第11話 寄留
「先生、この度はすみません……」
慶子は素早く彼女に歩み寄り、深々と頭を下げた。
「いいえ、……こちらのお二人がお姉さんと弟さんですね、――江川です」
茉莉子と恭輔はこの年配の女性の唐突な自己紹介に慌てて自分達の名前を言ってお辞儀をした。
「お二人とも目がきれいで素直そうなお子様ですね、安心しました」――面通しの結果は合格というところだった。
「これが転入学に必要な通知書です。役所の方の手続はもうお済みですね?」
「はい」
慶子は通知書を恭しく受け取り、バッグにしまい込みながら区役所の封筒を取り出すと、数時間前に交付されたばかりの住民票を江川に見せた。そこには、バス停近くにあったパチンコ店の住所に『緑川光』、そして『新田茉莉子』、『新田恭輔』と印字されていた。江川は内容を確認し、それを自分の持って来た封筒に入れた。
「向こうの学校から証明書は出ましたか?」
「ええ、何とか。息子の方の先生が渋っていましたが……」
「そうですか……大変でしたね。――明日、その証明書と今お渡しした通知書を学校に持って来てください。くれぐれも私のことは学校には内密に、お願いしますよ」
「それはもう、……承知しました」
「このあと、緑川さんの方へお訪ねになるのでしたよね?私も執務中で長居はできませんので、これで……」
「先生、今晩ご自宅にお伺いしたいのですが、何時頃でしたらよろしいですか?」
「そうですね、夜七時には戻っておりますので……」
小声でそう言うと、彼女は眼鏡の縁に左手の指先を添えながら、小柄な身体をさらに小さくするようにして店から出て行った。
慶子は少々時間を置いてから、酒屋の嫁と思われる女性に軽く頭を下げ、外に出た。茉莉子と恭輔は、慶子に無理やり選ばされた炭酸飲料の缶を片手に、この状況を十分に呑み込めないまま後を追った。三人は来た道を戻り、バス停前の食品スーパーを通過すると、派手なパチンコ店の裏手に回った。『御用の方はこのボタンを押してください。緑川』と貼り紙されたインターホンを見つけると、慶子は呼出しボタンを押した。
「はい」――インターホン越しに女性の声がした。
「新田です、江川先生からご紹介いただいた……」
「あっ、はい。ちょっとお待ちください」――
しばらくすると、裏口の扉が開き、遊技機の騒々しい音と共に先程の声の主が顔を出した。
「緑川です」――慶子よりも五、六歳歳若い、接客に慣れた感じの女性だった。
「この度は、本当に無理なお願いをしましてすみません」
この日の慶子は頭を下げっぱなしだった。
「いえ、いえ、お気になさらないで……」
彼女は掌で軽く制止する仕草を見せた。
「つまらない物ですが……」
慶子は細埜の手提げ袋を彼女に差し出した。和菓子の包みには挿み込まれた謝礼の封筒が覗いている。
「そんな、お気遣いいただかなくても……」
彼女は恐縮しながら手提げ袋を受け取った。
「すみません、本当に助かりました」
慶子は改めて深々と頭を下げた。(つづく)
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