きおく2
廊下は水を打ったような静かさだった。 消灯時間直前ということで、廊下にはほとんど人の姿は見受けられない。
「緊張するな!」
裕樹はこの雰囲気を楽しんでいるようだった。
「よし、着いたぞ」
我が部隊の隊長は階段の下で足をとめた。 ここから上が女子寮となっており、ここを駆け上がった瞬間、我々の勝利となる。
と、その時、廊下の電気が消えた。 唯一非常階段の青白い光だけが存在感を示している。
「よし、行くぞ!」
慶二がそう合図した時だった。
「あなたたち! そこで何をやっているの!」
階段の上の方から声がした。 腕に風紀委員の腕章をつけた女子生徒が僕たちを見下ろすようにして立っている。
「ちっ! 先読みされたか!」
「どうするよ、慶二!」
「こうなれば――」
慶二は一気に階段を駆け上がった。 正面突破をかけるつもりだ。
「きゃっ!」
突然の慶二の行動に女子性は思わず道を開けてしまった。 慶二はこちらを振り返ることなく、難なく女子寮への侵入に成功した。
「し、侵入者! 侵入者三名!」
風紀委員は慌てて胸から下ろしているホイッスルを鳴らした。
「いや待て! 三名って俺たちは何もしてねぇだろ!」
「そうだよ! 僕たちはまだ何も――」
その時、背後から人の気配。 振り返ると、風紀委員らしき生徒が数名こちらに向かって走ってきている。
「く、くそ! こうなれば――」
裕樹は背後から迫る生徒を正面に構え、両手を広げた。
「ここは俺に任せろ、シキ! 先へ行け!」
「で、でもそれじゃあ裕樹が!」
「へっ、俺はいいんだよ。 それよりも、慶二に会ったら伝えておいてくれ」
「う、うん」
「隊長とは、何かね、と」
その言葉を最後に、裕樹は風紀委員に押さえつけられてしまった。
「裕樹の死は無駄にしないよ!」
僕はそう言い放ち、慶二のように階段を駆け上がった。 階段上の女子生徒はすでにその姿を消しており、僕は一気に女子寮への侵入に成功した。
とりあえず二階に来たが、いったいどうすればいいんだろう。 そもそも、特に誰かに会いたかったり、行きたい場所があったりするわけではない。
しかし現実として、今の僕は風紀委員から追われる身となっている。 今は早く部屋に戻ることを最優先に考えないといけないけど、階段の下には捕まった裕樹と、風紀委員。 とりあえず、今すぐに引き返すという選択はなくそう。
「あれま! どしたこんなところで!」
僕が顔を上げると、そこには茜が立っていた。 僕という予想外かつ場違いな人物の登場に驚いた表情と、喜んでいる表情が混ざり合ったような表情をしている。
「しっ! 大きな声はちょっと――」
「え? なんて?」
「いや、だから」
「とりあえず、私の部屋に来る?」
僕の様子から、何かを感じとったのか、茜はそう提案してくれたので、僕は茜の部屋へと向かうことにした。
「どぞどぞ~」
「お、お邪魔します」
寮の一室とはいえ、初めて入る女子の部屋。 生活スペース。 部屋に入った瞬間、甘い香りが鼻をくすぐった。
「うん? どったの?」
「あ、いや」
入口でボーっとしている僕を茜は優しく招き入れてくれた。
「で、どうしたの? なんか訳ありかな?」
「お察しのとおりで。 実は――」
僕はこれまでの冒険を振り返るようにして茜に現状の説明をした。
「――ということなんだ」
「男ってバカだね~」
呆れたように茜は言う。
「まったくだよ。 あーあ、慶二はどこで何をやっているんだろう」
「あれ、裕樹君の心配はしないの?」
「まぁ彼はたくましいから」
幾千もの戦いを、と言っても主に罰ゲームをだけど、生き抜いてきた男なんだから、なんとかなるさ。
「んー?」
その時、茜が部屋の扉の方に視線を移した。
「誰かがくる」
「え?」
その茜の言葉から一秒もたたないうちに扉は外側から激しくノックをされた。
「や、やばい! 風紀委員か?」
「女子寮に男子生徒が忍び込んだと報告を受けた。中を調べさてもらいたのだが」
外から聞こえてきたのは風紀委員を名乗る女子生徒の声。 まずいな、今部屋に入られたら僕だけじゃなく、茜まで処分をくらうことになる。
「シキ、どうしよう?」
「なんで冷静なのさ……」
「漫画みたいにさ、窓から外に飛び降りる?」
「ここ二階だから! リスクが高いよそれ」
「どうせ死んでるんだから大丈夫だって! そーれ夜空に向かってスカイハイアンドスカイダイビング!」
「真剣に考えてよ!」
「おい、男子生徒の声が聞こえたぞ!」
バレた! 大声を出しすぎたか。
「ど、どこか隠れる場所は……」
「入るぞ!」
その瞬間、扉は勢いよく開いた。
「……む」
「あれれ、どうしました~?」
「ここに男子生徒がこなかったか?」
「いいえ~! そんな男を連れ込むように私が見えますか~?」
「あ、いや、そういうつもりじゃ」
「男子生徒なんて部屋にいません! 早く出て行ってください! 今からダンゴムシの室内散歩をさせる時間なんです!」
「そ、それはすまない。 失礼」
「……。 もういいよ~」
「……引き上げて」
扉が開かれた瞬間、僕はとっさの判断で窓から外に飛び出した。 飛び出したと言っても、もちろん飛び降りてはいない。 窓枠に捕まり、腕の力だけでぶらさがっている。
「ほいほい」
「よいしょ!」
僕は茜の手を掴み、気合のかけ声をあげながら室内へと戻ることに成功した。
「大胆だね~」
「できるだけ評価は下げたくないからね」
「パパ、運動会で張り切っちゃった、って感じだね!」
「そうそう、たとえるなら運動会で――いや、なんか違う」
「そう? あ、腕、すりむいているよ」
「え?」
自分でも気が付かなったが、どうやら窓の外から室内に戻るときに軽くすりむいたようだ。
「ほら、消毒するから腕出して!」
「いいよこれくらい。 放っておけば勝手に治るよ」
「手当しておくことに越したことはないよ!」
「うわっ!」
茜は棚から薬箱をとってくると、中から塗り薬を取り出した。 僕の腕を握り、液体状の薬を塗っていく。 こんなに近くで見たことがなかったので気が付かなったが、茜の腕はまるで冬の小枝のように細く見えた。
「どうしたの?」
「あ、いや」
僕は茜の細くツヤのある腕に見惚れてしまっていた。 普段、茜のことを女の子だと意識して見たことはなかった。 もちろん、茜が女の子なのは理解しているが。
「私に惚れたか~? ん~?」
「そんなわけないよ」
「まぁ、そうだよね~。 この世界での恋愛は禁止されているもんね~。 あーつまんない」
この学園ではいくつかの禁止事項がある。 女子寮への侵入禁止というわかりやすいものもあれば、茜が言ったように、恋愛の禁止というよく理由がわからないものまであるのだ。
「まぁでも、学園側の説明も、全部が全部理解できないわけでもないけどね」
「えー! なんでよ~」
「もしも茜に好きな人がいるとするよ? 茜はその人と離れたくないでしょ?」
「もちろん!」
「でもこの学園は、主に転生することがその役目であり、僕たちがここにいる理由なんだよ。 茜はいつかその人と離れないといけなくなるし、それは辛いし、転生したくなくなるよね?」
「それは……まぁ、うん」
「なら、最初から禁止した方がいいってことだよ。 そもそも、そんな感情が湧かないように、なんらかの措置がされているかもしれないけどね」
ここは死後の世界だ。 気が付かない間に、恋愛感情が湧かなくなるように僕らはプログラミングされているかもしれない。 生きていた時の常識は、ここでは常識じゃない。
「でもさ、シキは人を好きになったことがないの?」
「昔のことはわからない。 生きていた時は誰かと恋愛をしていかもしれないね」
「あ……ごめんね」
僕に過去の記憶がないことを思い出したのか、茜は慌てた素振りで僕に謝った。
「気にしないで。 それより茜は過去に恋をしていたの?」
「え?」
まさしく鳩が豆鉄砲を食ったような表情で僕を見ている。
「いや、そんなに驚く質問?」
「あ、いやー。 まぁしてたよね! 私だって女の子だなんだから」
「まぁそうだよね~」
「ったく、私のこと女だと思っていないだろ!」
「その言葉遣いがなぁ」
「わたくしのこと、お処女だと思っていないであそばんせ?」
「なんか日本語がしっちゃかめっちゃかだよ」
「ま、私の恋愛なんておもしろくないよ~」
「へー。 ま、いろいろ事情があるかもしれないし、深くは聞かないでおくよ」
と、そこで僕は壁にかけてある時計を見た。
「さて、そろそろ行こうかな。 今ならこの部屋のマークもそう厳しくないだろうし、慶二や裕樹のことが心配になってきた」
「え? もう行っちゃうの?」
「うん。 ずっとここにいても迷惑だし」
また風紀委員がやってきて茜に迷惑をかけるわけにはいかないし、慶二や裕樹のことが本気で心配になってきたところだ。
「迷惑だなんて!」
「ま、どうせまた学園で顔を合わすんだし、じゃあね~」
「うん」
僕はそう言って茜に背を向け、部屋をあとにした。
「……」
「……」
部屋に戻ると、顔を腫らした裕樹が座布団に座っていた。。
「誰?」
「さぁて、私は誰でしょう」
「……大変だったんだね」
さすがに同情する。
「裕樹はどうしたの?」
「知るか! あいつは裏切り者だ! 今頃女子寮でキャッキャッウフフしてんだろ! けっ! 羨ましくなんかないけどな!」
「嫉妬のオニと化しているね」
「そういえば、お前はどこで何をやっていたんだ?」
「茜の部屋にいたよ。 偶然かくまってくれたんだ」
「……」
「え?」
「てめぇもキャッキャッウフフしてんじゃねぇか!」
「いやしていないし」
「ちくしょう……ちくしょう……。 俺なんてガチガチの男や男か女かどうかもわからない獣のような奴からタコ殴りにあったというのに……。 羨ましくなんかないんだかね!」
「どこで覚えたのそれ」
「寝る!」
そう言って裕樹は自分のベッドに入り込んだ。 完全なるふて寝だ。
一人で起きていても仕方がないので、僕もベッドの中に入り、身体を休ませた。
なんだか長い一日だったなぁ。 でも楽しい一日でもあった。
こんな日がずっと続けばいいのに。 そんなことを思いながら、僕は暗闇の世界へと意識をどっぷりと沈めた。
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