第8話「秋山家へようこそ・中編」



 私は今、究極の選択を迫られている。

 これは、今後の私と百合子の関係に関わる重大な選択肢だ。ここで選択ミスをしたら、私は一生後悔するだろう。

 頭を抱える。

 どうする? どうすればいいんだ?

 家に帰ってきて、私の部屋に百合子を招き入れるところまでは成功した。しかし、隣には姉がいるはずだ。それではあまり派手なことも出来ない。それに百合子はそういうことはあまり好きじゃない。けれど、こうやって家に泊まりに来るって事は、つまりはそういうことなのか。

「比奈ちゃん」

 いやいやいや。自分の都合よく解釈してはいけない。ただ百合子は私の家に泊まりたかっただけ。それを私の不純な気持ちが曲解させているだけ。

 襲ったら嫌われる。それだけは避けなければ。

「比奈ちゃん」

 でも、泊まるということはそういうリスクもあるということは、百合子なら理解していないはずがない。だとすると、直接口にするのは恥ずかしいから、お泊りというそれらしい理由を作って誘っているのか? だとするとここで私が手を引けば、私達の関係はずっと平行線。それは私が耐えられない気がする。

 ああ、どうすればいいんだ!

「比奈ちゃん! 聞いてるの!」

「はい!」

 私は視界いっぱいの百合子の顔に驚き、後ずさる。

「もう比奈ちゃん部屋に上がってからずっとその調子。つまんない」

 頬を膨らませ拗ねる百合子。

「い、いや違うんだ。百合子」

 しまったと思ったときには、もう遅かった。

 顔を真っ赤にした百合子は立ち上がり、私に近づいてくる。私も立ち上がり、なだめようとする。

「もう! 比奈ちゃんの馬鹿!」

 そう言うと百合子は私を扉まで押し、そのまま廊下に押し出す。

 私は廊下に立ち尽くす。

「ゆりちゃんごめん。私が悪かったから、部屋に入れて」

「……」

 百合子は私の言葉に答えてくれない。

 ああ、やってしまった。

 この事態だけは避けたかったのに、やってしまった。

 私は体育座りで扉に寄りかかる。

「比奈、あんたそこで何してるのさ」

 ヒステリリアンを抱えながら、一階から上がってくる姉。

「友達に怒られて部屋から追い出された」

「自分の部屋から追い出される女子高生って、どれだけいるんだろうね」

 笑いながら言ってくる姉。笑いごとじゃないのに。

「喧嘩するのはいいけど、あんまりうるさくしないでね。ヒステリリアンがご機嫌損ねるから」

 姉に撫でられ上機嫌のヒステリリアン。私が撫でても不機嫌になるだけなのに。姉が羨ましい。

「どうせ比奈が悪いんでしょ。誠心誠意謝罪すれば相手も分かってくれると思うから、さっさと仲直りするのよ」

 そう言い残して姉は自分の部屋に入ってしまう。

 私は少しの間考え、そして部屋の扉に向かって頭を下げる。

「ごめんゆりちゃん。私が悪かったから、この扉開けて」

「……」

 やはり返事はない。

 これはすごく怒ってる。今日学校でもほとんど授業受けなかったことも、まだ根に持ってるのかも知れない。百合子はご機嫌斜めになると本当に長いからなぁ。

 と、そこでふと思う。

 私の部屋の扉って、鍵なんてあるっけ?

「……開けるよ」

 私は一度小さく言うと、ドアノブに手をかける。

 ゆっくりと扉を開けると、ベッドのそばで屈んでなにやらもぞもぞと動く百合子が見えた。

「ゆりちゃん?」

 私はそっと百合子に近づく。

 どうやら私が普段使っているパジャマを持って何かしているらしい。

「比奈ちゃんの匂い……」

 変態がいた。

 百合子が変態行為に走っていた。私のパジャマの匂いを嗅いで興奮してる。

「ゆりちゃん……何してるの?」

 私は一応尋ねる。変態行為をしてると分かるが訊かずにはいられなかった。百合子はそんなことする子じゃないはずだから、何か深刻な理由でもあるのかもしれない。

 百合子は私に気付いたのか、パジャマを顔から徐々に離していく。そしてこちらを見ずにぼそぼそと喋り始める。

「な、なんでもないんだよ、これは。比奈ちゃんが、ち、ちゃんとパジャマも洗濯してるかな、って、思って、ね? だから、その、別に、匂いを嗅いでたとか、そ、そういうことじゃ、ないから。あ、えっとその、あんまり、嫌な、その、匂いじゃなかった、し。うん」

 首まで真っ赤にした百合子の頭は、重力に逆らうことなく少しずつ床に近づいていく。

「まぁ、私もゆりちゃんの匂い好きだし。その、なんだ、別におかしいことじゃないよ」

「だって比奈ちゃんは変態だし……」

 悪かったな変態で。

 でも、その変態と付き合ってる百合子も、十分変態だと思う。

「それで、その変態な私の匂いはどうだった? 変態ゆりちゃん」

 後ろから抱きしめる形になり、私は耳元で意地悪く百合子に訊く。

「ばか…………いい匂いだった、よ」

 このまま押し倒してしまおうかと思ったが、しかし一度冷静になる。

 まだ夜は始まったばかり。

 お楽しみは、もう少し後にとっておこう。

 それよりも、まずは。

「そろそろおなかすきすぎて倒れそうなので、ご飯にしない?」

 笑いながら言う私。

 百合子は振り向いて、まだほんのり赤い顔で笑みを作って答える。

「うん、そうだね」

 その顔を見て、私は抑えきれず唇を重ねる。

 心地よい唇の感触と、くすぐったくも癖になる吐息。

 百合子の全てを、余すことなく味わう。

 永遠にも近い一瞬が、終わる。

「さ、早くご飯作って食べよ」

「続きは、その後?」

「調子にのるな、ばか」

 その細い指で私の鼻先を突っつく。

「それとも、ご飯はあとにする?」

 顔から湯気が出るんじゃないかと思うくらい百合子の顔が赤くなる。

「……ひ、比奈ちゃんが、それで、いいなら」

 顔を背けながらも同意する百合子。

「でもゆりちゃんって、こういうことあんまり好きじゃないでしょ」

「ここで襲ってくれないと、その……」

 吐息がかかるほど近くにいるのに、百合子の言葉が鮮明に聞き取れない。

「ごめんゆりちゃん。聞こえなかった」

 私がそう言うと、百合子は私の目を見て艶かしくも甘えたような声で言う。


「ここで襲ってくれないと、可愛いショーツで来た意味無いじゃない」


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