとか……?」

 ぼうっ!!

 かつらが必要になるのではと思うくらい、アヤタカの髪は念入りに燃やされた。

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