プロローグ・2
給食の時間が終わり歯を磨いた後、五年三組の教室で小西真希はポニーテールにしている髪を結び直して本を読み始めた。図書館で借りた、宇宙人と仲良くなった少年が様々な惑星へと旅をするファンタジー物の長編小説だ。
教室の中では女子が五つほどのグループを作り、今流行りのアイドルや嫌いな教師の話で盛り上がっている。クラスのほぼすべての男子は運動場に行っており、教室の中にはあまりいない。四人ぐらいがアニメ雑誌のような物を教室の隅に集まり読んでいるだけだ。
真希はこの給食後の長い休み時間が嫌いになっていた。四年生までは自身も友達と流行りのアイドルや嫌いな教師の話で盛り上がっていたが、三学期の終わり頃から、ほかのクラスの生徒とすれ違ったり目が合うと、小さく笑われたり内緒話をされることに気づき始めた。理由はすぐに分かる。友達の木下絵梨佳が得意げに話してくれた。
真希が汚いおじさんとホテルから出てきた。
真希のお母さんが不倫してる。
親子で身体を売っている。
「ありえないよねぇ。真希のお母さん綺麗だし真希もカワイイから嫉妬されてんだよ」
楽しそうに話す絵梨佳とは逆に真希は落ち込んでいた。まったく身に覚えのない噂話をいったい誰が言っているのか、何のためにそんなことするのか、誰かに嫌われるようなことをいつしてしまったのか、いくら考えても答えは出なかった。
母は綺麗だと真希自身も思っていた。そして見ていて恥ずかしいほど父と仲が良い。自分の母だからかもしれないが不倫なんてしてるはずない、と真希は思っている。
父親と休みの日、たまに二人で出かける事もある。それを誰かに見られたのかもしれないと思った。どこかホテルの前を通った事もあるかもしれない。しかし父は身長が高く細身の体格だ。母のおかげでオシャレにも気を使っている。顔はカッコイイとは言えないが自慢の父親だ。どうみても汚いおじさんには見えない、と真希は思った。
身体を売っている。そんなこと自分がよく知っている。ありえない。そんな噂を流されることに真希は暗い気持ちになっていた。
そんな心境を察したのか「私が絶対犯人捕まえて先生に言ってあげるから、そんな噂話気にしないで無視したらいいんだよ」絵梨佳がなぐさめるように言った。
「うん……ありがとう。まぁ気にしてないけどね」
真希はできるだけ明るく答えたが、その日から二週間程で周りには誰もいなくなった。
最初はいつものおしゃべりに誘われなくなった。少し違和感はあったが、自分からしゃべりかければ普段通りだったのであまり気にしていなかった。
少しの違和感からおかしいと感じるようになったのは、授業で教室を移動する時一人になってからだ。気づくと絵梨佳やほかのみんながいなくなっている。まさかと思い次の教室に行ってみると、みんな何事もないかのように話している。そういうことが当たり前になっていった。
どうして先に行くのか訊きたかったが、怖くて聞けなかった。答えを知りたくなかった。
真希が話に入るとあからさまに嫌悪を表情に出すようになる。
トイレに行くと席を立ち誰も戻ってこなかった。教室で一人で待っていた。泣きそうになった。
聞こえるように陰口を言われるようになった。
誰一人話すことはなくなった。
文房具が無くなっていった。持ち歩くようになった。
気づいていた。自分がいじめられてる事に。みんなに嫌われた事に。苦しかった。考えないようにした。
休み時間は本を読むようになった。なにもしないで椅子に座ってるより、話してくれる人を探すより、一人ということを自覚しないですむ。
休み時間に本を読むようになってすぐ、五年生に進級した。進級がきっかけでこの日々が終わると期待していた。
新学期が始まって自分にヒドく驚いた。人に話しかける事ができなくなっていたからだ。人に話掛ける事を怖がっている自分にも驚いたが、なによりもなんと声を掛ければいいか分からなかった。去年まで当たり前のようにやっていたことができなくなっていた。嫌われたくなかった。話し相手が欲しかった。
初めて会う人ばかりではないのが真希の救いだった。二年生の時に同じクラスで仲のよかった友達がいた。真希は話しかけてくれるのを待つことにした。今度は嫌われないようにしようと決意していた。しかし意味はなかった。誰も話しかけてはくれなかった。
その日の長い休み時間、真希は読んでいた本を閉じ、トイレにかけ込み泣いた。なにもかも諦めてしまいそうだった。悔しかった。なぜ自分がこんな目にあうのか分からなかった。
教室に戻りまた本を開いた。内容はあまり入ってこないが、なんとなく目で追っていた。
周りはまるで自分なんていないように過ごしている。休み時間なんていらないと思った。ずっと授業だったらいいと。学校に行きたくなかった。
五年生に進級して一ヶ月立つ頃には、クラスメートが嫌がらせをしてくるようになった。四年生の頃と同様に文房具が無くなるようになった。また持ち歩くようになった。
気づかないうちに教科書の落書きが増えていった。
授業から教室に帰ってくると、数名の女子が自身の机を囲んでいるのを見つけたが、どうすることも出来ず、廊下の壁に身を隠した。
トイレに入ると何度もノックされる事があった。ノックのあと「入ってます」と真希がいうと、決まって笑い声が聞こえてきた。トイレに行けなくなった。
靴が隠された。靴箱近くのゴミ箱の中からずぶ濡れで見つかった。母に怒られたが友達と遊んだと嘘をついた。
誰かに助けて欲しかった。何度も泣いた。誰も助けてくれないんだと分かった。
家に帰ると、父と母が学校であったことをいろいろと聞いてくるというのが、小西家の日課になっている。
真希はこの時間が好きだったが、今は嫌で嫌で仕方なかった。親には知られたくなかった。何か聞かれても、テストの点と授業であったことをできるだけ明るく話すことしかできない自分が嫌だった。
本を閉じ黒板の上に付いている時計に目をやると、後五分ほどで次の授業が始まる時刻になっていた。真希は本を片づけ教科書を取り出し、次に授業のある教室まで一人で向かった。
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