第7話「秋山家へようこそ・前編」




 放課後の教室には、私と百合子以外誰もいなくなっていた。

 私の前には、腕を組みながら怒った表情をしている百合子が座っていた。

「それで、比奈ちゃん。これはどういうこと?」

 私は結局体育の授業以降、全ての授業を寝て過ごしてしまった。

 隣に座っていた百合子も、最初は起こしてくれていたけれど、起こした直後には寝てしまう私に呆れて、お昼休みも起こしてくれなかった。

 私、今猛烈におなかすいてる。

「うーん。ちょっと体育で本気出しすぎちゃったかな」

「そんなのは言い訳になりません」

 はい分かってます。

「折角今日のお昼は頑張って比奈ちゃんの好きなものを作ってきたのに」

「私、今すごくおなかすいてるから、それ、食べていい?」

 私は前のめりになりながら百合子に訊く。

「お友達に分けてあげちゃったから、もうありません」

 すごく怒ったように言う百合子。

 そんな顔も可愛いけれど、今はそんなことより。

「その分けてあげたお友達って、誰かな?」

 平静を装って訊いた私。

 誰だ私のお弁当を食べたのは。まさかとは思うが、遥じゃないだろうな。

「えりさちゃんだよ」

「……ならいい」

 遥じゃなかったことに安堵する私。

 けれど百合子が私のために作ったお弁当を食べたことは、明日ちゃんとえりさに抗議しよう。

「比奈ちゃん、そんなにおなかすいてるの?」

 百合子は上目遣いで私の顔を窺うように訊いてくる。

 天然でこんなに可愛い仕草するのはいいけれど、それを私以外に見せてたらどうしよう。みんなが百合子の可愛さに気付いてしまったら大変だ。

「う、うん。まぁ、朝から何も食べてないから、さ」

 私はしどろもどろで答える。あんな可愛い顔を間近で見て動揺しない人はいないだろう。

「じゃあ、今から何か作ってあげようか?」

「……え?」

 百合子が何を言ったのか理解できず、私は呆けた顔をしてしまう。

「だから、今から何か作ってあげようかって言ったの」

「いや、それは嬉しいけど、でも、どこで?」

 そこで百合子はほくそ笑む。

「比奈ちゃん。明日は何の日だか分かる?」

「明日? 明日は確か……」

 海の日は先週で、ていうか月曜日かあれは。

 あと考えられるものといったら……

「もう、本当に忘れっぽいんだから。比奈ちゃんは。明日は学校の創立記念だよ」

「そういえばそうだったね。すっかり忘れてた」

 いつも思うがもう創立記念から夏休みにすればいいのに、毎年八月に入ってから夏休みなんだろう。けどまぁ九月の中旬まで休みがあるのは嬉しいけれど。

「で、それがどうかしたの?」

「明日は学校お休みでしょ。だから、今日は比奈ちゃんの家にお泊りできないかなーって」

 照れながら、もじもじと喋る百合子。

「まさか、ご褒美って……」

 百合子自身がプレゼントって事ですか!?

 私部屋綺麗だったよね。布団も一昨日干したばかりだし、下着も今日体育あったから綺麗なのはいてきたから大丈夫。その前にシャワー浴びるからそれは問題ないか。いや、百合子の汗の匂いを消したくないからシャワー前に……

「比奈ちゃん。どうしたの? さっきからぶつぶつと」

 私は慌てて「なんでもない! なんでもないよ!」と言い繕い、自分を落ち着かせる。

 落ち着け私。まだお泊りに来るって言っただけだろう。それに百合子はそういうことはあまり好きじゃない。キスぐらいなら最近許してくれているけれど、それ以上はやんわり拒絶されてるし、やっぱりただお泊りに来るだけだと思っておこう。

「それでね、今日お泊りして大丈夫?」

「うん、問題は無いと思うけど、百合子の家は大丈夫なの?」

 私はそれが心配だった。百合子の家はそういうことには厳しいはずだから、両親の許可は得ているのだろうか。

「それについては大丈夫。ちゃんと許可は貰ってきてるから」

「そう、ならよかった」

 安堵する。

 でも、なんて言って許可を貰ったのかな。素直に「付き合ってる女の子の家に泊まる」とは言ってないだろうし、かと言って百合子が嘘をつけばすぐばれるだろうから「大事なお友達の家に泊まってくる」って言って私の写真か何かを見せたのかも知れない。女の子だから両親も安心して許可を出しただろう。

 ……なんだか騙してるようで胸が痛い。

「それで、お泊り道具は持ってきたの?」

「もちろん! 既に準備は完璧だよ!」

 目を輝かせながら百合子が言う。

 私が断ることは考えてなかったのか。まぁ私が百合子のお願いを断ることなんて絶対にないけれど。

「じゃあ、行こうか」

 鞄を持ち、席を立つ。

 百合子も、朝には気付かなかったが、大分重そうな荷物を持って、席を立つ。

「それ、私が持つよ」

 何気なく言うと、百合子は慌てたようにそれを背中に隠す。

「い、いいよ別に。自分のものだし、自分で持たないと」

「そう、ゆりちゃんがいいならいいけど」

 私は少し変だと思ったけれど、百合子がいいと言うならそれでいいか。

「今日は、夜遅くまでお話しようね」

 私の隣で笑顔を浮かべる百合子。

 今日はきっと興奮してぐっすり眠れそうにない。






 いつもの通学路を二人で歩く。少し違うのは駅へ行く道ではなく、そのまま私の家に向かう道を歩いていることだ。

 今から私の家に百合子が……

 考えただけでもう胸がどきどきしてる。

「それでね、今日のお夕飯は私が作ってあげる。なにがいい?」

「え、あ、うん。そうだね。オムライスとか?」

「分かった。それじゃ、買い物して行かないとね」

 話をろくに聞いていなかったから、何がどうなってどんな理由で百合子が夕飯を作ることになったのかまるで分からないけれど、とりあえず理由なんてどうでもいっか。

「多分買い物しなくても大丈夫だと思うよ。私の家の冷蔵庫には絶対にオムライスの材料が入ってるから」

「どうして?」

「私の家はね、みんなオムライス大好きだから、いつでも食べられるようにオムライスの材料だけは切らしたことないんだ」

 三日三晩オムライスだったこともあるくらい私の家(特にお姉ちゃん)はオムライスが大好きなのだ。

「それに、スーパー過ぎちゃったし、今から買い物行っても面倒なだけだし」

「それもそうだね」

 と、そんなことを話している間に、私の家に着いてしまった。

「話には聞いてたけど、本当に大きいんだね」

 周りの家も普通の家と比べると大きい部類に入るが、私の家はその中でも特に大きい家だ。こんなに大きくても実質住んでるのは私とお姉ちゃんの二人だから、部屋なんてあまりに余ってる始末なんだよね。お母さんは仕事が忙しいときは会社で寝泊りするし、お父さんは私より早く起きて出て行くし私より遅く帰ってきて寝るからほとんど顔を合わせない。

 まぁ、あまり干渉されないっていうのは嬉しいけれど。

 それでも、たまに少しだけ寂しくなる。

「ささ、どうぞ遠慮せず上がって上がって」

 暗くなりそうだった表情を、無理矢理笑顔に変える。ここで百合子を心配させても意味がない。それどころかすごく微妙な空気になってしまう。それだけはなんとしても阻止せねば。今日は決戦の日なのだ。ここで空気を悪くしては、そういう空気に持って行きにくくなる。ここは笑顔で、笑顔で。

 私はそんな不純な動機を隠し、普段あまり見せない飛び切りの笑顔で百合子を招き入れる。

「ようこそ、秋山家へ」


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