第17話 夢で逢いましょ

「……トウ、ゴトウ!」


 せっかく気持ちよく眠っていたっていうのに一体誰だ?

 煩わしく思いながらもなぜか湧き上がって来る使命感に駆られて僕は目を開けた。


「……どこ?」


 眠りに落ちる前の記憶が確かならば、僕は悪魔たちのアジトであるドラマ仕立ての倉庫にいたはずだ。

 それなのに起きてみれば何だか靄(もや)のかかった不思議な空間にいたのである。

 口を突いて出た台詞が間の抜けたものであっても仕方がないはず。


「やっと起きたか。こんなときでも熟睡できるのは感心するべきか、それとも呆れるべきなのか。判断に迷うな」


 聞き覚えのある声がしたと思ったら、いつの間にかあちらの世界にいるはずの羽歌がそこに立っていた。


「羽歌!?どうしてここに!?それよりも怪我は大丈夫なにょほ!?」


 彼女は右手を差し出して矢継ぎ早に問いかける僕を制すと、


「一つずつ説明するからまずは落ち着け」


 と言った。

 説明してくれるのは願ったり叶ったりなんだけれど、もう少し優しく止めて欲しかった。

 おかげで変な声が出ちゃったよ。

 でもそういうところも羽歌らしいなあと、ほっとしている自分もいた。


「まずはここがどこかという――」

「ちょっと待って!」


 説明を始めようとしたところで遮られて、羽歌が憮然とした顔をする。

 僕はといえば目の前に羽歌がいるという衝撃から立ち直った途端、昨日のことを謝りたいという強烈な想いが浮かび上がって来ていたのだった。


「いきなり邪魔してごめん。でも大事な用があるんだ」


 そこで一旦区切ると、僕は誠意を伝えるため彼女を見つめた。

 僕の言葉に驚いたためなのか、羽歌の顔には赤みがさしていて、その瞳も若干潤んでいるようだった。

 つい状況を忘れて見惚れてしまいそうになるのを懸命にこらえると、僕は口を開いた。


「きの――」

「待って!」


 ……まさか同じことを羽歌にやり返されるとは思ってもみなかったヨ。


「その……そういう大事なことは、現実でちゃんと会った時に言って欲しい……」


 もじもじと何やら恥ずかしそうにしている彼女は殺人的に可愛い。

 そして当然僕はコクコクと首を縦に振ったのだった。

 すぐに謝れなかったのは残念だけど、もじもじしている羽歌の姿が見ることができたので良しとしよう。


「……あれ?現実でちゃんと会って?」

「まずはそこから説明しないといけないな。ここはいわゆる夢の世界だ。ゴトウの本体は今あの倉庫で眠りについていて、意識だけここに来ているという訳だ」


 そう言われると、何だかいつもより体が軽い気がする。


「ということは羽歌の方も?」

「うん。私の本体は今、あちらの世界でルシフェルにやられた傷を絶賛治療中」

「大丈夫なの?」

「大したことはない。自分が天使だったことに感謝したくなる程度のことだ」


 それって人間なら命に関わるような傷だったってこと……?

 僕は羽歌にそんな大怪我を負わせたルシフェルに怒りを感じていた。


「私のことよりもゴトウ、お前の方が問題。何とかなりそうなのか?」

「…………」


 羽歌の問いに言葉が詰まる。

 首に巻きついていたルシフェルの大蛇のような腕の感触を思い出すと背筋に冷たいものが流れる。

 先程感じていた怒りはすっかり消え去ってしまっていた。


「すまない。私はお前のことを当てに、いや頼り過ぎてしまっていた」

「謝らなくていいよ!僕だってその、頼りにされていたのなら嬉しいし……」


 突然の謝罪の言葉に反射的に答えてしまったけれど、言っていて無性に恥ずかしくなってしまい後半は声が小さくなってしまった。


「ゴトウは優しいな。そんなことだと性質の悪い天使や悪魔に騙されてしまうぞ」


 そんな僕を見て羽歌が軽口をたたく。


「ほっといてよ」


 と不貞腐れて見せながらも彼女の調子が戻ったことにほっとしていた。

 大人しい感じも良いけれど、落ち込んでいる顔は似合わない。


「しかし真面目な話、今回の相手は危険すぎる。できることなら逃げて欲しい」

「うん。僕も本当はそうしたい。だけど逃げないよ」


 羽歌に会って僕の覚悟は決まっていた。

 正直、何をどうすればいいのかは分からないけれど逃げることだけはしたくない。

 逃げろと言われて初めてその覚悟ができたことは皮肉だな、とは思うけれど。


 そして羽歌はそんな僕を嬉しいような悲しいような複雑な表情で見ていた。

 初めて会った時はまだ感情を上手く表現することができなかったのに、すごい成長だ。

 娘の成長に感激する父親の心境とはこんな感じなのか、とか考えてしまった。


「止めても無駄、というより逆効果なのだろうな。勝てるかどうかも分からない相手に立ち向かっていくのだな」

「ものすごく前言撤回したくなるような言い方をしないでもらえます!?」

「冗談だ」


 僕の非難の声に羽歌がしれっと答える。

 やっぱりもう少し大人しい方が良かったかも。どこで育て方を間違ってしまったのだろう……


「ゴトウに育てられた覚えはないぞ」

「ほんとに心を読んだりしてないよね!?」

「お前の考えていることなら何でも分かるというだけだ」


 心を通わせているような素敵な台詞のはずなのにちっとも嬉しくないのは何故だろう。


「そんなことよりも手を出してくれ」

「手を?」

「いいから早く。もう時間が残り少ない」


 よく分からないまま急かされて両手を差し出すと、羽歌が僕の手をギュッと掴んだ。


「えっと、何を――」


 尋ねようとした僕の言葉は途中で途切れることになった。


 突然彼女にキスされたからだ!



 ……掌に。



 ……え?何で掌?


「あの、羽歌さん、今のは一体……?」

「おまじないのようなもの。あって困るものじゃない」


 照れているのか、羽歌は早口にそう言うともう一度僕の手を握りしめた。


「怪我が治ったらすぐに行くから。それまで頑張れ」

「あ、うん。えっと、なるべく羽歌が到着するまでに片付けるよ」


 自分でも大それたことを言ったと思ったけれど、僕だって男だ、少しくらいは見栄を張りたい。

 羽歌はそんな背伸びがしたいお年頃の心の動きなどお見通しだと言わんばかりにちょっと人の悪い笑みを浮かべていて、


「そうか?ではゴトウの活躍の場を奪ってもいけないから、ゆっくりと向かうことにしよう」


 と案の定からかってきた。


「ごめんなさい、なるべく早くお願いします」


 そして僕が無駄な抵抗はせずにさっさと白旗を上げると、今度は心の底から楽しそうに笑って「うん。そうする」と言うのだった。

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