魔法使いの根城 第一話 愚者の塔 前編




そこは誰かが作った塔である、建造されたのは世界創造に限りなく近い創造歴百年からなる巨大な建造物。そこは冒険者達が、宝を切望し、魔術師達がまだ見ぬ古代の失われた魔法を求めた大迷宮、英知の塔。

悠陽とアイリスはまさにそこの頂上を目指して登っていた。


「だあああああっ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 」

「ユーヒっ、ごめんなさい! 」


背後には緩やかなカーブを一気呵成に転がってくる岩石。今まさに登ってきた道を全力疾走で下っていた。

俺は今風になっている。速く走らないと死ぬ。寧ろお陀仏したら、ホントに風になっちまうと、必死の形相で通路を走り抜ける。両壁に均一に埋まっている明かりが後ろに流れて行く。背後に迫っている岩石が焦燥を駆り立てる。

確かこの先に脇道があったはずだ。


「謝るより先に走れ。先の通路の右に飛び込め! 」

「はいっ。あっ」


アイリスが足を躓かせた。絶望の表情を浮かべる。

不味い、くそっ強引に飛び込め! 

悠陽は引っ張っていた手を強引に引き寄せる。頭を抱えて脇道に全力で飛び込んだ。


「げほっ、アイリス、大丈夫か? 」

「だ、大丈夫です。私よりユーヒの方が」

「俺は問題ない。それより装備が心配だ、安全確認して中身が無事か確認するぞ」


間一髪、何とか生き延びた。直角に曲がっている通路に全力で飛び込んだので壁に思いっきりぶち当たったが、俺は鍛えているので問題ない。

それよりも今持っている装備の方が心配だ。

たった一つでも壊れれば、魔法が暴発してアイリスもろとも木っ端微塵間違いなし。

そしてこの迷宮をクリア出来るかもしれない、魔法術士悠陽・エーテルとしての切り札だ。



「よし、そこの鍵は慎重に開けてくれ……そうだ。よし。試験管も割れてないし魔力も後一時間は持つな。魔紋も、問題ない。アイリス今何時だ」

「四日目の夜の九つです。この愚者の塔ここを上がれば、後二層……ここで野営しますか? 」


女の子座りで座っているアイリスは、膝立ちで座っている悠陽に上目遣いで尋ねる。

悠陽それに首を振って断りを入れた。

そう、ここを上がれば後一層であるのだ。ここをクリアすれば最高難度と言われる数少ない迷宮の攻略者。冒険王の称号が手に入る。


「だめだ、今日の内にこの上の層の最後まで行く」

「絶対、無理ですよ。一週間の内四日でここまでたどり着いけました、聞いた話ですけど、頂上階に辿り着いた人達が最後の七日目でしたよね」

「ま、そうだな。二人で四日の内に五階層攻略は偉業だと思うわ」


悠陽は軽く口にした。二人そろって壁にもたれかかる。二人とも装備している剣や斧槍がガシャリと音を立てる。


アイリスは動きやすいよう軽くて丈夫なあるモンスターの糸を使った魔法鉄の胸当てに肘あて、膝あてと籠手と言った装備。腰にはレイピア、唾がない片刃のそれは鋭く、刃の鏡面は鋭く光を反射。刃の根元から十センチ程度まで深緑の魔紋が施されている。そしてその背中にはバックパックがある。


悠陽は麻のシャツに竜の皮のズボン、腰に二つ、クロスして巻き付いたウエストポーチがあった。ポーチのベルトには試験管を通すホルダーも付いていた。

両手首には試験管を取り付ける事が出来る手作りの器具、合計五つ接続する事が可能である。


背中には同じくバックパックが、正し、悠陽のそれには身長を超える長さのハルバートの刃が後ろに向き、取っ手が上を向いて掛けられていた。


「なら、急ぐ理由はなんですか? ユーヒは時折馬鹿ですよね、大きな鴉をただのパンチで倒すとか。ユーヒは絶対魔術師でも魔法使いでもありません」

「ああ……あれ絶対八咫烏だったよなぁ。なんでこんな所にいるんだか」

「や、ヤタ…? 何て言いました? 」

「ヤタガラスだよ、確か神話の中でも有名どころでリヴァイアサン級の超、強い奴」

「それをパンチで消し飛ばしたユーヒにドン引きです」


思わずユーヒから距離をとる。

アイリスの依頼を受けてから既に六日経っていた。あれから二日、この迷宮、英知の塔に到着するまでに色々あって、悠陽とアイリスは軽口を叩ける位には仲が良くなった。迷宮に入ってからはお互いに命を預ける関係になって、それがより顕著に表れている。


「それで、なぜですか? 」


今日中、七階層で構成される塔は七体の守護者が守っている。七階層目は階段を登った先すぐに広いフロアがあり守護者との二連戦が待ち構えているらしい。異例のスピードなのに、これ以上急いでどうするのかと。当然の疑問だ。

悠陽は苦虫を噛み潰した様な顔で答えを出し渋りつつ答えた。


「……魔法具がやばい。予定より劣化が早い、走ったり転んだりしてるからか、後一日で全部爆発するかも」

「自分は魔法調合士の天才だーとか言ってましたよね? 」

「当たり前だ。これは俺じゃなきゃ作れない。世界でこんな事してる奴は間違いなく俺だけだ。この技術は、普通なら十秒持てば国に表彰される位の技術なんだよ」


その言葉にアイリスは訝しげな視線を送る。なにせ悠陽が作ったらしい魔道具はアイリスが来る前から作り置きしてあったと悠陽が言っていたからだ。


「怪しさ満点ですね」

「うるせぇ、お前が言うか。よかったな、俺みたいな優しい錬金術師がいてよ」

「悠陽が優しい? それは勘違いですよ。優しいなら、ウォーモンキーを前に私を盾になんかしませんし、普通」


魔法を保存する技術、アイリスは自身が世間知らずで在る事を理解している、自分が居た村は人の流通が無い場所であった。身内の商人が外に出て、魔道具や服、必需品を買い付けてくる位である。


「それはちょうど身体強化の魔法が解けたからであってな……。お前だってレイピアで俺を切ろうとしたじゃん? 」

「あれは事故です。ユーヒはワザとじゃないですか」

「す、すまん…。意外と根に持つ奴なんだな、お前」


だから悠陽から聞いた時は信じられなかった。そんな便利な物があるなんて、本当でも到底信じられなかった。誰でも魔法か使えるなんて夢物語である。

何より、一人の魔法使いとしてもだ。


「そうですね…。此処を出たらユーヒのお金でご飯を食べましょう。それでチャラです」

「……その見てくれでイイ性格してやがる。まぁ別にそれ位なら構わんが」

「町で見かけた、黄金亭で食べましょう」

「ふざけんな小娘、あの店幾らすると思ってやがる」

「グレゴリータイラントの糸に捕まった時助けてあげたのは? ミノタウロスに斬られそうになった時も」

「おい、待て。それは前衛後衛の役割分担だろうが」


だが、そんな疑惑はこの塔に入って、霧散した。証明して見せたのだ、実演を持ってして。

アイリスは悠陽がなぜこの便利な魔法具を売ったり、国に見せたりしない理由を知らない。

賢者の石を作る無理難題を押し付けたが、この青年なら不可能を可能にしてくれるかもと言う希望が見えてきた。


「ユーヒは細かい事を気にしすぎです」

「……………」


舌戦ではアイリスが一枚上手である。

悠陽はわざとらしく両手を挙げて降参のポーズだ。


「わかった。オーケー理解したよ、次からも盾にする代わりに俺の驕りだ」

「分かればいいんですよ、分かれば」


ふふっと陽気に笑うアイリス。悠陽も仄かな笑みを浮かべる。

体も休まってきた。正直、このままベッドに埋もれて休みたい。

体が悲鳴を上げているが無視する。


「……正直、お前がここまで戦えると思ってなかった」

「何ですか唐突に、キモイです。体をじろじろと見ないでください。欲情してもいいですけど、それは賢者の石の後ですよ」

「話聞けよ。それにそのセリフは三年早い。俺が言いたいのはな、お前がいたお蔭で冷凍魔法を温存出来た、嬉しい誤算って奴だな。正直もっと早く使う予定だったんだ」


事実、悠陽はここまであまり力を使っていない。それはアイリスが魔法使いで、その中でも希少な身体強化の使い手だったからだ。ここまで来るのに二つのバックパックの内に半数は使い切っている予定であった。

およそ、六本ほどの節約。五本で塔の守護者を一体倒せる魔法を。これは間違いなく大きな戦果である。


「保存するのには俺の魔力が必要だ。このまま行くと頂上に着く前に保存に使う魔力、神秘の因子が限界になる。これも、急ぐ理由の一つだな」

「私のせい、ですか」

「そうだな」

「普通なら、慰めるべき場面だと思うんです。ユーヒの馬鹿」


間髪入れずに肯定した悠陽にアイリスは毒づく。私のお蔭でと言っていたから、嫌な気分にはなってない。急ぐ理由は私がユーヒの想像以上に使えたかららしい。

ユーヒの鼻を明かせた事は喜ぶべきだ、でも急がなければならない理由も私だ。

嫌な気分だ、油っぽい食事をして吐きそうになった時よりも。


「お前、なに落ち込んでるんだ? 」

「落ち込んでません。疲れただけです」


少し声が震えていた気がする。これ以上何か聞かれるのも無理だ、時間が無い。アイリスは自分に言い聞かせた。

気合を入れ立ち上がる。


「行きましょう、座ってる時間がもったいないです」

「……ああ。行こう」

「はい、罠を警戒して私が先行します。次は油断したりしません」


私は願う。万物を見通す眼、大空を見渡す世界を。


アイリスが言葉に力を込めて呪文を紡いだ。眼の赤みを増す。

魔法発動に必要な呪文、それはアイリスにとっては祝詞である。魔法使いは言葉に魔力を込めたり、乗せて発動させる。呪文に決まったものは無い、自分が発動しやすい言葉で行えばいい。

魔法を発動させたアイリスは強化した目で、罠を見逃さない程度の速度で走りだした。


「やっぱまだまだ子供ってことか…? 思春期は大変だ」


悠陽はアイリスに聞こえないように、口の中だけで呟いた。

聡明であるからついつい子供で在る事を忘れてしまっていた。正直このタイミングでさっきの言葉は失敗だったかも、おどけずに礼を言っておくべきだったか。

会話で気疲れさせてしまった。

悠陽はこの後どうやってフォローするか、足を動かしながら戦いの最中も考えるのであった。




英知の塔、この迷宮は数ある中でもオーソドックスな迷宮だ。

試されるものは強さである。

様々なモンスターとの戦闘。この迷宮ではルールの内で戦うことが要求される。

入れる人数は七人のみ、そして七日が攻略できるタイムリミット。七日を超えると強制的に外へ転移。

数多の冒険者がこの迷宮に足を運ばせ財宝を求め登ったが、とあるパーティーが挑戦し、塔の全貌が明らかになった時を境に、この塔は愚者の塔と、皮肉交じりに呼ばれるのであった。




「ぜああああああ! 」

化け物を相手する恐怖を振り払い、会敵と同時に全力で踏み込んだ。相対するは合成獣、蛇の体に蝙蝠の翼、そして鳥の頭を持つ化け物。自分よりも大きく、鋭い嘴で貫かれたら生きては帰れない。

全身の力と体重を乗せて、上段からの振り下ろし。この一太刀で頭蓋をかち割らんと扇状の刃が振り下ろされた。放たれた斬撃は地面を砕く!

合成獣キマイラは頭の部位ごと引き絞る事で刃の範囲から逃れる。ミチミチミチと筋肉が収縮。その様は弦が引かれたクロスボウを彷彿させる。

嘴で貫かれる!

だが悠陽が嘴に貫かれる前に、その背後から地面すれすれを、滑り込むようにアイリスが突貫した。

ぬるりと、合成獣の懐に入りレイピアを煌めかせる。

身体能力が強化された、人外とも思える速度で下段から斬りあげる。

スパンッ! 

真っ直ぐな剣筋が、残像を残したのが悠陽に見えた。

斬り離された胴体がアイリスと悠陽へ落ちてくるが、悠陽の戦斧による突きで弾き飛ばされて、事なきを得た。


「ただのモンスターがこのレベルですか……」


アイリスがレイピアに付いた血を振り払う。

今の戦闘は余裕に見えても危険であった。普通なら避けれない、悠陽の不意の一撃が躱され、そのまま反撃してきたのだ。一歩間違えば即死である。

アイリスは悠陽をちらりと見る。彼も戦斧の刃が欠けていないかチェックしていた。

彼は本当に魔術師なのだろうか? 

この塔に来てから何度もした自問である。魔法を使い、武器を持ち果敢に攻めるスタイルはまさに戦士。だが彼は魔術師を自称する。

一般的な魔術師は戦いなどせず生涯を終えると、アイリスは大好きなお爺さんから聞いた事がある。

改めて問おう。目の前の人物は、本当に魔術師なんだろうか? 

戦いも、私に合わせている節がある。度々戦闘中にそれを感じるのだ、背中合わせに戦っている時の視線であったり、先程の戦闘でもアイリスが介入しやすい姿勢でユーヒは斬り込んでいた。

私は珍しい前衛型の魔法使いだ。使える魔法は身体強化だけ、いつか村を出て旅に赴きたいと密かに温めてきた力だ。


「アイリス、助かった。話じゃマンティコアとかミノタウロスが主な怪物らしい。特殊能力を持ってないのが幸いだけど、油断するなよ」

「……さっき死にかけてたのは、ユーヒでしょう」


だが、目の前の青年には敵わない。

生きた年数が違う。男と女だ、力が違う。そして、残酷なまでに才能が違う。

胸の内から湧き上がる嫉妬に、嫉妬している自分に対しての自己嫌悪に、口調が棘のある物になる。


「……嫉妬してんのか? それとも嫉妬してる自分が嫌なのか? 」


最悪だ、顔に出ていたんだろうか? 何か返そうとしたけれど、口を開いたけれど、言葉が出ない。

無力な自分をまざまざと見せられている。


「あのなぁ、お前の歳でそこまで戦えるのは異常と言っても可笑しくないんだぜ? なんで焦ってんだ。焦りと油断は自分を殺す、今は集中しなきゃダメだろうが」

「分かってます」

「納得はしてないって顔に書いてる」


お互いに睨み合う。悠陽の眼差しは呆れも多分に入っていた。

数秒間の沈黙。根負けしたのは悠陽だ。大きく息を吐くと、地図を開いてそのまま進みだした。もちろん周囲の警戒は怠らずに。

アイリスはその背中をじっと見詰めていたが、そのまま悠陽の後を追う。

その場に居たら、駄々をこねている子供の様で嫌だった。

アイリスにとって気まずい沈黙が続く。


「俺が戦えるようになったのは二十歳ぐらいだ」

「はい?」


ユーヒはこちらを見ない、表情はどこか遠い場所を見ていた。

歩みもそのままに、話し出した。


「お前ぐらいの歳で爺さんに拾われてな。戦いの訓練を始めたのはその時から。木刀持って、ひたすら模擬戦して毎日毎日負け続けて勝てるようになったのが二十歳くらいだ。一勝するのに七年も掛かっちまった。魔法はあんまり苦労はしてない、俺の中の魔法因子の量はかなり濃いみたいだから。んで、冷凍魔法は俺だけで作ったわけじゃない。爺さんとかお前も知ってる鍛冶師のバルディの共同開発だよ」


ユーヒは少し恥ずかしそうに、ただその声はどこか楽しそう。


「だからお前は俺より上出来だ、たった二年の修行でそこまで出来るんだから」

「…………」

「お前の魔法と剣の腕は、才能と努力の証だ。ほんと、俺が自信なくしちまうくらいには」

「そう、ですか」


ユーヒは手鏡で通路の先を見る。通路には怪物はいない、このまま進めば大き目の小部屋に出る道だ。


「何を落ち込んでいるか知らないけどな、そんな暇あったら全力で俺の事助けてくれ」

「それもそうですね。ユーヒは情けないですから」

「うるせぇこの野郎」

「あいたっ! 」


ベシンとアイリスの頭を叩く。どうやら気を持ち直したみたいだ、如何に戦闘が強くとも四日も迷宮に籠もり、生と死の境界線の綱渡りは容易く熟練の戦士の精神でさえ削り取る。

不安定になるのも無理はない。

悠陽が平気に見えるのは、目標であった英知の塔攻略を目前にして高揚しているからだ。

自他ともに魔法バカであると認めている悠陽にとって、目の前に吊るされた黄金の知識を手に入れたくて仕方がない。そういった感情が悠陽に力と心の平穏をもたらしている。


「行くぞ、迷宮ももうラストスパートだ」

「ですね、賢者の石のレシピ、手に入れましょう」

「ま、手に入れてみないと判らないけどな」

「話の腰を折らないでください」


伝説の錬金術師が残した塔、それがこの迷宮の曰くだ。

賢者の石は錬金術師が望む、最高峰の一つ。この塔を残した錬金術師も必ずや作ろうとした筈だ。根拠は少ない、しかし悠陽は絶対の確信を持っていた。

同じ錬金術師として、先達の知識をもらい受けたくもある。迷宮を製造した、つまり跡継ぎに恵まれなかったのだ。

迷宮は、弟子がいれば作る必要が余りない。例外も存在するが、大抵は魔術師が自分の知識を後世に残すために作るものである。

受け継がせるものを選ぶための試練であるのだ。


「さて、もう疲れたからサクッと殺って。明日に備えよう」

「軽く言いますね。疲れたのには同意しますけど」


二人以外いない通路を、体を解しながら歩く。

二人とも既に慢性的な疲労困憊であるが、動きは普段どうりであった。

剣を鞘から斬り払い、戦斧を留め具を外して肩に担ぐ。円形の広場に出る、地面は石材に似て非なる物で出来ている。繋ぎ目が見当たらない床、壁も同様繋ぎ目は見つからないが魔紋の溝が彫られてあった。

奥に通ずる道の他に二つの鉄格子が斜め前方に二つ。


二人が踏み入ると同時に鉄格子がゆっくりと上に上がっていく。選手入場である。


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魔法使いの根城 @youiare

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