第21話 転校生(2)
慶子と茉莉子の出迎えを受けた恭輔は、ひと仕事終えた充実感を味わった。しかしそれも束の間、忘れかけていた悪夢の感覚が再び恭輔を襲った。
時間が早いせいか、辺りはまだ人の歩いた形跡はない。学校通りに出るまでの路地は日陰である。
慶子は再び先頭に立ち、雪をかき分けながら前に進んだ。恭輔は家を出た時より雪に慣れ、手をつくことはなかった。が、その分、足の冷たさに神経が傾いた。長靴の中の雪水が外側から雪に冷やされて凍っていく、冷たい感覚から痛い感覚に変わっていった。
頑強な茉莉子は、しっかりとした足取りで慶子を追い越す勢いである。慶子は、何とか後ろからついて来ている恭輔の俯いた顔が蒼ざめているのを見て取ると、茉莉子を先に行かせ、恭輔の手を取って並んで歩くことにした。しかし、それは却って恭輔の意気地を奪うこととなった。
「足が冷たいよ……」
慶子は、弱音を吐く我が子をいっそのこと、おぶってしまおうかと思った。その時恭輔も母親と同じことを思った。が、次の瞬間、幼稚園の遠足でのことを思い出した。――
当時、長く歩き続けた後に脛に痛みを感じることの多かった恭輔は、遠足の帰り道で我慢ができずに慶子におぶってもらったことがあった。その様子を見た同年の女の子が「大きな赤ちゃんだね」と言うのを母親の背中で聞いた記憶が甦えって来たのである。
「もう大丈夫だよ」
恭輔は、慶子の手をほどいて再び一人で歩き始めたのだった。
三人は始業時刻の一時間近く前に学校に到着した。
茉莉子と恭輔は正門前で慶子と別れ、それぞれのクラスの下駄箱に向かった。
恭輔は重くなった長靴を脱ぎ捨てると、凍りついた靴下を足から外して雑巾のように絞った。新品の真っ白な上履きに素足を通し、転がっている長靴を邪魔にならない所に揃えた。
廊下を歩き始めると、そこは昨日とは違う場所に思えた。教室のプレートを頼りに進むと、『三年一組』は直ぐに見つかった。教室の扉に手を掛け、音を立てずに引いた。
まだ誰も来ていない。
恭輔は中に入ってうろ覚えの自分の席に近づいた。その机だけ中が空だった。鞄を置いて、椅子に手を掛けた。立ったまま薄暗い室内を見回した。――壁には模造紙の時間割表や、生徒達のめあてが書かれた色画用紙や、クラスの係りの一覧表などが無造作に貼られている。背もたれを手前に引き、座板の木目に視線を落とした後、ゆっくり腰を下ろした。机の左右にフックを見つけると、湿った靴下を片方ずつぶら下げた。
恭輔は、昨日自分の名前が書かれた黒板をぼんやり眺めながら、これからこの教室で起こる事を想像した。――教室に入って来る同級の子達、教壇の上の森下、朝の挨拶、国語の朗読、算数の板書、社会で使う教材、休み時間の会話、お手洗い、終礼、……あれこれ考えているうちに正義と慶子の顔が浮かんだ。彼はふと、二人には「友達ができた」と報告したいと思った。
――きっと自分が新しい学校に慣れるか、心配してるんだろうな。
恭輔はその報告が何より二人に喜んでもらえると考えたのである。家に帰ったら、笑顔で最初に「友達ができたよ」と言えばいい。無意識のうちにイメージ・トレーニングに入っていた。
するとその時、教室の扉が開いた。
女の子が二人、入って来た。
「転校生、もう来てるよ――」
小さな声が恭輔の耳にもとどいた。……(つづく)
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