第6話 特攻隊の弟

 恭輔は、葛西東小でこれが最後になるのだろう、そう思いながら給食を終えた。机の島も元に戻り、食器や残飯を片づけた給食当番の生徒達も教室に戻って来た。五組の教室の前にはもう他の組の生徒達が集まって来ていた。

 それに気づいた恭輔は、持ち主の分からないペンをひとまず机の中に置き、筆箱から自分のペンを取り出して廊下に出た。傘立てに腰掛けると、給食の前の続きを始めた。――先程より生徒の数が明らかに増えている。恐らく、他のクラスでは食事中に恭輔のことが話題になったのだろう。

 上級生達は、皆、振り返りながら行列の横を通り過ぎて行った。

「あれ、マツリの弟だろ?」――六年男子のグループである。

 会話は恭輔の耳にとどいている。が、彼は顔を上げず、そのまま作業を続けた。

 マツリとは、茉莉子のあだ名である。彼女はこの学校ではかなりの有名人だった。慶子がPTA会費の切り盛りの一切を担う要職に就いていたことから、教師や父兄の間ではその娘ということでよく知られていたし、同級生の間でも持ち前の活発さで目立っていた。けれども、彼女が全校の生徒達の間で一躍有名となったのは、五年生の時にある事件を起こしたからである。それは、忘れ物に気づいた茉莉子が、家に取りに戻ろうしたことから起きた。――


 その日は風が強かった。正門玄関口では、普段は開放されている観音開きのガラス扉の片側が施錠される程だった。

 茉莉子は二時限目の終わりを告げるチャイムを聞くが早いか、教室を飛び出し、上履きのまま校舎の外に出ようとした。階段を駆け降り、その勢いで視界に入った正門を目指した。彼女は傍にいた何人かの生徒を避け、その左側を通り抜けた。が、そこには動かない扉が待っていた。厚さ五センチ近くもあるガラスを突き破ったのである。

 勿論、大柄な茉莉子の身体も無事ではなかった。駆けつけた教師達や野次馬の生徒達で騒然とする中、血だらけになった彼女は救急車に運び込まれた。現場には「く」の字に折れ曲がった名札が桜のバッジと一緒に転がっていた。――家族も学校も肝を冷やした事件だった。

 それ以来、恭輔は上級生から「マツリの弟」と呼ばれるようになった。「特攻隊の弟」などと揶揄する輩もいた。が、その一方で、同級生にはそのような生徒は誰一人としていなかった。

 恭輔にとって、自分は自分、それ以上でも以下でもなかった。姉の事件についても、膝に残った大きな傷跡には身の凍る思いだったし、口許に残った鼻汁を垂らしたような傷跡を見るたびに気の毒に思った。が、それを自分のことのように恥ずかしいと思うこともなく、また自分に対する上級生達の態度にも無関心だった。


 五組の生徒達は恭輔を除いて皆、校庭に出ていた。

 休み時間も残り七、八分くらいになった頃、教室にはいち早く一人の女子が戻って来ていた。――結子である。彼女はその後、五時限目の体育の準備が始まるまで、席についたまま立ち上がることはなかった。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 廊下の行列はかなり短くなっていたが、順番が回って来なかった子達は、残念そうに引き上げていった。恭輔はそれを目で追った。誰も見えなくなり、自分も教室に入ろうとした時、廊下にノートの切れ端が落ちているのに気がついた。

 きっと、誰かがノートの頁を破った時に落としたのだろう……そう思ってこれを拾い上げ、どこかへ捨てようと辺りを見回した。すると、今は使用禁止となったダスターシュートが目に入った。

 恭輔は一学期にやらかした悪業を思い出していた。――(つづく)

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