第2話「放課後」
結局休み時間後の授業も寝て過ごしてしまった私は、帰り道で百合子からお叱りを受けるはめになってしまった。私が百合子の説教を聞き流していると「ちゃんと聞かないと、今度からお弁当作ってあげないから」と言われてしまい、仕方なく聞いてあげることにする。
「大体比奈理ちゃんは中間テストなんかで学年上位に入ってるんだから、後は授業態度をどうにかすればもっと成績良くなると思うんだ」
「成績悪くても問題ない。私大学行かないから」
百合子は驚く。てっきり私が進学するんだと思っていたらしい。
「どうして進学しないの? 比奈理ちゃんだったらどこの大学でも行けるでしょ?」
「うーん。行く必要性を感じないからかな」
私も、自分がどうして大学に行こうとしないのか分からない。
どうしてだろう。どうしてかな。
「比奈理ちゃん? どうしたの、そんな怖い顔して」
気付かないうちに”あの時”のことを思い出していたらしい。私は百合子の不安そうな顔に微笑みを返す。
「大丈夫。なんでもない」
「そう? 何か悩んでるなら遠慮なく言ってね」
返事の代わりに頭をなでる。百合子は途端嬉しそうな表情になり、私の腕に絡み付いてくる。
「おい、こんなところでくっ付くなよ」
「大丈夫だって。これくらいなら仲の良い女の子同士にしか見えないから」
腕に絡みつかれると歩きにくいんだけれど。でもまぁ、たまにはこういうのも悪くは無いかな。腕に当たってる柔らかい感触とか特に。
百合子って、着やせするタイプだったのか。
「でも流石に人通りが多い場所では無理だよね」
「そうだな」
もう少しで人通りが多い駅前に出る。そうすれば百合子は私の腕から離れていつもの距離まで離れてしまう。だから私は、少しだけ歩くペースを遅くした。百合子もそれを察して私に合わせる。
「比奈理ちゃんの顔、赤くなってる」
それを言われると余計恥ずかしくなるんだが。
私は百合子とは反対を向いて顔を隠す。
「別に赤くなってない」
「耳まで真っ赤なのに?」
「ほら、夕日のせいでそう見えるんだよ」
「そうだね。そういうことにしといてあげる」
百合子は笑いながら言う。自分の前に伸びる影を見ながら。
「やっぱりここがいい」
駅前に出た私達は、二人ともまだ家に帰りたくないということで、どこか時間を潰せる場所がないか探している最中だった。二人で候補を出し合い、悩んだ末に二つまで絞ったはいいが、そこで意見がぶつかってしまう。百合子は最近できた喫茶店に行ってみたいと言い、私は私で本屋に行きたいと思っている。
「だって本屋なんていつでもいけるじゃない」
「そんなこと言ったら喫茶店もいつでも行けるじゃん」
「最近できた喫茶店だから、早めにどんな雰囲気かとか知りたいし」
「私も、今日出た小説とか雑誌とか見たいし」
むすっとした顔で私を見る百合子は、言外に分からず屋と言っているようだ。けれど私もあの喫茶店には行きたくない理由がある。いや、正確に言えば、今日は行きたくない理由がある。
今日は月曜日。そう、それが問題なのだ。
「じゃあこうしよう」
妙案だというように百合子は両手を胸の前で合わせる。
「先に本屋に行ってから、喫茶店に行く。これでどう?」
微笑を浮かべて目を輝かせながら言う百合子。
もう、そんな笑顔で言われたら、私はもう反論出来ないじゃないか。
私は観念して首を縦に振る。
「よし。じゃあ早速本屋に行こう!」
百合子は私の手を引っ張り、早歩きで本屋に向かう。
繋がれたその手の感触は、少しだけくすぐったかった。
私が文芸書を選んでいる間、百合子は雑誌を立ち読みして暇を潰していた。と言っても、私も別に買いたい本があるわけでは無かったので、本屋にはそれほど長居はしなかった。そして私は、さっき百合子と手を繋いでしまったせいで、私がなんで本屋に行きたかったのか、なんで喫茶店に行きたくなかったのか忘れてしまっていた。
だから、喫茶店に入って、席に座り、その店員に声をかけられるまで、とことん油断していた。
「いらっしゃいませ。って、もしかして比奈ちゃん? 比奈ちゃんだよね?」
少しウェーブのかかった茶色の髪。端正な顔立ちにオシャレな眼鏡をかけていて、やたらとエプロンドレスが似合う女の子。間違いない。あの子だ。
「久しぶりだね! 元気だった? あ、元気じゃなかったらこんな場所来ないよね!」
相変わらず常にテンションが高いらしい。
私は軽く頭を抱える。どうしよう、だから来たくなかったんだよ。前に座ってる百合子も、心なしか不機嫌だし。
「どれくらい会ってないのかな? 確か最後に会ったのが中学の卒業式のときだから、約一年半ぶりか! いやー、ホント懐かしいね」
一人でどれだけ喋るんだろ、この子。
「えっと……あなたはどちら様で?」
百合子が遠慮気味に尋ねる。
「あっ、ごめんごめん。あなたは初対面だったね」
さっきまでのテンションを少しだけ落とし、落ち着いた声で自己紹介を始める。
「私は西条寺さなえ。比奈ちゃんとは幼馴染で、元恋人」
「こ、こいび……」
百合子が固まっている。開いた口が塞がらないとは正にこのことだと言わんばかりに口が開いている。百合子はさなえに向けられていた視線をゆっくりと私に移す。その目は抗議の目だ。私はそんな人知らなかったと言わんばかりの抗議を、視線でぶつけてくる。
私はそんな百合子の誤解を解くために、会話に加わる。
「さなえ。冗談はよせ。ほら、百合子が固まってるじゃないか」
「えへへ。ごめんね。でも、私が百合っ子なことには変わりないんだけれどね!」
謝る気がさらさら無い謝り方ではあったが、逆にそれでさなえが一体どんな人間なのかを理解できるだろう。
百合子は平静を装いながら自己紹介をする。
「わ、私は長内百合子です。比奈理ちゃんとは……」
そこで一端区切り、百合子は少しむっとした顔でさなえを見てから言う。
「比奈理ちゃんとはお付き合いさせてもらってます」
言うと思ったよ。百合子のことだから絶対言うと思ったよ。そんなに意識しなくてもさなえとはそういう関係じゃないのに。対抗意識なんて必要ないのに。
「そうなの! 比奈ちゃんやったね!」
満面の笑みで私を見るさなえ。
ああもう、こうなるから来たくなかったんだよ。私は両手で頭を抱える。
「こんな可愛い子ゲットするなんて羨ましいなぁ。私もこんな可愛い彼女ほしいなぁ。ねぇ比奈ちゃん。この子、私が貰ってもいい?」
「ダメに決まってるだろ!」
さなえはびっくりした顔で私を見る。言った後、私はどんどん恥ずかしくなって顔を見られないように俯く。自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。
「へぇー。比奈ちゃんはこの子、百合ちゃんにベタ惚れなんだね。やっぱり羨ましいなぁ」
にやにやと嫌な笑みを浮かべながら言ってるのが、見なくても分かるくらい言葉から伝わってくる。
その言葉を言い残してさなえは私達の席から離れていく。
残ったのは私と百合子。
ちらりと上目使いで百合子を見てみると、少しだけ頬が赤くなった百合子がこちらを見ている。
「……ありがとね」
照れ笑いを浮かべながら感謝を述べる百合子。もじもじするその姿は、とても可愛かった。
「別に、さなえに百合子はもったいないと思っただけだし」
「んふふ。そうだね。私には比奈理ちゃんが一番合うもんね」
私は恥ずかしくて、その先を言葉にできなかった。
だって、百合子は……。
「だって、比奈理ちゃんは、私のことが大好きだもんね」
百合子は、私のことが大好きなのだから。
「あそこのブレンド、意外と美味しかったね」
「無駄にでかいパフェしか記憶にない」
私達はあの後、パフェと珈琲を注文して(もちろん注文を受けた店員はさなえ)約一時間滞在していた。
「まだ顔赤いよ、比奈理ちゃん」
「うっさい。見るな」
私は片手で百合子の両目を隠す。
「比奈理ちゃんの手、少し冷たくて気持ちいい」
百合子は私の手を掴むと頬に当てて、気持ちよさそうに目を閉じる。
私は恥ずかしくて百合子から目を背ける。
「さて、もうそろそろいい時間だし、帰ろうか」
私はこの言葉を切り出す時が、一番気を使う。
百合子は掴んでいた私の手をより強く握る。
「うん。そうだね」
ここでいつも百合子は悲しい表情をする。こんな顔をされれば誰だって離れがたくなる。けれど、私達はまだ学生だ。それぞれ実家暮らしで、百合子の家は特に時間に厳しい。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」
百合子は私に背を向けて歩いていく。改札を通り抜けて奥の階段を上りきり、私は百合子の姿が完全に見えなくなるまでこの場を動かないようにしている。いつ百合子が振り向いても大丈夫なように。
やがて百合子の後姿は見えなくなり、しばらくした後百合子が乗っているだろう電車の音を聞いてから、改札に背を向ける。
「私も帰るか」
百合子が上がっていった階段を今一度振り返り見てから、私は帰宅の途につく。
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