第拾弐話 月見酒と幸せの時
「寝られない……」
その日の夜。
昼間に酒呑童子さんに言われた事が頭から離れず、僕は寝付けないでいる。
「白狐さんと黒狐さんの元には居られない。そんなに、僕の封じられた記憶は酷いものなの? それとも、僕の力の方?」
最近は特に、記憶が戻っても2人が居てくれるからと、そう言い聞かせていたのに……また、記憶が戻る事に対して、恐怖心が湧いてきてしまうよ。
「椿ちゃん、眠れないの?」
すると、横からカナちゃんが話しかけてくる。カナちゃんも寝られないのかな。
「ごめん……どうしても、酒呑童子さんに言われた事が頭から離れなくて」
僕がそう言うと、カナちゃんはちょっとだけこっちに寄って来る。
「椿ちゃん、気になるのはしょうが無いよ。でもね、会ったばかりの酒呑童子の言葉を信じるの?」
「うっ……そうだけど」
カナちゃんの言う通りだし、相手は亰嗟を作った張本人。
何で追い出されたかは知らないし、もしかしたら、まだ亰嗟と繋がっているかも知れないんだ。
だけどあの目は、嘘を言っている目じゃなかった。
何かまだ隠している気はするけれど、少なくとも僕に言った事は、あれは全部真実だと思う。
「僕、完全に女の子にならない方が良いのかな……」
駄目だ、こんなんじゃ駄目だ。
悪い妖怪と戦えるようになっても、僕はまだ、自分の封じられた記憶に恐怖している。
精神が……心が弱いままだ。
「椿。あんたは中学生じゃ決められない程の、難しい問題に当たってるの。そんなの真剣に悩んでも、直ぐに答えが出るわけ無いでしょ」
すると今度は、隣に居るカナちゃんの向こう側から、夏美お姉ちゃんが声を掛けてくる。
「でも、やっぱり――」
「あのね、答えを出すのを急がない方が良いわよ」
僕が反論しようとすると、夏美お姉ちゃんが止めてくる。夏美お姉ちゃんのその言い方、昔何かあったのかな。
「夏美お姉ちゃん。凄く真剣に言ってくれるけれど、昔何かあったの?」
どうしても気になる僕は、ついその事を口に出してしまう。
本当は聞かない方が良いんだろうけれど、自分の心を納得させ、お姉ちゃんの言葉を受け入れる為にも、その理由を知らないといけない。
もちろん、答えてくれなくても構わないんだけど、お姉ちゃんはゆっくりと話し始めた。
「……昔、まだ私がこんな格好をする前、私は真面目で、八方美人だったのよ。分け隔てなく、皆と仲良くしてた。でも、クラスの中でグループが分断された時、私は真面目グループなのか、ギャルグループなのか、どっちなんだと言われ、早く答えを出さないと1人になると思った私は、あり得ない答えを言ってしまった」
そのクラスが分断というのも、相当あり得ない事ですよ。ただ、普通は気付かずに分断しているよね。
「私は……どちらでも無いって言っちゃった。ただ、クラスの皆と仲良くしたいと、正直に言ったわ」
気が付いたら夏美お姉ちゃんは、天井を眺めて喋っている。それだけ、面と向かっては言えない事なんだよね。
夏美お姉ちゃんの様子を見ると、その後クラスの皆が何をしたのかは、だいたい予想が付くよ。
「次の日から、クラスの皆は私を無視した。つまり、仲間外れにされたのよ。私の、誰とでも仲良くしたいと言うその思いが、仇となっちゃったのよ」
僕もカナちゃんも、まだ起きていた雪ちゃんも、ただ静かに黙って聞く。ギャルだからとか、そんな偏見も無く、ただ静かに話を聞いている。
何であんな性格になったのか、僕はそれを知りたかったんだよ。夏美お姉ちゃん。
「夏美お姉ちゃん……」
「ごめん、なんか昔の私に戻っちゃったわ。良い? あんたは答えを急ぐな、それだけよ。急いでも良い結果にはならないの、私みたいにね」
夏美お姉ちゃんに言われ、僕はゆっくりと頷く。
そして、さっきから我慢している事をしに行くために、もぞもぞと布団から出ると、カナちゃんが咄嗟に声をかけてきました。
「椿ちゃん、どこ行くの?」
「トイレです。それと、ちょっと頭を冷やしに……あっ、お姉ちゃん、話してくれてありがとう。僕は僕なりに、悩んでみるね」
部屋の扉に着くと、最後にそう付け加える。だけどお姉ちゃんは、返事をする事は無く、そのまま布団に潜っちゃいました。
どうやら感情的になっていたみたいで、今更恥ずかしくなっているみたいです。
―― ―― ――
その後、トイレを終えた僕は、そのトイレの前で1人で唸る。
「うぅ……トイレに行く度に思い知らされる。僕の体が、完全に女の子なんだって事を……」
特に今は、再び悩み始めてしまっていて、余計に気にしてしまう。これは1度、冷静にならないといけません。
そこで僕は、1人で冷静に考える為にと、ここ3階からでも外に出て、ゆっくりと涼める場所に向かった。
和風の旅館だから、バルコニーと言うよりは、納涼出来る場所という感じで、木で出来たその場所には、同じ素材で出来た長方形のテーブルが置いてあり、2人でお酒でも飲みながら、良い雰囲気で涼む事が出来るのだけど――
『うむ。こういう時は、少し甘めの酒が良いな』
『飲みすぎるなよ、白狐。じじいの介抱は勘弁だぞ』
なんとそこには、白狐さん黒狐さんがいました。
しかもね、丁度お月さんが出ていて綺麗なんですよ。
白狐さん黒狐さんが、月の光に照らされていて、尻尾や耳の毛がキラキラと妖艶に光輝いて――
「くっ……こんな時に、ダブルで僕を魅力しないで欲しいです」
『ん? おぉ、椿か。どうした、寝られんのか?』
『ふふ、やはり俺の毛の感触が無いと、ゆっくりと眠れんのか?』
僕はそこまで、2人に依存はしていません。
確かに2人に挟まれていると、そのフサフサの毛並みで、朝まで良く寝られますけどね。
あれ? 僕ってもしかして、既に懐柔されているのかな。
「ちょっと暑くて寝られないだけです」
『ん? そうか? 今夜は風があって、割と涼しいぞ』
黒狐さん、痛いところを突いてきますね。
もう良いです……この2人に隠し事をしても、直ぐにバレちゃいます。やっぱり、そこはお稲荷さんというか、神様の仲間というか、鋭いんですよね。
そして僕は、白狐さん黒狐さんの所に行き、こちらに背を向ける様にしながら、長椅子に座っている2人の間にちょこんと腰掛けた。
2人ともお酒臭いですね、のんびり月見酒ですか。羨ましいですね。
『どうした、椿よ。やはり、昼間に何かあったのか? 浮かない顔をしとるな』
「ん~ん、別に」
僕はそう言うと、白狐さんに寄りかかる。優しい温もりが伝わってきて、ちょっとだけ心地良いな。
『椿、何故いつも白狐ばか――?!』
黒狐さんがそう言うと思ったから、黒狐さんにも寄りかかります。あぁ……どっちも落ち着くから困っちゃうんだよね。
「ねぇ、白狐さん黒狐さん。もし、僕が居なくなったらどうする?」
突然の言葉に2人は驚き、お互いに顔を合わせ、そして僕に視線を移す。
そのついでに抱きしめないでくれるかな……黒狐さん。白狐さんが睨んでいますよ。
『椿、少し心が濁っているな。何があった?』
黒狐さんにそう言われ、僕は黒狐さんから少しだけ離れると、昼間に酒呑童子さんが来た事、そしてその時に言われた事を話した。
最後に言われた事だけは伏せてだけどね。それだけは言えなかった。
記憶が戻ったら、白狐さん黒狐さんの元には居られなくなる。
そんな事まで言ったら、2人はどんな行動をしてくるか分からない。
『なるほどな。だが椿よ、それは薄々感じていた』
僕が話し終えた後、白狐さんがそう言ってくる。でも、その答えは予想していました。
2人は、任務で亰嗟の事を調べているし、ある程度の情報は持っているはずだからね。
『安心しろ、椿。例えお前が亰嗟に攫われようと、俺達は何としてもお前を助ける。磯撫でのように、放置なんかしたりはしない』
あぁ……そっか。2人とも、さっき僕が言った「僕が居なくなったらどうする?」を「亰嗟に攫われたらどうする?」って感じで受け取っちゃったかな。それはそれで良いけどね。
それに、2人の間に挟まれて、少しだけ気分が良くなったんだよね。駄目だな、僕は……。
今気が付いたけれど、やっぱり僕は、この2人に依存しちゃっているよ。
しかもこうやって、白狐さん達に引っ付くのは久しぶりだったりする。
ここ最近は、カナちゃんと雪ちゃんが僕に引っ付いていたので、中々白狐さん達と触れ合えないでいたんだ。
そしてそれは、白狐さん黒狐さんも同じ様に感じていたみたいで、僕に物凄く引っ付いてくる。
「ねぇ、白狐さん黒狐さん。僕が居なくなっても、ちゃんと迎えに来てね。何処に居ても……絶対、だよ」
『む? 当然の事を聞くな、当たり前だ』
『寧ろ、俺達の元から去ろうとしても無駄だからな。良いな? お前は絶対、俺の嫁になるんだ』
黒狐さん。いつもそんな風に言うから、白狐さんに反論されるんでしょ。
そしてこの2人は、この後いつも通りに、どっちが僕を嫁にするかで言い争いを始めた。しかもお酒が入っているから、いつもより口調がキツいよ。
『黒狐よ! いい加減に引かぬか!』
『断る! 貴様が引け!』
う~ん、僕はどっちでも良いんですけどね。
でも、何だろう……いつものこの2人のやり取りを見ていると、安心して……眠く……。
―― ―― ――
「スースー。んん……白狐さん、黒狐さん……」
「椿ちゃん……良くこんな所で寝られるわね。しかも、寝言が2人の名前って……もう、妬けちゃうなぁ」
「トイレ遅いから、様子見に来たら、何これ?」
「あらら……白狐と黒狐も喧嘩を止めてるわね。真ん中であんな風に、可愛い寝顔を見せて、しかも寝息まで立てて、2人の名前なんか呼ばれたら、流石に喧嘩なんか出来ないわね~我が妹ながら、中々やるわね」
『おぉ、お主等。丁度良かった。椿が寝てしまってな。すまんが、運んで貰えるか?』
『全く……幸せそうな顔をしやがって』
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