浅田 計 02

 自分の意見を持つことがそんなに大切だろうか。流されるのはそんなに悪いことだろうか。

 俺、浅田あさだけいはそう考えるタイプの子どもだ。

 主張を通すことを目的とした端末、『マニフェスト』が日本中に普及したからといって、それを理由に個人の主義主張を持つようにするのは、むしろそれこそ流されているということじゃないのか? 流行りに乗っているだけじゃないのか?


 日本は民主主義、資本主義の国だ。個人の意見が重みを持つ仕組みの国だからこそ、誰と対立することもなく迎合し続けることはこの国においては精神的な死に近い。きっとかつての日本では「どうせ俺が言っても通らない」と主張を通すことを諦める人が多くいたのだろう。端末マニフェストが瞬く間に普及した事実から考えると、それは実際簡単に想像できる。


 とはいえ、その素晴らしいアイテムも、誰もが上手く使えるというわけじゃないだろう。今の『マニフェスト』はスマートフォンのような多機能携帯端末としても使うことができるが、それ以外の点では決して便利アイテムではない。ハサミやモノサシのような誰でも扱える道具ではないのだ。

 理由は簡単だ。通常、主義主張は独り言ではない。もちろん誰に語るつもりもない主張も世の中にはあるだろうが、端末マニフェストは自らの主張を効果的に相手に伝えることを目的としたものである。

 相手に伝える主張なのだから、話し手と聞き手の両方が存在しなければ成り立たない。ローカル通信対戦のみ遊べるゲームのようなもの、と言えば伝わるだろうか。端末を持つ者同士でしか効果をなさないのである。

 なぜなら、イズムを顕現できるのが端末を持つ者だけであるように、他人のイズムを認識できるのもまた、端末を持つ者だけなのだ。

 まあ、普及率の面で言えば、その問題はとっくに解消されているようなものだが。


 イズムは、現実に干渉するものではない。と言うと一部語弊があるものの、概ねそうだ。それも当然、イズムには形はあっても実体がない。無から有を作り出すことができないのは俺でも知っている。黒野が出したものが鳩の形をしていたのは、端末を起動して所持している者には少しの違いもなく同じに見える。

 しかし、実際にそこに鳩がいるわけではない。端末が持ち主に「そこに鳩の形をした黒野のイズムがいる」という幻覚……いや、正確には共通幻想だったか、それを抱かせるのだ。やっていることは集団催眠に近いと思う。

 ちなみに、共通幻想という言葉は俺の頭では意味が取れなかったため調べたところ、国や紙幣のように「そこに実際にあるわけじゃないのに誰もがあると認識することで成り立たせるもの」のことらしい。確かに国も都道府県市区町村も人間が勝手に区切ったものだし、紙幣は凝った印刷のただの紙に人間が勝手につけた価値だ。

 だから、ただの幻覚、イメージであるイズムに現実のものを動かすといったようなことは出来ない。現実で音を立てることもできないし、光をさえぎることも反射することもできない。そこに存在しないからだ。

 しかし、端末マニフェストを持つ者にはそれが見える。音も聞こえる。触れることこそできないが、それを除けばそこにイズムが存在するとしっかり認識できる。


 イズムの姿形は個人によって異なる。そりゃ主義主張は人によって違うのだから、それの顕現であるイズムが皆同じ形なわけがない。

 多くは伝えるという意図のため生き物の形を取る。が、それでもバリエーションは様々で、鳩や猫のように現実にある生き物を模すこともあれば、空想上の生き物や全く見たことのない生き物が出てくることもある。中には自分の姿のイズムを出す変わった者もいるらしい。

 ただ、適性の問題なのか、確固とした主義主張を持っていてもイズムを出すことができない者は、ネットを見る限りいないわけではないようだ。



「……時間か。浅田」

「終わりっすか」

「今日はな」

 続くのかよ。

 心中でぼやいて、端末を下ろす。

 結局、黒野が出したようなイズムは俺の前には一向に現れず、九十分を無為に過ごした。ちなみに黒野は成功した時点で帰ったため、教室に残っていたのは俺と榊原の二人だけだ。

 カバンを掴んで立ち上がり、端末を手渡しで返却する。窓の外を見ると、来る時より強い日差しが道路を熱していた。どこか寄って涼むか。こんな日くらい図書館に寄ってみてもいい。そんなことを思いながら教室を出ようとすると、真後ろから榊原に呼び止められた。

「浅田、待った」

「…………」

「露骨に嫌な顔するな。ま、ちょっと話そうや」

「……わかりましたよ」

 返事をして、座っていた席に戻る。

「何の話っすか」

「いや、もうちょい前来いよ」

 めんどくせえ。

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