第肆話 【3】 別れのキス

 それでも僕は、御剱を握り締めて湯口先輩を見ます。


 浄化の炎はもう消えちゃったけれど、それでも寄生妖魔にはダメージを与えたはず。

 いや……憑依妖魔、でしたっけ? もう訳が分からないです。


 憑依という事は、完全に体を乗っ取られたんですか?


「くっ……ぐぅ。ふぅ、ふぅ……あの野郎。余計な事を」


 口調からして、どうやら空魔に戻ったみたいですね。憑依妖魔ですか? 何でも良いです。ちょっと聞いてみましょう。


「空魔……いや、憑依妖魔? それって、どういうレベルでの憑依なの?」


「あの野郎……まぁ、良い。文字通りだ。ただ、俺は特別でな。憑依したそいつの魂とも同化するのさ。つまり、一心同体となる。だから俺は、憑依妖魔だが湯口靖でもあり、湯口靖は憑依妖魔でもあるのさ」


 ややこしいことをしてきますね。という事はこれはーーレイちゃんでも、解決出来ないです。


 レイちゃんはあくまでも、霊体を触れたり、体から引き離したりする事が出来るだけで、混ざってしまった霊体を分離する事は、多分出来ないはずです。


 つまり、先輩はもう……助けられない。


「怨音斬鬼!」


「くっ……!」


 危なかったです……相手がまた、ソニックブームを使った真空の刃で、僕を斬りつけてきました。なんとか避けられたけれど、このままじゃあ……。


「どうした? そんなにショックか? 助けたい奴を助けられない。これほどショックな事はあるまい。もうお前は終わりだな。お前に俺は、殺せない」


 そう言いながら、空魔は僕に近付いて来る。今度こそ抵抗出来ないように、足か腕を……。


 先輩の声で、先輩の目で……僕を見てくる。見下すように、見てくる……。


「……っ。先輩の声で、そんな事を言うな!」


「ん~? ふふ。椿……助けてくれ」


「黙れ!」


「ひゃはははは!! お前、面白ぇな! 俺の事が好きななのか?」


「お前じゃない!」


 いちいち僕の感情を逆なでする事を言ってきて、わざとですか? 僕本来の力を暴走させる為に、こんな事を言ってるのですか?


「くっ……!! うぅ……」


 お陰でまた、力が暴走しそうに……もう、嫌です。

 なんで……なんでなの? 僕は強くなったはず。それなのに、なんで使いこなせないの?!


「まぁ、どっちでも良い。これで終わりーーだ、ぁっ?!」


「はぁ……はぁ……出て……来ないで。天津甕星あまつみかぼしの力は、意思は、今はいらない。僕の意思で、先輩を……助けるんです」


「……俺の剣が……くそ! 何をした。なんで弾かれた?!」


 訳が分からないけれど、どうやら相手の剣が吹き飛んだみたいです。

 今がチャンスなのに……それなのに、またあの恐い僕が出て来そうで……いや、あれは、天津甕星の別たれた意思ですね。それが出て来そうになっていて、更に僕自身の神妖の力まで……。


「うぐ……くぅ」


「こいつ……! これほどまで……ちっ、少し距離をーーんっ? 足が動かな……!? ぐぁっ!!」


 いったい、今何が起こっているの? 僕はただ、先輩を助けたい。その為にはこいつが、憑依妖魔が邪魔なんです。


 だから、こいつを消さないと。だけど、先輩は消しちゃダメ! いったいどうすればいいの?!


「あっ……ぁあああ!! 肌がぁ!? ぐわぁぁっ! くそっ、浄化の力か?! ぎゃぁぁああ!!」


「えっ、えっ?? なに……どうなってるの?!」


 何故か空魔が叫んでいる。そして良く見ると、その真っ黒な肌が焼けています。いったいどういう事ですか?


 まるで、太陽に焼かれたかのようにして……まさか、僕本来の神妖の力、天照大神の力が漏れちゃっているんですか?!


 ダメ……ダメ!! このままじゃあ、先輩ごと浄化しちゃう!


「やめて、止めてぇぇ! この力を誰か止めてよ!!」


 ちゃんと使いこなしていれば、こんな事にはならないのに。僕の中にこんな力がなければ、別の方法で助けられたかも知れないのに。


 こんなにも使えないのなら、強大な力なんか要らない!


 先輩を助けられる力を、ちゃんと扱える力をーー


 僕に下さい!


「椿……」


「えっ? ダメ! 近付かないで、先輩! それ以上は、本当に消滅しちゃうよ!!」


 それでも先輩は、ゆっくりと僕に近付い来る。完全に体が焼けているのに、それでもゆっくりと近付いて来ます。


 そして、ずっと御剱を握り締めて離さない、僕の右手を取ります。

 だって、神様の力を宿したこの刀剣があれば、僕の力を抑えられるかも知れない。だからずっと、握っていました。


 でも今、僕はそれを後悔しています。


「先ぱーー」


「これでいいんだ、椿……」


 その僕の刀剣が、深々と先輩の胸に突き刺さりました。


 先輩が自ら、僕の手を取り、そして突き刺したのです。


「なに……してるの、先輩……」


 嫌な予感はしていました。だから、手を取られた時から、僕は抵抗をしていました。それなのに、全く止められなかった。


 今だってそう。先輩の胸から引き抜こうとして、必死に引いているのに、ビクともしないんです。


「さぁ、椿。奴が浄化の力で弱っている内に、再び浄化の力を俺の中に流し込め」


「ダメ、ダメ! そんな事をしたら、先輩が!」


 魂まで妖魔と同化していたら、先輩だって、僕の浄化の力で消滅しちゃいます。


 今も、僕の漏れ出る天照大神の力で、肌が焼けただれています。

 だけど、これでも空魔は消滅しない。それでも、この浄化の力を内部に流してしまうと、流石の空魔でも消滅します。


「椿……辛い思いを、させてしまう……ごめんな。もっと、お前を見ていてやれば」


「違う。違います! 僕が逃げたから、逃げちゃったから!!」


「それは、俺の為を思っての事だろう?」


「えっ……? 先輩、気付いて……」


「当然だろ。可愛い後輩の行動は、お見通しさ」


 それなのにこの人は、僕をいじめから助けようと……だけど結局、先輩の力では助けられなかった。


 そして僕も、先輩を助けられない。


「椿。悔やむのは、良いことだ。だけど、それで立ち止まるな。それを糧にして、進め。椿、お前はここで立ち止まったら駄目だ。まだ、終わっていないのだろう?」


「うっ……くっ……でも、だけど。僕は、なんのために今まで!」


「世界を救う為……じゃ駄目か? 個人を理由に頑張るなんて、今のお前なら、あっという間に達成してしまうだろう? でも、今丁度、椿はやらなきゃいけない事がある。俺なんかの為に……」


「自分なんかなんて、言わないで……」


 そんなの、先輩らしくないです。だから、ハッキリ言います。そうじゃないと分かってくれない。妖魔を追い出そうとしてくれない。


 そして僕は、溢れ落ちそうになる涙を堪え、俯かせていた顔を上げ、悲しそうな顔をする先輩をしっかりと見ます。


「僕は、先輩が好きです。先輩みたいな優しい人になりたいって、ずっと憧れていました。そして今は、異性として好きなんです。白狐さん黒狐さんと同じくらいに、好きなんです! むしろ、白狐さん黒狐さんよりも……!!」


「ーーだった。だろ? 椿」


「うっ……なん、で」


「好きな奴の事は、分かるもんなんだよ」


 なんで、こんなに見抜かれて……なんで、分かるんですか。でも、嘘じゃない。好きなのは変わらない。死んで欲しくないのは変わらないんです!


「それでも、今も好きなんです。死んで欲しくなーー」


「やっぱり……か。天照大神の力が溢れている状態だと、浄化の力を込めなくても、自然に浄化の力が付加されるんだな。この武器に」


「えっ……! うそっ?!」


 先輩の体が、ボロボロに崩れていく。

 まさか先輩は、これを見越してーー違う……良く見たら御剱に、複雑な模様が浮かび上がっている。つまり、普段とは違う状態だったんです。


 それなのに僕は、自分の力を抑えようと必死で、気付けなかった。


 そして先輩は、ゆっくりと後ろに倒れ込みます。

 もう、立ってもいられないのですね。強力な浄化の力が体に流れ込み、恐らく憑依妖魔が浄化した。


 なんとか主体である先輩の意識は残ったけれど、体がもう……。


「先輩……バカ。バカバカバカバカ!!」


「こうしないと、優しい椿の事だ、自分の身を犠牲にしてでも、俺を助けようとするだろう? それじゃあ、お前は捕まってしまう。そうなると、白狐黒狐が無茶をする。お前はまた、悲しい思いをしてしまうぞ」


「先輩が死ぬのも、僕にとっては……ぐすっ」


 僕は、倒れた先輩の傍に座り、そして泣き出しちゃいました。

 だって、勝手にこんな事を……そして自分の未熟さに、腹も立ってきます。


「椿、優しいのは良いことだ。だけど、厳しさもいるだろう? 何でも助けようとすると、本来の目的すら達成出来ない。それは、それ相応の力を持っていないとな。椿、もっと強くなれ」


「ぐす……うぅ」


「これを糧に、強く……」


「分かっています。分かっていますよ。だからちゃんと、決着を着けます。そしてこの街を、選定から救います」


「そうだ、それで良いんだ。今の椿なら、出来る。俺の自慢の後輩だ」


 そして先輩は、ゆっくりと目を閉じます。気付いたらもう、先輩は上半身しか残っていません。意識を保つのも、難しいのかな。


「頑張れよ……椿」


「……うん」


 その後僕は、ゆっくりと先輩の顔に、自分の顔を近付けます。


 そして、先輩の唇と自分の唇を合わせ、キスをします。


 初めて自分から、キスをする。優しく、別れを名残惜しむように……。


 ついでに涙も流れてしまって、それが先輩の口に付いちゃったけれど、良いよね。僕の涙の味も、ちゃんとその魂に刻んで下さい。

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