第14話 中学受験
慶子が恭輔に脅迫めいた台詞を吐いたのも無理はなかった。四日前の日曜日、茉莉子の私立中学入試は全て不合格に終わった。進学塾での成績や模擬試験の評定からは予想もし得なかった、「本命」の結果が出たその日の晩、慶子は担任の澤田の自宅に合否報告の電話をした。電話の向こうの澤田もこの結果にはかなり驚いたらしく、言葉少なでショックを隠せない様子が伝わって来た。
「本人も相当ショックを受けたようですが、今は落ち着いています。明日から学校へ行かせますので、よろしくお願いします。……失礼いたします」――そう言って慶子は受話器を置いた。
翌朝、茉莉子は一週間振りに登校した。始業前にクラスメートから入試の結果を聞かれるのを避けるため、いつもより少し遅めに家を出たのだった。いつもながらの騒々しい教室に入ると、まもなく始業のチャイムが鳴る時刻となっていた。隣の席の典子に「久しぶりだね」と声を掛けられただけで一時限目の授業を迎えられそうだった。
澤田が入って来た。この六年二組は、殆どの生徒が自分の席についてからも喋るのを止めない。授業の準備をしている生徒など数える程である。
「こら、静かにしろ」
いつも、この怒鳴り声でやっと静かになる。澤田は席が全て埋まっているのを確認しようと教室内を見回した。すると典子の隣にいる茉莉子と目が合った。
「おう、マツリ、来たか。落ちたんだって?」
茉莉子は澤田の言葉に耳を疑った。自分の顔が熱くなるのをはっきり感じながら、頷く代わりに下を向く外はなかった。
「あいつ、落ちたのかよ」
「どこ受けたんだよ」
そんな男子の声が聞こえて来た。……
それからの茉莉子は、一日、針の筵に座る思いだった。授業の内容も何一つ頭に残らなかった。終礼後、走って家に帰った。勿論、学校であったことを直ぐに慶子に話した。
慶子はそれを聞くと学校まで自転車を飛ばした。学校には年中出入りしているから職員室の場所はよく分かっている。澤田を廊下に呼び出すと、その場で猛然と抗議をした。
「――そんなつもりで言ったんじゃなかったんだけどなあ」
慶子はその時の澤田の表情に薄笑いを見た。
「じゃあ、どんなつもりなんですか。先生だったら、もう少し生徒の気持ちを考えてくれたっていいじゃないですか。本人はまだ気持ちの整理もできていないのに、落ちたショックで休んだと思われるのが嫌だと言って、今朝は登校して行ったんですよ。それを……」
すると、澤田の顔色が急に変わった。口許から笑みが消えた。
「そんな過保護な親だから、子供がダメになるんだ。最初から落ちるのは分かっていたんだ」
慶子も朝の茉莉子と同じく耳を疑った。怒るより、唖然とした。
「最初から落ちるのは分かっていたなんて、そんなことがよく言えますね。先生のようなひとがいる学校に、とても子供は預けられませんよ」
「お好きになさい。私は事務が残っていますから……」
澤田はこれ以上相手にしていられないと言わんばかり、慶子に頭を下げるが早いか背中を向け、職員室の中に戻って行った。
慶子は家に帰ってからも腹の虫が治まらなかったが、正義になだめられ、翌日は茉莉子を学校に行かせることにした。
茉莉子は前日と同じように遅めの時刻に登校した。教室に入ると、既に澤田が自分の執務机の回転椅子に座っていた。
「おはようございます……」
茉莉子は蚊の鳴く声で挨拶した。
すると、澤田は椅子ごとくるりと茉莉子の方へ体を向けた。
「何で来たんだ――」
茉莉子は息が止まりそうになった。鞄を机に置くまでもなく、泣きながら教室を飛び出した。
それから十分経つか経たないかのうちに、慶子は職員室に怒鳴り込んだ。授業中の澤田を呼び出し、転校の手続を迫った。彼は引っ込みがつかなかったのか、それとも周りの目が気になったのか、何の言い訳もなくこれに応じたのである。――(つづく)
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