魔法使いの根城

@youiare

第1話 プロローグ

ちょうど太陽が真上にくる昼過ぎ、あどけなさを残す青年は大きくあくびをしていた。

初夏を過ぎた、雲一つない晴天のその時間は睡魔を誘う温かさである。平民は汗水流し労働し、貴族はその殆んどが優雅であろう食事を終えているであろう時間。青年は怠惰な時間を過ごしていた。

それというのも客が来ないからだ。自身を拾って貰った義父が死んでから、気力が尽き、最近ようやく立ち直って、魔法工房を再開させる事が出来たのだ。


カウンターの内に置かれた椅子に座り、無気力に、だらしなく突っ伏す。

感じるのは寂しさ、常に傍にいた八十を超える義父はもう居ない。豪快な笑いも魔術師のクセして戦士として完成された肉体も、多くの人が認め、憧れた卓越した魔術も、二度と見ることは叶わない。

見慣れたはずの店内、青年は虚ろ気に、義父を失って初めての店内を見回した。



古ぼけた、しかし手入れされている事を感じさせる、黒壇を東方の職人に作らせた大きなカウンター。

―――魔法薬をこぼして、本気で怒られたことがあった。

天井からはぶら下がる鎖の先にランタンが、それが幾つかあり店を仄かに照らしていた。

―――ランプに意思を持たせる魔術を使って合唱をさせた、本気で怒られた。

壁には天井にまである棚に魔法に使われる媒体やその素材、生体回復薬や精神回復薬が商品として並んでいる。

―――媚薬を誤って置いて、味見した女性冒険者が発情した、本気で怒られた。そして後にいい笑顔で褒められた。


今ではもう、義父が製造した魔法薬は売れてしまって、残っていない。

どれもこれも青年が用意したものであり、特に青年自身が魔法調合を施した物の完成度には目を見張るものがある。

品質は間違いなく以前より上の物である。だがそれが青年にとってただ、寂しい。

これからは自分一人で切り盛りしていかなければならない。


「がんばらなきゃな……」


そんな呟きの後、「カランコロ~ン」と扉に付けられた口のついた生々しい唇のベルが陽気な声で鳴いた。少女らしき客はビクリと子リスの様に肩を竦める。

庇護欲を誘う可愛らしい反応だ。


「いらっしゃい、魔法工房、混沌の集い場へようこそ」


何ともタイミングが良い来客に、初代から継いで来た御持て成しの言葉で迎える。

臆病そうな表情をしたピンクブロンドで見たところは人間族だ。ただ容姿だけでは種族の判別は出来ない。魔法工房は様々な薬品を扱う職業柄、客本人の種族がとても重要になってくる。


例えば妖精族に「新鮮な妖精のしっぽはいかが? 」などと言ってしまえば間違いなく機嫌を損ねてしまう。

人間に人間の生き血を勧めるのと同じだ。ちなみに妖精に尻尾があるなんて話は聞いたこともない。


まあ、気遣いをまったくしない人物も勿論存在する。自分の義父がそれに当たっていた。人づてに聞いた話だが吸血鬼にニンニクをお薦めして逆上して襲い掛かってきたそのヴァンパイアを魔法ではなく肉弾戦でサンドバックにした挙句、身包み剥いで銀のロープで縛りあげて従順な下僕にしたて上げたらしい。


ツッコミ所があり過ぎて逆にぐうの音もでない。



閑話休題。



少女はこちらにぺこりと頭を下げると店内を物色し始めた。どうやら目的の品があるわけではないように思える。何となしに店主である青年はもう少し待ってみることに決めた。

少女がちらりと視線を彷徨わせてこちらを見ている気がするが、困っている、というわけでもなさそうである。感じる視線は、自分の事を探っている、といった感覚だ。


それに美少女に注目されるのは悪くない。放って置いた方が可愛いと結論付け、仕事をすることにした。


カウンターの引き出しから、注文書の束を手に取る。この店で主な商品は高品質の回復薬である。ちまちまとした作業だが、怠ると築き上げた信頼が地に落ちてしまう。今回の依頼主は国からの定期的な上級生体回復薬納品依頼であるからなおさらだ。

期限の日程が来ると、やたらと声がでかいおっさんが来て回収する。毎度毎度唾を飛ばしてくるのには腹が立つ。冗談は顔だけにしてほしい。


美女に生まれ直して出直して来いと心の中で毒づきながら一つずつ書類を整理する。持ち込み素材による魔法付与の彫金依頼に、回春薬の調合、……性転換薬の調合依頼? 受け取った覚えはない、破棄。


その間、時間は過ぎていく中、少女は帰ろうとはしなかった。幾度か顔見知りや馴染みの客を相手にしたりもしたが、こちらを伺うだけで喋りかけようとしてこないのだ。

かれこれもう、一時間は経っている。書類の整理も粗方、すぐに必要がある物は目途がついた。紙を揃えていると要約透き通るような声が青年の耳を震わせた。


「あの……」

「どうしましたか? なにかの依頼ですか?」

「賢者の石……」

一瞬の間、天使が通った。

「……はい? すいません聞き間違いでしょうか」


 思わず素の返事を返してしまった。失態である。……この子は今何を言ったんだろうか、いや聞こえてはいた。思わずドキリとしてしまっただけだ。


「賢者の石……ありますか」


あるわけがない。この子には悪いけれども帰ってもらおう。うん、それがいい。


「申し訳ないんですが……ありません。というか、世界中どこを探してもないかと思われます。例えあったとしても……譲ってもらえる可能性すらありません」

「で、でもここならどうにかなるかもしれないって……」


その言葉に絶望したように顔色が青くなる。

どうやらこの少女は誰かに騙されてしまったようだ。もしくは冗談を真に受けてしまったのかもしれない。


賢者の石というすでに幻想だと忘れ去られている代物だ。魔法が発展するにあたって錬金術士の夢はいつしか忘却の彼方へと追いやられてしまった。誰もが渇望したそれは既に幻想だ、魔術師たちはもはや賢者の石と言う言葉すら嫌悪するようになっている。


魔法調合、別名錬金術を専門にしている青年から見れば非常に悲しいことだが、現実はそんなものである。



「まあ、賢者の石なんて今時、夢としてさえ冗談としか捉えられませんからね。……騙されたんじゃないですか? どんな人に言われたんですか」

「ギルドの酒場にいた…片目の無いおじさんです。金髪の」

「選りにもよってグラックスの爺さんですか……。はぁ。とりあえず賢者の石なんてもんは無いですから、他を当たってください」

「どうにか……! お願いします! もう頼れる所なんてないんです……。最後がここなんです! 何でもしますから、どうにかできませんか!? 」



必死に懇願する様を見て青年は驚く。美少女の泣き顔に少し胸が高鳴る。

頼れる所がないとは、この国の魔術工房をすべて尋ねたんだろうか? 

様子をみるに少女はこの国にある全ての魔術工房を手当たり次第に回って、同じく門前払いと言わないものの、断られ続けたのだろうか?

そうなると随分と時間が掛かっているはずだ、ここが最後。つい先日まで休業中だったこの店が、だ。 


だがそれはそれ、これはこれ。世の中には出来ないことと出来ることがある。出来るだけ穏便に帰っていただこう。出来るだけ笑顔で。にっこりと。微笑んで。


「出来ません」

「う、うわああああああああああああああん! 」


泣き出してしまった、それもいっその事清々しいくらいに。少女からしてみれば今の今まで全ての返事をNOで答えられ、其れでなお、危ないものに触れるような相手の態度から、希望が徐々に削られ最後の頼みの綱がこれである。無理も無かった。



「そんな物は存在しえません。例え存在していたとしても、それを譲る人物など絶対にいませんよ」



青年はいい笑顔で精一杯誠実に答えたつもりであった。なんせ賢者の石が欲しいなどと宣う少女に、変な希望は持たせたくなかった。どんな事情であれ無いものはない。

ポロポロリと涙を流す少女は、嗚咽と鼻水を漏らしながら、大きな肩掛けカバンから二つ折りの紙を取り出して差し出した。手に力が入ってそれはぐしゃりと皺が寄っていた。


青年は訝しげに思いながらもそれを受け取って書き殴られた筆記を読む。読みづらい字だが見慣れいている物だった。

その内容に思わず目頭を指先で摘まんだ。目を解すのではなく、どうしたものかと言った物だった。内容は簡潔に簡単にこう書かれていた。


たまたま酒場で途方に暮れていた嬢ちゃんを見つけた。と言うわけで困っている様だから助けるように。初仕事はしっかりやれ。

あわよくば手籠めにしろ。


…………。最後の一言が余計だ。俺にロリコンの気はない。

しかし、命の恩人であるこのクソジジイにこう言われてはこの依頼受けざるを得ない。どうしたものか。…今から直接直談判しに行くか? 


青年がそんな思考をしている最中にも少女は泣いていた、少し落ち着いてきたがそれでも涙は止まらない。徐々に声が、ぐずる様な嗚咽に変わってくる。


「すまない、少しきつく言い過ぎた。でも、さっきの言葉は間違いじゃないですよ」

「はい……」


青年が少女に出来る限り優しく話しかける。言葉が若干、脅しや命令口調になってしまっていたが思いは伝わっているはずだと青年は思った。

こちらに目を、顔を見上げる少女の涙を拭う。カウンターから出て片膝を付きあらためて話を続ける。

まだ涙に濡れた淡いレッドスピネルの眼が気になったが、思考の隅において口を開いた。



「私の名前は悠陽・エーテル。君の名前は? 」

「わた、しはアイリ、ス。……アイリス・ルグヴェルニンヘルフ」


少しばかり愚図りながらもはっきりとした答えに悠陽は満足した。目が少し腫れているが大丈夫だろう。


「アイリスって呼ばせてもらうけど構わないか? ああ、私の事も呼び捨てでいい。改めて言わせてもらうけど、賢者の石を作るのは正直不可能に近い。……泣かないでくれよ、それに話は終わってない。でも覚悟はしておいてくれ。可能性はほとんどないからな」

「覚悟……?」

「ああ。一応聞くけど、何のために賢者の石が必要なんだ?」


アイリスは覚悟と言う言葉の意味を詳しくは知らない。しかし確かに、決める事であると認識していた。両親や周りの大人が言葉にしていたのを覚えている。そしてユーヒの質問に答える。

黒色の瞳を真っすぐに見て答えた。


「村の人が病気で、でも治せなくて。お爺ちゃん達が話してるのを聞いて、賢者の石なら治せるって言ってたから」

「……そうか。じゃあ目的は賢者の石を手に入れる事、もしくは病気を治すことなんだな?」


コクりと頷くと、不安げな表情を見せる。話を聞くにどうにも腑に落ちない事があるがそれを飲み込み、取りあえず必要な事だけを済ましてしまう。ユーヒは立ち上がり黒檀でできたカウンターの下から直接依頼による契約書類を取り出した。アイリスを促してカウンターに座らせる。自力では登れなかったので抱っこで椅子に乗せた。少し顔が赤くなったのはご愛敬である。


「アイリス、この仕事は完遂出来るか……いや賢者の石が作れるか分からないから前金が欲しいんだ。正直望みが薄いからね。悪いけれど俺も仕事だから。…それは?」

「妖精の粉です。……足りませんか?」


コトリと人差し指サイズの小瓶が机に置かれている。中にはキメの細かい流砂のようなものが詰められていた。それは淡い桜色で、仄かに発光している。淡い光を放つそれは、魔術師ならばよく知っているものであると同時にとんでもなく希少価値が高いものである。幻想級の物の錬金に多く使用されている代物。


悠陽はものすごく嫌な予感がした。勘であるけど、この件はもしかしたらとんでもない厄種になるんじゃないかとそんな漠然とした不安が頭によぎったのだ。


前金としては十分すぎるくらいの品物である。足りないなんてものではない……いや、注文が注文なだけに相応しくはあるが。

一般的な魔術師が生涯で一度手に入れる事があれば幸運と言われ、一定以上の技量を持った魔術師からは喉から手が出るほど欲する。


もちろん悠陽はその技量ある魔術師の一角である。


妖精族の遺骸を使って作られる神秘の塊。汎用性が高すぎるために妖精族が乱獲されるにまで至った原因。こんな少女が持っていてはいけない。

そこで悠陽は気がつく、つまりそういう事だ。珍しい目の色に髪色。目の前にいる少女は妖精族の一員であると。よくもまぁ攫われなかったものだと、悠陽は心の内で嘆息した。


「いや……十分だよ。一応、報酬も聞いておくよ、」


悠陽は情けない返事を返す。言外に賢者の石など作れないと言ってるものだが。アイリスはそんなことに気付かず次の言葉を、言葉の爆弾を落とした。


「私です。私の全部が報酬です。体も、アイリスの考えも全部」

「君馬鹿ですか」


アイリスはつまり、賢者の石が完成すれば自身を好きにして構わないと言っているのだ。奴隷は種類にもよるが基本的な人権は守られているのだ。

今言ったことは自らの人権を放棄してすべてを譲渡する意味を持つ。極論を言えば人体実験をしようが凌辱されようが文句を言えない。


言葉にするのが忌まわしい行いも許されるのだ。


悠陽は基本的にはお人よしでもあるが同時に魔術師でもある。自らの欲望で世界を捻じ曲げ、他人を糧にする。魔術師という人種は魔法の深淵を覗く為であらば悪魔にだって魂を売るのだ。

その事を知らないと自らの身を滅ぼすだろう、安易に頼れば死よりも辛い事が待っている。


「馬鹿じゃないです。あなたなら大丈夫だと思いました」

「そう、ですか。…なら確認です。この依頼アイリス・ルグウェルニンヘルフは賢者の石の作成およびそれによるアイリスの家族の病気を治すこと。それでよろしいですか?」


どうやら余計なお世話だったようだ。理解して尚言うのであれば自己責任である。


「うん。それでいい。報酬は私のすべて、それに病気を治せるなら賢者の石じゃなくてもいい」

「いいんですか?」

「かまわない」


悠陽は以外にも目の前の少女が聡明であると認識を改める。何故なら賢者の石でしか治せないわけではない可能性が在る事を理解しているからだ。

子供特有の思い込みで、賢者の石が欲しいと宣っているのでは無い。そして同時に不可解な思いを感じた。


賢者の石でしか治せないという言い方はおかしい。その言い方ではまるで、賢者の石で過去にその病気とやらを治したことがある様な言い方だったからだ。そして賢者の石以外で治す方法がない事実に少女は確信を持っている、悠陽はそんな見解を持つ。


「了承いたしました。現時点をもってこのクエストを受理します。……不達成による苦情は認めませんからね?」


保身は必要であると、悠陽は認めている。これが万が一にでも詐欺だとするならば、クエスト、もとい契約に言質はとっておきたかった。悠陽はアイリスが詐欺師だとは思ってもいなかったが、保険は常に必要である。


泣いたのが演技ならば、凄腕の女優だ。悠陽が絶対的な信頼を持っているグラックスの爺さんが絡んでいるなら、その可能性は無いに等しいが、それでもだ。


「はい、わかってます。その妖精の粉は前金ですから」

「ええ。じゃあ改めて、よろしく頼むよ、アイリス」


契約は絶対にして不変。この世界での言葉は重い、少なくとも魔術師や政治家にとっては。

悠陽は契約と友好の証に、これからの時間に期待を持ってカウンター越しに手をのばす。

「……お願いします。ユーヒ、頼みます」


座ったまま背伸びするように伸ばされた手は柔らかく女の子らしい手だった。

この依頼を境に悠陽・エーテルとアイリスの奇妙な関係が始まりの鐘を告げるのであった。

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