第捌話 【1】 あの日の広島

 原爆の落とされた広島。その当時の光景が、僕の目の前に広がっています。これは、天津甕星が見せている光景。

 広島もだけれど、長崎にも原爆は落とされているのを忘れてはいけないですね。あっちも同じくらいに酷いと思います。


 燃える町並みに、人々の阿鼻叫喚の声。この世の地獄ってこうなのかって思うと、僕の中の何かが込み上げてきます。でも冷静に、この気持ちは抑えないと……。


 八坂さんの狙いは、この光景を見せて、僕の心を折る気なんですから。


 すると、そんな光景の中で、ある兄妹の姿が見えてきました。


「うわぁ~ん!! 父ちゃ~ん!! 母ちゃ~ん!!」


「逃げるんだ、佐知子さちこ! 父さんと母さんの言いつけを守らないと!」


「でもお兄ちゃん、いったい何処に?」


「分からない……でも、生きないといけないんだ、菜々子ななこ。それが、父さんと母さんの言いつけなんだから。だから……!」


 火の海の中を、必死に走り抜ける3人の兄妹は、お兄ちゃんと呼ばれた男の子が、1番年上っぽそうです。防災頭巾をしているから分かりにくいけれど、髪はスポーツ刈りかな。

 今の時代で言うと、高校3年生くらい? 学ランを着ているから、高校生なのは間違いないですね。


 そして、妹2人の内の1人は、山姥の娘であるあの子と同じ名前ですね。多分、たまたまだと思います。雰囲気が違いますから。

 その菜々子と呼ばれたセーラー服の子は、お下げ髪の良く似合う、パッチリとした目の美人さんですね。この2人は年子っぽいです。

 もう1人の、もんぺ姿でおかっぱ頭の妹は、その2人とは結構歳が離れていそうです。小学3年生くらいかな。2人ともちゃんと、防災頭巾を被っています。


 そして、佐知子ちゃんという子が泣き叫んでいる所を見ると、恐らくこの3人の両親は、さっきの爆発で、もう死んでいるのでしょうね。


「ねぇ、お兄ちゃん。田舎にいる叔父ちゃんと叔母ちゃんの所に行けば、住まわせてくれないかな?」


「そこまでどうやって行くんだ? 何10キロもあるんだぞ。もちろん、そこに行って頼むしかないだろうけれど、俺達を養える程に、あの人達の生活も豊かじゃないらしい。あんまり期待しない方が良いかもな……とにかく、今はここから逃げるんだ!」


 そう言いながら3人は、燃え盛る炎の海の中を、唯一燃えていない道を通って逃げて行きます。


 途中で酷い光景がいくつもあったけれど、とてもじゃないけれど、口に出来ません。吐きそうになったよ……。


 そんな中で、助けを求める人もいました。


「あっ! お兄ちゃん。あの瓦礫の中に、人が!」


「なっ!?」


「た、助けてくれ……この、瓦礫を……退け、て……」


 だけどそのお兄ちゃんは、助けを乞う人を見た瞬間、直ぐに菜々子ちゃんの肩を掴み、引き止めました。


「駄目だ、菜々子。あの人はもう、助からない……」


「えっ? なんで……」


「良く見ろ、足が……」


 あっ、確かに……家の瓦礫に下半身を挟まれているのかなと思ったら、膝から下が……無い。そのせいで出血も酷くて、急いで病院に連れて行かないといけない程です。

 でも、そんな事が出来るの? 救急車? そんなもの、この時代にあったかも分からない。仮にそんなものがあったとしても、こんな状態だと、助けにも行けないよ……。


 つまり、今この人を助ける術がない。

 この兄妹のお兄ちゃんは、それを瞬時に読み取ったのですか? 現代の高校生とは大違いです。


「行こう……」


「待って、助け……助け、て……」


「お兄ちゃん……」


「行くんだ! 俺達が生きる事が最優先なんだ!」


あんちゃん。でも、あの人痛がって……」


「佐知子!!」


「ひぅ……ごめ……なさい」


 そして、妹2人は悲しそうな顔をしながら、そのお兄ちゃんに着いて行きます。だけど、誰よりも苦しそうな顔をしていたのは、そのお兄ちゃんでした。


 その後、3人の兄妹はこの火の手から逃れる為、広い場所へと向かいました。でも、そう考えたのはその兄妹だけじゃなかったのです。


「うっ……! これは……」


 広めの川に出た兄妹達が見たのは、殺到する人々の山と、そこに飛び込んで行く、大火傷を負った人達の姿……だけど、その川の中には、そういう人達が積み重なり、そして動かなくなっていました。


「うぅ……兄ちゃん。ここ嫌だ……」


「佐知子。お鼻つまんでなさい」


 それを見て、嫌そうな顔をする佐知子ちゃんを、菜々子ちゃんが宥めています。


「くそ……! こんなの、迂回するしかない……」


 確かに、こんな所を突っ切ろうとしても、もみくちゃにされてしまって、下手したらそのまま川に落とされるかも知れません。それに、妹達ともはぐれてしまうかも。


 そして兄妹達は、流れとは逆の方向へ向かい、川沿いを歩いて行きます。

 川上に行ければ、被害はまだマシかも知れないと思ったのでしょうか? それともそっちの方向に、さっき言っていた親戚の家があるのでしょうか?


「どうだい? これは、これから始まる地獄の、ほんの序章に過ぎないよ。因みにこの映像は、他の神様の記憶から頂いたんだ」


 すると突然、八坂さんの声が響いてきます。


「……授業で習っただけじゃあ、こんなのは分からないですね」


「そりゃぁね。教科書には、国の検閲が入るんだ。あまりにも血生臭い事や、エグい事等は、そもそも教科書には載せないさ。希望あふれる子供達に、こんな過去を教えて良いのかって、そんな大人達が後を絶たないのさ」


「臭い物には蓋、ですか……」


「だが、その部分を見せたからって、それで子供達が健全に育つかと言われたら?」


「ノーですね……心がひん曲がっちゃうね」


「清い心のある人間は、そうやって汚いものを見ないようにと、見せないようにと躍起になるのさ。だが、それを神は見過ごしている」


 見過ごすですか……それはちょっと違いますよね。


「神様はただ、見守っているだけです。何かをする事なんて、ほとんど無いと思いますよ。だって、神様だもん」


 僕のそんな言葉に、八坂さんは静かに返してきます。


「こんな状況でも、神は見守るだけか? 本当の神なら、こんな状況にならないようにと、手を尽くそうとしないかい?」


「それは……ん~上手くは言えないですけど、神様って、そういう存在じゃないと思うよ」


「それなら高天原に居る、あの神と呼ばれる者達は、いったいなんなのだい?」


「本当の神様なんて、居ないんです。高天原にいるのは、特殊な力を持った者達なんです。人とは違う存在……じゃないですか?」


「そうか……それなら、この後の事は、ただ私が不様だったと言うだけかい?」


 そう八坂さんが言った後、また景色が変わります。


「私が彼等と出会ったのは、この半月後の事だ」


 ということは、ここからの映像は、八坂さんの記憶ですか。この兄妹との間に、何があったのでしょうか?

 分からない……この後にある、原爆が落とされた以上の地獄って、いったいどんな事がーー


「わぷっ?!」


 って、今度は車が目の前を通過ですか?!

 次は上空じゃなかったよ、道路にいました。別に当たる事も無いし、排気ガスでむせる事も無いけれど、条件反射でつい……。


「あれ?」


 するとそこには、軍服を着てジープに乗っている、外国の兵隊さんみたいな人の前に、堂々と立ちはだかる、菜々子ちゃんと佐知子ちゃんのお兄ちゃんの姿がありました。何をやっているの?


「何言ってるか分かんねぇよ!」


 ごめんなさい、僕も同じ感想です。英語分からないです。


 だけど、ジープの前に立ち塞がったお兄ちゃんに、外国人の人達が何か叫んでいます。

 多分「退け!」とか「邪魔だ!」とか、そんな感じの事を言っているのでしょうね。


 だけどそのお兄ちゃんは、構わず外国の人達に向かって行きます。

 多分この外国の人達は、アメリカ軍だと思います。そこと戦争をしていたし、日本は原爆を落とされてしまい、その後負けを認めましたからね。


 そしてそのお兄ちゃんは、アメリカ軍に飛びかかーーる前にぶん殴られていて、地面に仰向けに倒れ込みました。


「ぐっ……!! まだだぁ!!」


 それでもそのお兄ちゃんは、まだ向かって行きます。だけど、明らかにアメリカ軍の人達は、その行動を面白がっていて遊んでいますよ。


「ぐっ、あがっ!! ぐぁっ!」


 あ~膝蹴りされたり、お腹を何回も殴られたり、サンドバッグ状態です……本当に、何がしたいんでしょう?


 そしてアメリカ軍の人達は、ひとしきり殴る蹴るを楽しんだ後、再びジープに乗り込むと、そのまま走り去って行きました。だけど去り際に、何かをその子に放り投げていました。


 小さな紙箱みたいなものですね。あれは、ガム……? チューインガムか何かかな?


「ちっ……こんな飴いらねぇよ。あの2人が腹すかせてんだ……でもまぁ、盗れたのは盗れたし、これで良いか」


 するとその子は、握り締めた手を開き、持っていた物を確認します。それは、そのアメリカ軍の人が付けていた、高そうな腕時計でした。


 嘘でしょう? さっき組み合っている時に盗ったの?


「はは……これなら、あいつらに米を食わせてやれる。待ってろよ」


 だけど、その子は仰向けに倒れたまま、動かなくなってしまいました。

 あれ? もしかして、そのまま気絶したの? 息はあるみたいだけど……。


 すると、その子の近くに、1つの影が近付いてきました。

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