第2話

「……暑い」

 どこか締まりのない表情で扇風機に顔を近づけている彼――金剛 真白ましろ

「地球は太陽から独立すべきだと思うんだ……そんな独立戦争なら、俺は喜んで志願するぜ」


 規模の大きい荒唐無稽を口走る人間は馬鹿。

 僕は真白の言葉に相槌を打ち、コップに入った氷で口を膨らませる。


「ウサギ~、ちょっと覚醒して太陽に喧嘩売って来いよぉ」


「……シロ、ちょっと黙れ。暑くてイライラしているんだ」


「そのイライラは俺じゃなくて太陽に向けるべきだと思うけどなぁ」


 それを太陽に向けられるのならとっくにやっている。それが出来ないからこそ、人類はエアコンという太陽に対抗できる文明の利器を作ったのだろう。


「お前は良いよなぁ、地球が滅んでも月に逃げられるからなぁ」


「僕は地球産のウサギだ。月に知り合いなんていない」


 宇佐見 美兎みう――僕の名前である。

 こんな名前であるために真白は僕のことをウサギと呼ぶ。


「……なぁ、俺思ったんだけど、雪国に行けばこの暑さから解放されんじゃね?」


 多少涼しいかもしれないが、日本にいなければならないのなら、夏という季節は平等に訪れるだろう。

 それよりも、今人類で初めて自分が思いついたように真白が話したが、聞かなかったことにしよう。と、僕はパソコンの電源を入れる。


「なぁ、雪国いこうぜぇ」


「一人で行って来い。僕はエアコンの下で十分だ」


「そのエアコンが壊れてんじゃねぇか……」


「五月蠅い。それなら自分の部屋に戻れ」


「ヤだよ。俺の部屋のエアコンも壊れてるもん」


 真白が扇風機に口を近づけ、「あ~、あ~」言っている。


「……なら文句を言うな。と、いうか――だな」

 テストを前日に控えた日曜日であるにも関わらず、扇風機に近づき、漫画本を抱えている真白の目の前で傍にある教科書を指差す。

「おい、テスト勉強――」


「あ~あ~、ワレワレハソーセージダァ」


 ソーセージ? 双生児のことだろうか? 

 それは新人類でもなく、珍しいが珍しくもない普通の双子だったと僕は記憶しているが、真白には違うらしい。


「……ったく、ここに来たのなら少しは勉強を――って、なにやっているんだ?」


 真白が風車を手に持ち、扇風機の風を顔面に浴びていた。

「風邪をひくためにな」


「……そう」


 風が引いているように見えるのはきっと気のせいだろう。と、僕は真白から目を逸らす。


 しかし、ふと担任の先生が話していたことを思い出し、僕は声を上げてしまう。


「どうした?」


「……いや」

 言い出しにくいことを思い出してしまった僕は、首を傾げる真白に何と言って切り出そうかを考える。

「ところでどうだ? 風邪はひけそうか?」


「ああ、体が冷たくなってきたよ」


「……そう」

 それは汗を掻いているからではないだろうか?

「まぁ、お前がそれでいいなら僕は止めない」


「なんだよ、さっきから微妙な顔してよ。お前も風邪ひいて一緒に休むか?」


「……大変言い出しにくいんだが」


「なんだよ?」


「いや、気にしないでくれ」


 無垢な表情を向けてくる真白――これが彼の唯一人に誇れるところだと思うのだが、表情が園児のそれと同じであり、ある程度のことなら何しても許される節がある。

 故にそんな顔をする真白に現実を突きつけることはしたくないと思ってしまったのである。


「……なぁ、その、落ち着いて聞いてくれよ」


「あんだよ、青い顔してさ」


「お前、次赤点取ったらセンセの家で補習じゃなかったか?」


 真白の顔が海よりも空よりも青く、名前よりも真っ白になっていく。


「……死のう」


 真白が扇風機の隙間に指を入れ、羽に指を当てようとする。

 僕はその腕を掴み、首を振る。

 それでは死なないよ。と、いう言葉を飲み込み、頭を掻きながら息を吐く。

 ここまでショックを受けるのなら、言わなければ良かった。


「いや、もしかしたら僕の勘違いだったかも――」


 火に油。同情されているとわかってしまったのだろう。真白が瞳に涙を貯め、俯いた。


「……止めないでくれ。俺は扇風機に殺される」


「落ち着け。それなら窓から飛び降り――じゃなくて。まだ1日ある」


「もう無理だよ。俺は赤点を取るんだ……もう駄目だ」


 諦めきった真白に僕は深くため息を吐き、しょうがない。と、慰めの言葉を投げる。


「僕も手伝う。だから諦めるな」


「……本当?」


「ああ、面倒だけど、幼稚園の頃からの付き合いだ、僕に任せろ」


「ウサギ~、ありがと――」


2×9ニク?」


「36!」


 諦めよう。

 突発的に九九の問題を出してみたが、2の段すら出来ないのなら、諦めるしかないだろう。


「Is your name Tomu?」


 真白が漫画本にデカデカと描かれているゴリラの絵を、出来心で万引きしてしまった子どものようにチラリと見たのを僕は見逃さない。


「か――トムの名前はゴリラです!」


 トム属ゴリラ科。

 真白にとってのトムは種族であり、名前はゴリラとのことである。


「あ~うん、まぁなんとかなるんじゃないか?」

 僕は投げやりに言い放ち、真白から視線をパソコンに移す。


「……今、見捨てなかったか?」


「いや、諦めただけだ」

 これだけスッカラカンの頭ならば、いっそのこと先生にしごかれた方が世のためだろう。


 真白が頭を抱え、全てを悟ったような表情で扇風機の中に指を入れ、羽を指に当てようとする。しかし、指を掠ったような音がした瞬間、真白が飛びのき、大きな声を上げた。


 痛いのならばやらなければ良いと思ったが、わざわざそれを指摘するのは馬鹿らしく、僕はネットニュースに集中する。


「お、挽肉田ひきにくた 天麩羅子てんぷらこ来るじゃん」


 この町の出来事が載っているニュースサイトに目を通すと、そこには大きく『稀代のマジシャン現る』と、書かれており、今世界中から注目を集めている手品師、挽肉田 天麩羅子がこの町の住人たちに手品を披露するらしい。


「え、マジ――」

 痛がっていたはずの真白だが、すぐに表情を明るいものへと変え、傍に寄って来て画面に視線を向けた。

「うをぉ、マジだ。よし! これ行こうぜ」


 上機嫌に楽しみだと口にする真白なのだが、天麩羅子が来る日にちが夏休みに入ってすぐであり、補習になった場合、そもそも行けない可能性もあり、僕はため息を吐いた。


「はいはい――」


「とりあえず控え室か何かに入って、種を明かしに行こうぜ! 天麩羅子の手品の種を暴いたとなれば、俺たち有名人になれるぜ」


 鼻息を荒げ、興奮気味に言葉を放つ真白。気分はもう有名人なのだろう。しかし、その方法では覗きやその他諸々で訴えられそうな気もするが、僕は黙っていることに決めた。

 それに、そもそも真白は補習で行けない気もし、何よりそんなことを考えている真白を連れて行くべきではないと思う。

 先生に真人間と変えてもらった方が良いだろう。


 僕は真白を現実に引き戻すために鞄から教科書を取り出し、それを真白に見せる。

 すると、真白がげんなりとしながらそっぽを向いてしまう。


「天麩羅子に会いに行きたいんだろう? このままじゃ、夏休みが潰れるかもしれないぞ?」


「う~、う~!」


 子どものように唸る真白だが、ここは心を鬼にして赤点を取らないようにするべきだろう。


「さ、僕が最後まで付き合ってやるから、今日はテスト勉強をしような?」


「……うん」


 僕はノートに問題を適当に書いていき、それを真白に手渡す。そして、口頭で問題を出しながら、わからないところを教えていく――を、繰り返し、繰り返し行なった。

 夏休み1週間前、この勉強が夏休みを高校生らしく過ごすための第一関門となるだろう。

 僕はこの腐れ縁ともいえる真白とダラダラと過ごす夏休みを想い、わかりやすく勉強を教えていく。


 そして――テストの日へ向け。

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