元凶

さじみやモテツ(昼月)(鮫恋海豚)

プロローグ・1

 岡本和成は住宅街に並ぶアパートの最上階である三階の一室に、七ヶ月前から住んでいる。八畳の和室にダイニングキッチンの付いた部屋の中は、買い溜めた食料と、お酒を含めた飲料水のケースで積み重なっていた。今日実行される計画が成功すれば、当分の間部屋から出ないつもりだった。 

 物に溢れ狭くなった部屋の窓を少し開け、自身の住むマンションと、その隣に建つまだ新しい一軒家との間にある細い路地を見下ろした。五月の中頃だが、部屋の中には冷たい風が吹き込んだ。

 携帯で時刻を確認すると、十三時半を表示していた。十四時にはその路地に居なければいけない。

 ヒドい頭痛に頭を軽く叩く。毎晩酒を浴びるように飲まなければ、自身の中にある罪悪感でおかしくなりそうだった。

 机の上に置いてある留め具のない黒いハンドバッグを手に取り、中から刃の長さが十五センチ程あるむき出しの包丁を取り出し、表情を変えずに眺めた。

 金曜日の今日、和成が待つ女はなにか特別なことがなければ、十四時から十四時半の間に和成の見下ろす路地を買い物帰りに通る。和成がこのアパートを選んだ理由だった。まだ引っ越す以前の八ヶ月前にこの路地に目を付け、引っ越しをしてから女がこの路地を通る時間帯を調べた。

 女に恨みなど無かった。初めて見かけた八ヶ月前から今日まで、二人には何の交流も無い。お互いに面識の無かった女を、見かけたその日から気づかれないように注意を払いながら尾行を続け、生活習慣を調べ上げた。

 包丁をバックに入れ十四時までの時刻を待つ間、窓際で煙草を吸いながら一人の少女のことを考えた。計画の実行が、引っ越しをしてから七ヶ月も立ったのは、その少女が関係するもう一つの計画に時間が掛かったからだ。

 女の娘であるその少女と和成の間には、女同様に八ヶ月前に初めて見かけた日から何の交流も無い。

 少女は和成の住むアパートから十五分程の所に建つ小学校に通っていた。

 下校時間を調べ尾行を続ける内に、友達と楽しそうに話す会話の内容や胸に付けた名札で、学年とクラス、そして友達同士で買い物に行く店や集まる場所などを調べた。二ヶ月程掛かり調べ上げたが、ここからどうすればいいか和成は迷った。その少女の友達に直接声をかける訳にはいかず、計画が終わるまで、和成の存在を知られる訳にはいかなかった。

 和成には時間があった。趣味もなく働き続けた九ヶ月前までに貯めた金と、父の残した遺産でお金の心配はしていなかった。人生を遊んで暮らせるほどの金額にはほど遠いが、和成にこれからの人生を楽しむつもりは無い。この計画にすべてを捧げるつもりだった。

 その時間を使い二つ目の計画のために和成が選択したのは、時間が掛かる上に成功する可能性が低かった。そして存在を知られる訳にはいかない和成に、もし成功してもそれを確かめる術がなかった。

 いろいろ考えたが新しい名案も浮かばず、和成はそれを実行する。

 その少女の通う小学校の、学区内にあるいくつかの公園や広場に設置されている男子便所数カ所に、幼稚な落書きをして回った。

 ペンで書いたその少女の名前の下に、売春を匂わすような謳い文句を書き、下品な言葉を書いた。町を見回っている内に見つけた、その少女と同級生の男子生徒がよく集まる駐車場の壁や電信柱にも同じようなことを書いて回った。

 和成は成功すると思ってはいなかった。新しい案が出るまでの時間潰し程度のつもりだった。

 何の案も浮かばず時間だけが立ち、新しい情報を得るために尾行を続ける内に、少女の置かれている環境が変化してきた。

 少女が一人で歩く姿を見かけるようになった。前にはなかったことだった。

 休日はいつも同じ仲間で一緒に遊び、お決まりのコースのように立ち寄る駅前のファーストフード店で和成が待っていると、その少女だけいない日が続いた。その店内で、たまにではあるが少女の悪口が出ることもあった。

 自身がしたことの結果なのか偶然なのかは分からなかったが、確実に和成の計画は進んでいるように見えた。

 確信が持てぬまま二ヶ月が過ぎる。少女は一人の下校を繰り返し、休日は図書館や、友達といつも行っていたファーストフード店とは違う飲食店に立ち寄り本を読む生活へと変わっていた。その二ヶ月の間に進級の時期が重なり少女は五年生になる。

 進学式の日、和成は時間を計り少女の帰路を学校に向かい歩いていた。

 少女は下校を一人でするようになってから、その時間がほぼ和成の予想通りになっていた。寄り道することも、友達と放課後の軽い会話すらないようにすぐに帰宅していた。

 予想通り、少女は一人で歩いている。顔は下を向きそのスピードは速い。和成とすれ違うまでの間、少女は何度も目を拭った。

 和成は確信する。自身の起こした結果なのか偶然なのかは分からないが、計画は成功した。

 目を拭いながら歩く少女の後ろ姿が、自身の過去と重なり決意が揺らぎそうになる。固い決意だった。死んだ父に誓った約束だった。

 それからの一ヶ月は、自分との戦いでもあった。少女が下校中、後ろから走ってきた女生徒に背中を強く押され転びかけたのを見た時は、背中を押した子に怒りさえ覚えた。さらに少女が水の滴り落ちるずぶ濡れの靴を手に持ち、裸足で歩く姿に悲しみがこみ上げ、アパートに帰り泣いた日もあった。

 和成自身が望んだことだった。それと当時に痛いほど少女の気持ちを理解していた。早く終わらそうと思った。自身にも少女にもツラいことになるのは分かっていた。

 計画実行の前日、和成は少女に手紙を書く。なぜそんなことをしようと思ったのかは、自身でも分からなかった。計画が破綻するかもしれないことは分かっていたが、それでもいいと思っていた。

 携帯の時計を確認すると十三時五十三分を表示していた。和成は黒いハンドバッグを手に取り部屋を出た。

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