第玖話 【1】 白蛇の鱗

 それから数日後、八坂さんはその兄妹達と一緒にいました。


 大変だけど、透君というお兄ちゃんの働きで、なんとか飢えずにすんでいるみたい。それは、この状況化ではだいぶマシな方みたいなんです。


 他の人達はこの時、いつも飢えと闘っていたらしいです。だけどこの兄妹は、そんな中でいつでも笑っていました。


 だけど、この兄妹達を見ていると、どうしても何かおかしいって、そう思っちゃいます。そしてそれは、当時の八坂さんも感じていたみたいです。


 たまに、菜々子ちゃんがお肉を持って来るんです。


 原爆の落とされたこの街では、普通の方法では手に入れる事が出来ず、闇市でたまに流れる事があるだけになっていました。

 そんな超高級品を、この子は持って来るんです。どこにそんなお金や、交換出来る高級品があるのでしょうか?


「お兄ちゃん、今日は良いお肉が手に入ったよ!」


「菜々子……! 肉なんて、そんな物……」


「わ~い! 今日の晩御飯は豪華だ~!!」


「佐知子、落ち着いて。お肉は逃げないから」


 これは、さすがの僕でも分かります。菜々子ちゃんがそうやってお肉を持って来る時は、決まって服が少し乱れているんです。

 良く見ないと分からないけれど、ここを出る時はしっかりと着こなしていたのに、帰って来る時は、襟元がよれていたりするんです。あと、袖もしわになっていたりね。


「菜々子……ちょっと来い」


「なに? お兄ちゃん」


 すると、透君が菜々子ちゃんにそう言って、腕を掴んで引っ張り、佐知子ちゃんからは聞こえない場所まで連れて行きました。と言っても、2軒隣の家の中だけどね。そこも崩壊していて、殆ど瓦礫の山になっています。兄妹達の住んでいる所よりも、更にボロボロになっていました。


 それから、透君は振り返ると、そのまま菜々子ちゃんに詰め寄ります。


「菜々子、あの肉。どうやって手に入れた?」


「えっ? それは……ちょっと、着物を」


「菜々子、ちゃんと目を見て言え! 着物を交換したくらいで買える物じゃないんだよ! あんな、塊の肉なんてな!」


 そうなんです。菜々子ちゃんが持って帰って来ているお肉は、全てブロック肉なんです。

 それは、今でも数千円くらいするものだから、原爆の落とされたこの街では、まず手に入れる事が出来ない代物なんです。いえ……戦時中、庶民は絶対に手に入れる事が出来なかった、超贅沢品です。


 そして庶民の人達は、徹底したある思想を叩き込まれていました。それは「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」

 こんな言葉が、街に溢れていた後だったのです。そんな堪え忍ぶ生活は、その時も続いていました。


 ただ、菜々子ちゃんはそんな贅沢品を、1ヶ月に一回程ではあるけれど、持って来ていたのです。


「菜々子、お前……」


「なによ。お兄ちゃんだって……あんな米俵、どこで手に入れているのよ!」


「それは……」


「言えないじゃない!! どうせお兄ちゃんも、悪い事しているんでしょう!」


「菜々子……お兄ちゃんもって、やっぱりお前……」


「あっ……!」


 どうやら、興奮して失言しちゃったみたいです。

 菜々子ちゃんは慌てて口を押さえているけれど、もうバレてしまったと思ったのか、そのままどこかに走り去って行きます。


「菜々子!」


 それを見て、慌てて追いかけようとする透君だけど、八坂さんが止めてきました。


「私が行こう。全く、お前達は……」


 どうやら今のやり取りを、こっそりと陰から見ていたみたいです。


 そして八坂さんは、歩きながらその子の走って行った方へと向かいます。

 八坂さんは人ではないから、人の気配とか、そういうのが分かるのでしょう。河原で座り込んで、落ち込んでいる菜々子ちゃんの姿を、直ぐに見つけちゃいました。それから八坂さんは、菜々子ちゃんに声をかけます。


「……そんなに嫌ならば、止めれば良いだろう」


「……!! 八坂様……」


 八坂さんに気付いていなかったのか、後ろから声をかけられた菜々子ちゃんは、凄く驚いた顔をした後、慌てて後ろを振り向きました。


「前にも言ったが、お前達を観察する礼として、食料を融通してやるぞ」


 だけど菜々子ちゃんは、やっぱり首を横に振ります。


「駄目です。神様と関係のある人なら、尚更私達にひいきをしたら駄目なんです。それに……それに、私の体はもう……」


「やはり、体を売っていたか。前にも聞いたが、なぜそうまでして生きようとする?」


「…………」


 八坂さんのその言葉に、菜々子ちゃんは俯き、そしてその後に顔を上げ、ゆっくりと話し始めました。


「お父さんとお母さんが言っていたの。どんなに辛くて苦しい時でも、歯を食い縛って踏ん張っていれば、お天道様がいつかそれを見つけて、救いの道を示してくれるよ……って。だから私達は、踏ん張って生きるの。例えどんなに苦しい事が待っていても、死ぬのは……怖いから」


「死ぬのが怖い……か。こんな状態でも、人が必死に生きようとするのは、それか」


「うん。皆、死ぬのが怖いんだ。でも、でもね……もっと怖い事はあったよ……」


 そう言うと菜々子ちゃんは、自分の両腕で自分の体を抱き締めるようにすると、顔を強張らせ、体を震わせていきます。


「この街をこんな風にした人達に、私は体を……そうしないと生きられないって分かっていても、それでも吐き気がするの。こんな奴等に、私はーーって、情けなくなってくる。怒りが沸き上がってくる。でもそれ以上に……心では嫌なのに、体は反応して喜んでしまって、その内あいつらの元に行くのが、楽しみになってしまっている自分がいるの! 私は……私は悪い子なのぉぉおお!! 死にたくなってくるのぉ!!」


「…………」


 八坂さんはただ、そんな菜々子ちゃんの叫びを、ひたすらに聞いていました。

 こんな事は今までもあったのか、それとも初めての出来事に、どう対処したらいいのか分からないのでしょうか?


 だけど僕だって、こんな時になんて声をかけたら良のいか、分からないですね。

 生きる為とは言え、原爆を落として、この街をこんな風にして、両親の命も奪った敵の軍人達に、自らの体を差し出すなんて……そんな事、どんな覚悟を持って挑まなきゃいけないんでしょうか。


 僕には、無理です……。


 でもそれなら、あのお肉を持って帰って来られる理由も、分かりました。アメリカ軍の物だったのですね。


 ただアメリカ軍も、持ち込む物は限られていたはずです。と言うことは、こっそりとバレずに持ち込んで、それを使って、現地の女性や年端もいかない女の子達を……?


 ダメだ……ダメです。これは、八坂さんの策略なんだ。八坂さんが見せている映像なんだ。でっち上げている可能性もある。だけど、あまりにもリアル過ぎます。


「うわぁぁ!!!!」


 そして、ずっと泣き叫ぶ菜々子ちゃんに、なんて声をかければいいか分からない八坂さんだったけれど、そこで何かを見つけたのか、屈んでそれを取っています。


「ほう……これは珍しい。白蛇から取れてしまった鱗だな」


「へっ?」


 鱗? 蛇の鱗なんて、そうそう取れるものじゃないでしょう? それなのに、そんなに簡単に取れるなんて……。


「まぁ、ただの白蛇じゃない。人々が、その脱皮の皮を財布に入れれば、お金が貯まると言う程だ。脱皮の皮だけでも珍しいが、鱗なんてもっと珍しい。これは神々が、お前の事を見ている。ちゃんとその内、幸運な事が訪れる。そう言っているんだ」


「本当に?! そんな……なんで、私達なんかに……」


「神々は平等に人を見る。良いか、自分達なんかとは言わずに、汚い事はせず、必死に生きていれば、その内に道は開けるだろう。って所だろうな」


 そう言うと八坂さんは、とても優しく、菜々子ちゃんの頭を撫でました。


「あっ、うん……うん! ありがとう……ございます!」


「ほら、兄が心配しているだろう。早く帰ってやれ」


「あっ! そうだった……お兄ちゃんに謝らないと……!」


 その白蛇の鱗を八坂さんから受け取ると、菜々子ちゃんは立ち上がり、急いで透君や佐知子ちゃんのいる家に走って行きました。


 その後を八坂さんは、ゆっくりと歩いて着いて行きます。自分の手を眺めながらね。


「……何を、やっているんだろうな、俺は……だがまぁ、あの白蛇の鱗は、間違いなく神の力を感じたな。ふっ。高天原の神々も、たまには仕事をするのだな」


 そう言う八坂さんの顔は、少しだけほころび、笑顔になっていました。

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