第漆話 【1】 惨劇の始まり

 白金の毛色の尻尾を九本も靡かせ、幼い僕は笑う。


 それはほんの一瞬でした。

 幼い僕が、その九本の尻尾を蹂躙させただけで、僕のお父さんとお母さん、白狐さん黒狐さんも天狐様も、華陽も妲己さんも、全員呆気なく吹き飛ばれ、地面に倒れてしまいました。


 ただ八坂さんだけは、何か小さくて黒い玉を必死に守っています。まさかそれ、天津甕星の抜け殻?


「くっ……! 脱神となってしまったが、この方だけは……!」


 八坂さん。あなたは本当に、何者なのでしょうか?


 八坂神社の守り人なら、その神社の神様に仕えるべきはずなのに、他の神様にも仕えている様な、そんな口ぶりです。


 すると、そんな八坂さんの所に、幼い僕が宙に浮きながらやって来ました。


「守り人。八坂……八坂……? あぁ、あなたまさか“八阪”ですか? なる程」


「くっ……“姫”、正気に戻るんです。我々の使命は、まだ果たすべき時ではないです」


「そう言いますが、八阪。あなたのその行動も、使命とは違いますよね」


「これは、私個人の私情だ」


「それは使命とは関係無い。そして私達に、そんなものは必要無いでしょう。欠陥ですか? 八阪。消えますか? 戻りますか? あの場に」


 幼い僕と八坂さんが言っている事が、今の僕には意味不明です。

 幼い僕は、冷たい視線を八坂さんに送り、八坂さんもそれに臆することなく返しているけれど、いったいこれは何の話なのでしょう?


 使命って……? 僕は、何かの使命を持ってこの世に生まれたのですか? それは、世界を滅ぼす事?

 ううん、違います。それならとっくにやっているはず。あの強いお父さんお母さんを、こんなにも簡単に倒しちゃう程なんですから。


 すると、八坂さんに向き合う幼い僕の後ろで、僕のお父さんとお母さんが立ち上がります。

 その目は、まだ諦めていないどころか、何かを考えていそうです。


 因みに華陽の方も、フラフラになりながらも立ち上がり、逃げる隙を伺っています。

 だけどそれを、妲己さんが逃すまいとして睨み付けています。そっちは倒れたままだけど。


「ふふ。我が子ながら、中々の力だな」


「えぇ、あなた。これなら、私達を超す事も可能かも知れないわね」


 そう言いながら、僕のお父さんとお母さんは嬉しそうにしています。

 焦るどころか喜ぶんですか? 本当に、僕の両親は凄いですね。


 だけどその前に、華陽が叫びます。


「くっ……こんな事態になるとは思わなかったわね。更にとんでもない事になる前に、ここから逃げさせて貰うわね!」


 そう言うと華陽は、自分の背後に歪んだ空間を作り、向きを変えずに後ろ向きで向かっていきます。

 さっきまで静かだったのは、これを用意する為だったんですね。人間界と妖界とを繋ぐ扉を、皆にバレないようにこっそりと作っていたんですね。


 だけどそれを、妲己さんが止めようとします。


「させないわよ! 妖異顕現、影糸縛えいしばく!」


 すると、妲己さんの影から糸の様なものが飛び出し、それが華陽に向かっていくけれど、華陽の影からも同じものが飛び出して来ました。


「妲己ぃ~私とあんたは同じ妖狐だったのよ。妖術も当然、同じものが使えるの。それにあんたは、私の意志には逆らえない。自由を奪われたくなければ、言う事を聞きなさい!」


 そう言うと、華陽の影の糸は妲己さんの影の糸と絡み合い、そして妲己さんの影の糸は止められてしまいました。だけど、華陽の影の糸はまだ残っていて、それが妲己さんに絡み付きました。


「くっ……!!」


「丁度良いわ。このまま一緒に逃げるわよ、妲己」


 だけど、その華陽の後ろに、幼い僕が立っていました。


「なっ……! いつの間に?!」


「あなたは完全に、私欲にまみれていますね。そういう者達がいるから、この世界は汚れていくのです。今後更にいっそう汚れていくのなら、今この場で、私が消してあげます」


 そう言うと幼い僕は、華陽に向けて掌を広げ、そして突然そこから、白金色の炎の塊を放ちます。


「きゃぁぁあ!!」


 僕の掌から放たれたその炎は、華陽に当たった瞬間に爆発し、華陽を激しく吹き飛ばし、ついでに影の糸で繋がっていた妲己さんまで、華楊と一緒に吹き飛ばしてしまいました。


「うっ……!? くぅ!」


「妲己!!」


 そして妲己さんは、そのまま真ん中の吹き抜けの所に落ちそうになったけれど、それを黒狐さんが、妲己さんの腕を掴んで止めました。

 だけど妲己さんは、既に体が吹き抜けに落ちていたので、黒狐さんは身を乗り出して掴んでいます。


 因みに、華陽も吹き抜けに落ちたけれど、尻尾で石階段の端を掴み、一緒に落ちた殺生石を受け止め、ぶら下がる様になってしまっています。


「冗談じゃないわよ、この私が……くっ!」


 華陽は何とかしてよじ登ろうとするけれど、思いの外ダメージが凄いのか、体が思う様には動いていません。

 更に妲己さんの方も、体に力が入らないのか、中々上がれていないです。でもそれを、黒狐さんが何とか助け上げました。


「はぁ、はぁ……大丈夫か? 妲己」


「なによ……なんで助けるの?」


「何を言っている。妻だから、だろう」


「黒狐……」


 あれ、何だかお互い照れていますよ。

 これを思い出した僕自身が、何だかとても嫌な気分になっているけれど、今はそれよりも、この後どうなるかなんです。


「うっ……くっ! はぁ、はぁ……あっぶないわねぇ。この吹き抜けの底は、人間界と妖界の狭間になっているのよ。ここに落ちたら最後、どんな大妖でも脱する事は不可能なのよ!」


「そのつもりで落としたのですが、しぶといですね」


 そして、華陽も何とか這い上がって来て、幼い僕に向かってそう言います。


 すると次の瞬間、今度は幼い僕に向かって、金色の炎が襲いかかり、そして激しい爆発を起こしました。

 でも幼い僕は、それを謎の白い壁みたいなもので防いでいました。これって確か、妖術や神術を全て防ぐ、バリアーか何かだったような……。


 それといつの間にか、その僕の後ろに、白狐さんが回り込んでいました。でもそれを、幼い僕は見抜いていました。


「いったい、何のつもりですか?」


「椿! 元に戻れ! 妖異顕現ーー」


「邪魔をするのなら、消しますよ」


 そして、白狐さんが妖術を発動する前に、幼い僕が九本の尻尾を持ち上げ、白狐さんを貫こうとします。だけどその時、銀色の雷が僕の頭上から落ちてきました。


「それはさせないぞ、椿。少し準備に時間がかかったが、これよりお前のその力を封印する!」


 すると、僕のお父さんとお母さんが突然上から舞い降りて来て、幼い僕の前後を挟むと、自らの妖気を高めていきます。


「ふふ。私達にも元々、神妖の妖気が備わっているのよ。しかも、2つ」


 そう言えば、前にお母さんの手紙を読んで、それを知ったのです。確か『封印』と『解印』でしたっけ?


「よし、白狐。危険だろうが、少しの間椿をーーん?」


 僕のお父さんが、僕の間近にいる白狐さんにそう言うけれど、何だか様子がーー


「かっ、あ……つ、椿……」


 あっ、えっ……? あ、そうだった。思い出した! 僕は……この時僕は!


「あら、それはこの方ですか?」


「「白狐ぉお!?!?」」


 そこには、硬質化した幼い僕の尻尾に貫かれた、白狐さんの姿がありました。

 しかも、幼い僕の尾が増えていて、白狐さんの後ろから不意打ちの様にして貫いていました。


 その一瞬の出来事に、僕のお父さんとお母さんも叫んでいます。


 そうだった……僕は、僕は白狐さんをーーこの手で殺めていたのです。


「そんな……嘘でしょう!? 尻尾が増えて……」


「あら。誰が九本だなんて言いました? 私は九尾ではありませんよ。だからほら、尻尾の数なんていくらでも増やせます。九本でも苦戦していたあなた達が、これだけの数を防げるかしら?」


 驚くお父さんとお母さんに、幼い僕はそう言って、尻尾を更に増やしていきます。


 誰か……もう誰でも良いから、幼い僕を止めて。

 このままじゃ、もっと殺してしまうかも知れません。もう、そんなの嫌です。こんな……記憶は。


「だから言っただろう? 君の封じられた記憶はキツいよって。それでも、選んだのは君だ」


 すると、その記憶を見ていた僕の横に、狐のお面を付けた、あの子供達が現れました。


「はぁ……はぁ、うっ」


 もう僕は、この光景に目をつぶりたかった。

 だけど目を閉じても、この映像は消えない。僕の脳内で再生されているこの映像は、もう止められない。


「さぁ、まだ封じられた記憶は残っているよ。ちゃんと見ないと。君が選んだ道だよ」


 そうでした……僕が選んだんだ。

 僕は、過去も何もかも全て受け入れて、それでも過去に囚われずに生きていくって、そう決めたんです!


 もう、逃げたくはない。しっかりと見るんだ。最後まで。僕がやってしまった事を。


 この、裏稲荷山で起こった出来事を。

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