第8話 3週間後
「真希、朝ご飯買ってきたから一緒に食べよう」小西智也は娘の部屋をノックしたあと、ドアの前でつぶやくように話しかけたが、いつも通り返事は無かった。
妻の沙紀が何者かに殺された日から、娘との会話は無くなっている。
真希は一週間休みを取り、沙紀の葬式などが一通り終わったあと一度だけ学校へ行ったが、次の日から自身の部屋に閉じこもった。声を掛けても返事はないが、智也が会社へ行ったり寝静まったのを見計らい食事はちゃんと取っているようだった。
「じゃあ真希、パパは十二時ぐらいに用事があって外に出るから、そのときにちゃんと朝ご飯食べるんだよ」智也はそういってリビングへと戻った。
会社が休みの日は娘が心配ではあるが、自分が居ると部屋から出てこないため外でパチンコをしたり、楽しくもないドライブに出掛けなければいけなかった。下田や横沢がゴルフや飲みに誘っていたが、この状況で楽しめる気分になれないのと、娘をなるべく一人にできず断っている。
沙紀が居なくなってから、母親の有り難みを痛感していた。部屋から出てこなくなった娘を、叱りつけ無理矢理引っ張り出すこともできず、優しく話しかけ気持ちを理解することもできず、ただ傷つけないように当たり障りのない接し方しか出来なかった。
コンビニで買ってきた弁当を、リビングのソファに座りテレビを見ながら食べ終えたあと時計に目を向けると、十時半を指していた。智也は立ち上がりテレビを消して、テーブルの上に散乱している昨晩飲んだ缶ビールの空き缶と弁当の空箱を、二日酔いによる頭痛に顔を歪めながら片づけた。
風呂に入り着替えを終えてから、また娘の部屋をノックした。
「真希、じゃあお父さん行くから。多分夕方の五時ぐらいには帰ってくると思う。食べたいモノとか買ってきて欲しいモノがあったら携帯に電話して……じゃあ冷蔵庫に弁当入ってるから……行ってくる」返事を待ちながら話しかけたが、やはり真希の声は聞けなかった。
もう一度ノックをして、これ以上はしつこいかと悩み、玄関へ向かった。
マンションを出て駅前の大通りにあるパチンコ店に向かうため、少し遠回りになる道を選び歩き始めた。いつも使っていた道は、沙紀の殺された道を横切らないと行けないため、あれから一度も通っていない。
駅前に向かいながらこれからのことを考えた。真希とちゃんと話がしたかった。沙紀ともう一度話をしたかった。不意に思い出が蘇り、大きく息を吸って落ち着けた。それが過ぎると今度は沙紀を殺した未だ捕まらない犯人への怒りが頭を埋め尽くした。何もできない、何も分からない自分が嫌だった。
事件の捜査が進んでないことは、あまり知識のない智也でもなんとなく分かっている。一度刑事の中島がマンションに来て、事件当日の智也の細かいアリバイ確認と、電話で智也の希望した第一発見者の所在を教えてもらっただけだった。
駅前のパチンコ店に着き、中に入った。
十五時頃に一度外へ出て昼食を取り、またパチンコ店へ戻り、家に帰るために店を出たのは十八時を過ぎてからだった。
真希になにかゲームでも買って帰ろうかと思ったが、好みが分からず考え直し、スーパーに寄って二人分の総菜と明日の朝ご飯を買いマンションへと戻った。
「ただいま」玄関で娘の部屋まで聞こえるように大きめの声を出し、リビングへと入った。
冷蔵庫を開け、総菜と明日の朝食を入れながら真希がご飯を食べていることを確認した。
テレビ前のソファに座りテレビをつけようとして、テーブルの上に置かれたメモに気が付いた。
「パパ ありがとう」
真希の字だった。すぐに涙が溢れ出した。今すぐ抱きしめに行きたかったが、その丸っこい文字から目が離せなかった。守ってやろうと思った。沙紀の分まで幸せにしてやろうと思った。その気持ちに悲しみはなかった。二人で生きていこうと、沙紀が死んでから初めて希望を持った。
気分が落ち着いたあと、明日の休日は二人でどこか出掛けようと決めた。明日は部屋から出てきてくれるような気がした。真希の行きたい所へ行き、真希の買いたいモノを買ってあげようと思った。休みを取って旅行もいいなと、久しぶりに少し楽しい気分に浸っていた。
テレビをつけたあと、冷蔵庫から自分用に買った総菜とビールを取り出し、総菜を電子レンジで温めて机の上に並べた。
真希に声をかけようか迷い、今日はそっとしておこうと一人で食べ始めた。
最近は苦痛に感じていたこの時間が、いつもよりは楽に感じていた。浴びるように飲まなければ酔えなかった酒も、今日はおいしく感じられた。
夜食を食べ終わり、軽いつまみを食べながら程良く酒を飲んだあと、時計を確認して、明日のために早く眠ろうと机の上を片づけた。
食器を洗い風呂に入りながら歯を磨き、寝間着に着替え寝室に入る前に、真希の部屋をノックした。
「真希、もう寝てるかな……机の上の手紙読んだよ、ありがとう。嬉しかった……パパもっと頑張るから。明日もしよかったら二人でどっか行こうか? 真希の行きたいところどこでもいいし、買いたいモノあったらなんでも買っていいよ……まぁ明日また声掛けるよ」
一度間を開けてからもう一度口を開いた。
「じゃあ、お休み」
「パパ……お休み」
久しぶりに聞いた娘の声だった。声から感情は読みとれなかったが、会話出来たことが嬉しかった。
「うん……お休み」泣いてしまったことを悟られないように、平静を装って返事をした。涙を拭いながら寝室へ入り、目覚ましを九時にセットして、智也はすぐに眠りについた。
不意に目が覚めた。まだ寝ぼけているような感覚だったが、ドアの閉まる音が聞こえたような気がした。目覚まし時計に目をやると、朝の五時半を指していた。
もう一度眠ろうかと思ったが、ドアの音が気になりベットから立ち上がり寝室を出て玄関へと向かった。
玄関を見て少し違和感を感じ、すぐに気が付いた。綺麗に並べられていた真希の靴が無くなっていた。急いで真希の部屋へ向かい、ドアをノックした。
「真希……真希おはよう……真希いるよな? 声だけでも聞かしてくれないか」
部屋の中から返事は無い。
「真希、開けるよ」ドアノブに手を掛けて回した。鍵は掛かっていなかった。息が詰まった。嫌な予感が体中を埋め尽くすように駆け巡った。。
部屋の中に真希は居なかった。綺麗に畳まれたベットの上の毛布を、いないことは分かっていたが勢いよくめくった。
不意に学習机の上に目がいった。手紙らしきモノが二つ並んでおり、一つは「パパへ」と書かれた開け口をシールで止められた手紙と、もう一つは真希宛に送られている茶色い封筒だった。
「真希っ」誰もいない部屋の中で大声を出した。
智也は二つの手紙を手に取り真希の部屋を出て玄関へと向かい、靴を履き潰し外へ出た。
嫌な想像ばかりが浮かんできた。
エレベーターへ向かい階の表示灯に目をやると七階で止まっていた。一度ボタンを押したがすぐに考え直し階段を上り始めた。
七階から階段でしか行けない屋上のドアを開いた。真希は落下防止のために作られた柵の向こう側に、智也に背を向けて立っていた。
「真希っ」大声で叫んだ。
真希は振り向き驚いた顔を智也に向け、焦ったように飛び降りた。
真希の遺骨を抱えマンションへと戻った。
娘の死を、誰かに伝えるつもりはなかった。すぐに二人のあとを追いたかったが、ちゃんと天国へ送ってやりたかった。
警察には「パパへ」と書かれた手紙を見せ、死因は自殺と処理された。
「パパへ」と書かれた手紙の中には、いじめられていたことと、沙紀の元に行くことへの謝罪の言葉と、智也への感謝の言葉が書かれていた。すでにクシャクシャになるほど何度も読んでいた。
会社へは病欠ということで休みをもらい、親族へは二人で海外旅行に行くと伝え、家の電話は鳴らないように設定し、携帯は電源を切った。
下田や横沢にも、海外旅行に出掛けると伝えていた。
空き缶や弁当の空箱や脱ぎっぱなしの服で散らかったリビングを歩き、冷蔵庫から缶ビールを取り出しソファに腰を下ろした。
缶ビールを飲みながら「パパへ」と書かれた手紙を読み、そのあともう一つの、真希宛の茶色い封筒に入っていた手紙を開いた。
拝啓 小西真希様
初めまして。私はあなたのお父様の小学生時代の同級生、岡本和成という者です。
突然のお手紙申し訳ございません。
私は昔、あなたのお父様、小西智也にいじめられていました。
あなたのお父様は遊びのつもりだったのかもしれませんが、私の大切な思い出、私の人生、そして私の家族を壊しました。あのときの私に力が無かったばかりに、たくさんの物を失ってしまいました。つらい、つらい時期でした。
真希さんは今いじめられていませんか?
つらいでしょう。何度も泣いたでしょう。誰にも相談できずに悩んでいることでしょう。許せないでしょう。私もそうでした。
仲良しだと思っていた友達に与えられる苦しみは、味わった事のある者にしか分かりません。
教室の中で一人、味方もなく笑い物にされた苦しみは消えません。
大切なものを目の前で破壊される中、ただ見ることしかできなかったあの惨めな思いを忘れることはできません。
誰にもいえず逃げることもできず、いつ終わるかも分からないただただつらい毎日を耐える日々を忘れることはできません。
あなたのお父様は、ただ笑いながら私を傷つけていました。
真希さんは今、どういうお気持ちで日々を過ごされていますか?
私はあなたのお父様と別れた後、人と上手く話すことができなくなっていました。嫌われないようにと、いじめられないようにと、人の顔色を気にしながら生きてきました。
あの時の私は弱かった。
あなたのお父様に出会ってから、そして別れた後も、私のつらい日々は終わりませんでした。
私はそれでもいいと諦めていました。過去を忘れることはできませんが、諦めることはできるのだと、自分に言い聞かせていました。
九ヶ月前、私の大切な人がなくなりました。私の父親です。
早くに母親を亡くした私を、一人で大切に育ててくれた大切な人です。
私の父親が死ぬ間際、ただ「ごめんごめん」と私に謝りました。「あの時助けられなくてごめん」と涙を浮かべて私に謝りました。あなたのお父様にいじめられてた時だとすぐに理解しました。
無口な父でしたが、私は大好きでした。
私が諦めた過去に、父はずっと苦しめられていました。
父は最後に「好きなことをしなさい」と私にいいました。
最後の最後まで迷惑をかけてしまいました。
あなたのお父様は、私の大切な思い出、私の人生、私の家族を壊しました。
私はこれから、小西智也に復讐しようと思っています。
あなたに少なからずご迷惑が掛かることをここにお詫びしておきます。
この手紙が私の希望通りに届いたなら、あなたは私を止めることができるはずです。この手紙をあなたのお父様に見せれば全て分かるはずです。
私の過去を生きるあなたが、父親の過去を知り、それでも父親を許せるならば、私を止めて下さい。
長くなってしまい申し訳ございませんでした。
どういう結果になろうと後悔いたしません。
私の強い決意とともにこの手紙を書かせて頂きました。
小西真希様 強く生きて下さい
敬具
最初その手紙を読んだとき、岡本和成を思い出すのに少し時間がかかったが、一度思い出すと、たくさんの思い出が鮮明に蘇ってきた。
この手紙には書いてなかったが、沙紀を殺したのはこの男だと確信した。
この男が、なぜ真希がいじめられていることを知っていたのか、なぜ妻である沙紀を殺すほど憎しみを自身に覚えたのか、なぜ今頃になって復讐を思い立ったのか、なにも分からなかった。過去を思い返しても、ここまで憎まれることをしたつもりはなかった。
岡本和成に、堪え切れぬほどの怒りも覚えたが、なにかしたところで沙紀も真希も戻ってこいこないことに、全てのやる気を失った。
何度もこの手紙を読み返すうちに、自分自身を責めるようになった。
沙紀が殺されたのも、真希が自殺したのも、全部自分のせいだと思った。
この手紙を受け取り、なにもいうことができずにいた真希の気持ちを考え、辛く、悲しく、何度も泣きながら謝罪の言葉を口に出した。なにも気づかず、妻の死をただ悲しむだけだったバカな父を好きでいてくれたことも、智也には嬉しく、それ以上に辛かった。
沙紀の遺体を見た時の、真希の言葉の意味もやっと理解できたが意味はなかった。もう誰もいなかった。
警察にはいわずにいようと決めていた。自分が死んだあとで、この手紙を見つけた誰かが犯人を捕まえることを願った。
何度も手紙を読みながら家族写真を眺めたり、運動会や旅行に行ったときに撮った動画を見ながら酒を飲んだ。
ピンポーン
家のチャイムが鳴り、智也が顔をしかめ時計に目をやると、二十三時を回っていた。
警察か親族の誰かだと思い、息を潜めた。明日死ぬつもりだった。誰かと話す気にはなれなかった。
ピンポーン
もう一度チャイムが鳴った。智也は缶ビールを喉に押し込んだ。
「智也……岡本和成です」大きな声ではなかったが、静まりかえったリビングに、その声は響いた。
智也は耳を疑った。立ち上がり耳を澄ませた。
ノックのあともう一度玄関の向こう側から声が聞こえてきた。
「岡本和成です」
智也はキッチンへ向かい包丁を取り出し、ダイニングテーブルの上に放置された新聞紙に挟み玄関へと向かった。自分でも意外なほど落ち着いていた。
「今開ける」玄関のドアを開いた。
外には黒い服に身を包み、顔には整えていない髭が生え、白髪だらけの長髪の男が立っていた。病人のように細く、少し怯えたように智也を見上げていた。
「……久しぶり」和成は気まずそうに笑った。
「和成か?」声を荒らげることなく聞いた。
和成は声を出すことなくうなずいた。
「何年ぶりだっけ? ……まぁいいや、とりあえず入れよ」
智也は和成を招き入れた。殺してやろうと思っていた相手のはずだった。沙紀を殺した犯人だと理解していた。過去に自身がいじめた相手だということも。和成の姿を見て、不思議なほどなんの憎しみは浮かんでこなかった。もう死ぬことを決めたからか、一度なにもかも諦めたからか、全てを知ったからなのか、ただ酒を飲み過ぎたからなのかは自分にも分からなかったが、今はただこの男の話を聞きたくなっていた。
ドアを一度大きく開け、リビングへ先導するように歩いていくと、和成は遠慮がちに付いてきた。
「ここ座って」郵便物で埋め尽くされたダイニングテーブルの上を雑に片づけながら、その中に包丁の入った新聞紙を潜り込ませ、和成に座るように促した。
「すみません」と軽く頭を下げたあと、和成は椅子に座った。
「何か飲む? まぁビールと焼酎と水道水ぐらいしかないけど」智也は笑った。
「じゃあビール貰おうかな」和成も笑顔を浮かべ返事をした。
智也は冷蔵庫から取り出した六缶パックの缶ビールをそのまま机の上に置き、種類の違うつまみを二袋机の上に広げ席に着いた。
「じゃあ、いただきます」和成は缶ビールを手に取り蓋を開けた。合わせるように智也も缶ビールを手に取り蓋を開けた。
「乾杯は違うか」一度和成と缶ビールを合わせようとして止めた。缶ビールを一気に半分ほど飲み干し息を大きく吐いた。
「カズもたくさん飲めよ。まだたくさんあるから」
「うん」
「何年ぶりだっけ?」
「小学五年生の時だから多分二十五年ぐらい」
「二十五年っ? 年取ったな。お互い。カズ白髪だらけじゃねえか。すれ違っても絶対気づかないよ」智也はずっと笑顔だった。酔いのせいもあるのか少し楽しくも感じていた。
「智也はあんまり変わらないと思うよ。すぐ分かったから」和成も笑顔で返した。
「そうか? 自分では老けてきた気がしてたけど。お世辞でも嬉しいもんだな」声を出して笑った。
「お世辞じゃないよ」和成はビールを飲んだ。
少しの沈黙の後、智也が口を開いた。
「そういえばさ、良樹とヒロって覚えてる?」
「覚えてるよ」
「五年生の時はいつも四人で遊んでたな」
「うん、帰り道一緒だったし」
「そうだっけ? ……そうだそうだ。一緒に帰ってた」
「まだ付き合いあるの?」
「良樹とヒロ? いや六年生になって俺野球始めたし、確かクラスも別々になってたと思う」
「そうなんだ」
「今考えたらさ、ヒロって金持ちだったんだな」
「ゲームいっぱい持ってたしね」
「いつも家にケーキあったしな」
二人は笑い合った。
「いつも遊んでた公園ってなんていうんだっけ?」智也が聞いた。
「坂道公園」
「そうそう、坂道公園。懐かしい。いつも遊んでたな。何してたんだろ、あのときって」
「サトウでお菓子買ってきてベンチで食べたり、野球とかしてたよ」
「野球? 四人で?」
「うん、四人で」
「どうやってやるんだよ」智也は四人で野球をしている子供達を想像して、肩を揺らしながら笑った。
和成もそれに釣られたのか、智也と一緒になって笑い声を上げた。
「そういえばサトウも懐かしいな」ひとしきり笑ったあと、智也が口を開いた。
「智也はいつも万引きしてた気がする」
「してたしてた。今考えた信じられないな。今度菓子折り持って謝りにでもいこうかな」冗談をいったつもりだったが、和成は気づいてないようだった。
「もうサトウないよ」
「そうなんだ。実家帰るときあの辺通んないから分かんなかったよ」
「ちょっと前にあのへん行ったんだけど、やっぱりちょっとショックだったな」
「まぁ二十五年前ですでにボロボロだったしな」
「うん、店の人おばあちゃんだったし」
「全然動かなかったよな。あのおばあちゃん」
智也の言葉に二人は合わせたように笑った。
「楽しかったな」
「うん楽しかった」
智也は昔を思い出し、二人の空間に居心地の良さを感じていた。和成も感じているような気がして、嬉しかった。
三本目の缶ビールの蓋を開けて、智也が口を開いた。
「お化け屋敷覚えてる?」
「うん、覚えてる」和成も二本目の缶ビールを飲み終え、三本目に手を伸ばした。
「カズが一人で入って行ってさ。確か俺と良樹とヒロは隠れたんだよな」
「隠れたんじゃないよ。三人でドア押さえて閉じこめたんだよ」和成の顔は昔を思い出し懐かしんでるようだった。
「そうだっけ? まぁそれでカズが怒ってさ。喧嘩したのは覚えてるよ」
「喧嘩になってなかったような気がするけど」和成は笑っている。
「あと学校にあった焼却炉は? 二人で開けようとしたら上の学年の奴に見つかって追いかけられたやつ」
「あったあった。智也も結構覚えてるな」
「俺だけ捕まってボコボコに殴られてさ。そのあと教室でカズ悪くないのに八つ当たりしてたよな。俺」
「あれは怖かったよ」
「なんかカズと話してたらどんどん思い出してきたよ」
「うん、俺も」
「俺は楽しいと思ってたんだよな。多分」智也はそういって缶ビールを一気に飲み干した。
智也の言葉に和成は返事をしなかった。
「カズが楽しいわけないよ。今は分かる。ただの嫌なやつだよ」
「智也は格好良かったよ。背も高くて運動も出来て……勉強はどうだった分かんないけど」
「最低だったよ」
智也は恥ずかしそうに笑い、それを見て和成も笑った。
「なあ、カズ……」口にしたら全て終わるような気がして少しためらった。
「何?」
「あのさ……一番嫌だったのは何だったんだよ?」和成の目は見れなかった。
「一番かぁ……」
「うん、一番」
「焼却炉で財布燃やされたことかな」
「誰の?」
「智也が俺の」
「覚えてないな」
「智也の筆箱俺が壊しちゃって、それで智也が怒って」
「それが一番嫌だったこと?」
「母親の形見だったから」和成の思い出話でもするように、楽しげな表情を浮かべている。
「なぁカズ……」
「うん」
「和成と話しながらいろいろ思い出してるんだけどさ……」
「うん」
「今更遅いかもしれないけど……ごめんな」
智也の言葉に和成は笑った。
「何笑ってんだよ」智也は恥ずかしそうに和成の肩を押した。
「いや、智也が謝るなんて思ってなかったから。初めてじゃないかな」和成は冗談をいうように智也を茶化した。
「謝るよ。社会人になってから謝ってばっかりだ」
「俺は昔から謝ってばっかりだ」
二人は目を合わせ吹き出すように笑った。
和成が缶ビールを喉に流し込み口を開いた。
「智也……俺の方こそごめん。もっと早くちゃんと話しておけばよかったよ。二十五年ぐらい遅かったけど」
「遅すぎるよ。ほんと」
「沙紀さんのことも、真希ちゃんのことも、全部俺がやったんだ」和成の顔から笑みが消えた。
「知ってるよ。手紙も読んだ」それ以上言葉にしないでほしかった。
「話してくれて嬉しかった」
「俺も最後にカズと話せてよかったよ」
「久しぶりに楽しかった」
「うん……」
二人の間に長い沈黙が流れた。智也は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、一つを和成の前に置いた。
智也は新たに開けた缶ビールを半分ほど飲み、口を開いた。
「なぁカズ……俺明日死ぬつもりなんだよ」
「うん」
「それでさ、まぁ無理かもしれないけど、向こうで沙紀と真希に会えたとしてな、最後はカズと楽しいお話して笑顔で別れましたじゃ怒られると思うんだよ」
「うん」
「玄関の鍵開けるまでさ、カズのこと殺そうと思ってたんだ」
「うん」
「だからさぁ……」智也の目には涙が溢れ出した。
「うん……分かってる」和成の目からも涙が溢れ出した。
「……せっかく友達になれたのにな」智也の顔は涙と鼻水で汚れていた。
和成は笑みを浮かべ頷いた。
智也は新聞紙に挟んだ包丁を取り出し立ち上がった。
「うん、それが正しいと思う」和成も智也に合わせるように立ち上がった。
智也は和成の腹部に勢い良く包丁を刺した。
和成は声も出さず、最後まで顔に笑みを浮かべたまま床に倒れた。
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