第漆話 【2】 誘導された先は……

 僕を追う雨雲を避け、逃げる先に妖気が無い方へと向かう。

 だけど、逃げていて気付きました。これ、誘導されている……。


 だって気が付いたら、見晴らしの良い浜辺に着いていたからね。皆で遊んでいた、あの場所です。


「あ~やってしまった……逃げ始めて直ぐに気付くべきでした」


 そう呟いても、これはもう遅いよね。僕の視線の先に、誰かが立っている。

 ここは一般人は近づかないし、人の形をしていても、妖怪のはずなんです。


 その妖怪さんを良く見ると、柔道着を着ていて、顔の形がサメになっていた。

 だけど体は、人? いえ……サメの体が、人の形になっている気がします。だって、手じゃなくてヒレだもん。


「ふっ、俺は逃げも隠れもしない。誰が向かって来ようと、真正面から闘うのみ! それなのに、誰も来ない!」


 なにか叫んでる。

 でもね、そうやって前で腕を組み、仁王立なんかしていたら、誰だって恐くて近づかないでしょう。もしくは、罠があるかも知れないって警戒するよね。


磯撫いそなでさ~ん。挑戦者呼んで来たよ~」


 すると、さっきの雨降り小僧さんが、その妖怪さんの前に突然現れて、そんな事を言ってきました。


 止めて下さい、僕は挑戦しません。明らかに戦闘する気満々じゃないですか。僕なんか瞬殺されるからね。


「ふん、雨降り小僧。狐を連れて来てどうする。俺が闘いたいのは、強き者との激戦だぞ!」


 想像通りの危ない人です。

 でも、向かって来る気が無いのなら、早くこの場から逃げ……ようとしたけれど、また周りを沢山の妖気が囲んでいる。

 ここから逃げるなら、この包囲網を突破しないと駄目なのですか……それを突破する前に、捕まりそうです。皆、ライセンス試験の斡旋に惹かれ過ぎ……。


「えっとね、今この子変化していて、あんな風に狐になってるだけだからね。本当は、妖狐の女の子だよ」


「それでも意味ないわ。女となど、余程の事でも無ければ闘わん」


 そうでしょうね。見た感じだと、男と男の熱い戦い、血湧き肉躍る闘いがやりたいんだと思う。


「ねぇねぇ君、ちょっと変化解いて来てくれる?」


「え~」


 この姿の方が逃げやすいんです。そう思っていると、雨降り小僧さんが近づいて来て、僕に耳打ちをしてくる。


「この妖怪に勝てたら、僕はもう君の居場所を教える事はしないよ」


「本当に?」


 僕が聞き返すと、雨降り小僧さんは元気良く頷いてくる。

 嘘をつけそうな妖怪じゃなさそうだし、信じても良いかも知れないけれど……あれに勝つって、難しそうだよ。


「磯撫でさんは、旅館の妖怪の中では最強だよ。戦闘に限り、だけどね」


 それだと、益々勝てる確率が低いです。今までのように、小手先で通用するような相手じゃない。だって相手は、肉弾戦をしてきそうなんだもん。


「とりあえず、その変化解いてきてくれる?」


「……分かりました」


 どっちにしても逃げ道は無いし、この状況を打開するには、磯撫でさんを倒すしかないみたいです。


 ――そして十数分後。


 岩の陰で変化を解き、急いで下着と服を着た僕は、再度磯撫でさんの居る所に戻ってきた。

 岩の陰に隠れていても、何だか恥ずかしかったです。その、誰かに見られていないか気になっちゃって……。


「へぇ、ちゃんと戻って来てくれたね。またとんでもない妖術で逃げるかと思ったよ」


 僕は今、絶対に顔が赤いと思う。それなのに、雨降り小僧さんは無視して話を進めています。

 それなら、僕も普通にしておきましょう。うん、気にしない気にしない。


「それも出来たかも知れないけど、それだとずっと僕の位置を知らせるでしょ? 訓練はまだまだ終わりそうにないんだし、いつまでも君の包囲網から逃げていたら、いつかは捕まっちゃうよ」


 実際にこうやって追い込まれているし、ここを脱しても、また別の妖怪さんの元に誘導されそうなんです。もっと強い妖怪の所にとかね……。


「ふぅ……だからな、雨降り小僧。女とやっても意味が無いんだよ」


 あとの問題は、磯撫でさんのやる気が無いことですよね。雨降り小僧さん、どうするの。


「でも、ライセンス試験の時――」


「くどい。斡旋など卑怯な手を使わず、正々堂々と挑むべきだ!」


 困りましたね。相手の方が、僕と戦っても無意味と思っているようです。だけど僕は、どういう訳なのか、磯撫でさんの今までの態度にカチンときている。


 これは……男としてのプライド?

 僕の中にはまだ、翼として生きていた記憶の方が濃くて、完全な女の子になれていないんだ。


 やっぱり記憶が蘇らないと、完全な女の子にはなれないようです。


「それにだ。例えどんな奴だろうと、鞍馬天狗の家の奴らは、心優しいが故に、脆弱で脆く、妖怪の恥さらし者が多いと聞く。そんな奴等、闘う価値すら無いわ!」


「…………」


 もう男だから女だからって、そんなの関係無いよね。この湧き上がる怒りは……馬鹿にされた怒りです。

 まさか、おじいちゃんの家の妖怪さん達を、ここまで馬鹿にされるとは思わなかったです。


 もし本当にそうだとしても、あそこの優しい妖怪さん達は、僕にとっては大事な存在なんです。馬鹿にするのは許さない。


「ふふ、磯撫でさん……僕、カチンときちゃいました。ねぇ、僕が勝ったら、おじいちゃんの家の妖怪さん達に、土下座して謝ってね」


「ほぉ、では俺が勝ったら?」


「僕の体、好きにして良いよ」


 また僕は、とんでもない事を言っちゃったかも。頭に血が上っていて、今の僕は冷静じゃない。

 そういう時の僕って、凄い発言をしちゃうけど、勝てば良いんですよね。勝てばね……。


「ふん。俺はふしだらな事は一切しない! 己の技が穢れるからな! まぁ、技の練習台にはなって貰おうか」


 磯撫でさんはそう言ってくるけれど、下半身の1部が若干盛り上がっているのを、僕は見逃さない。男は狼なんですよ。相手は鮫だけど。


 しかも良く見たら、その盛り上がりが2つあるんだけど。右と左、それぞれ盛り上がりが出来ているよ。

 鮫って、アレが2つ付いているんでしょうか? ダメダメ、今はそんな事を考えている場合じゃないです。


 そして僕は、白狐さんの力を解放し、磯撫でさんの攻略法を考える。

 柔道着を着ているから、戦闘スタイルは、柔道か空手かな? どっちにしても、接近戦が主体になってる。


「ほう、やる気と言う事か。それがお前の、戦闘時の姿なのだな? どれどれ、空鮫拳くうこうけん!」


「えっ? ぎゃんっ?!」


 磯撫でさんはそう言うと、腰を落として正拳突きをしてきました。

 距離があるし、いったい何をやっているんだろうと思っていたら、空気の塊の様な物が僕の体に当たり、吹き飛ばされてしまいました。


 接近戦をしてくると思っていたら、まさかの遠距離攻撃で油断しました。


「い、いたた……嘘でしょう?」


 だけど僕は、そのまま倒れる事無く、足で踏ん張って耐えました。ただ、これを何発も受けるのは嫌ですよ。


「……ほぅ、面白い。貴様、弱いと思いきや、中々にやるようだな」


 ちょっと待って下さい。磯撫でさんから、物凄いオーラが出てませんか? いきなり本気になっているのは何ででしょうか。


 僕が驚いていると、目の前の磯撫でさんが消え、気が付くと僕の懐に潜り込んでいました。


 いつの間に……瞬間移動か何かって事?


「俺は移動するにも、風の揺らぎを起こさず、瞬時に移動をする。撫でる様に――な!」


 そう言うと磯撫でさんは、僕の襟首と右腕を掴み、引き寄せる様にしながら投げ飛ばそうとしてくる。これはまさか……。


「ぬぅん! 伝統奥義、1本背負い!」


 ヒレなのに良く出来きたよねって、感心なんかしている場合じゃないです。


「……くっ?!」


「ぬっ?」


 体が地面に付く前に、足でしっかりと着地しようと考え、相手の投げる力を利用して、えび反りみたいになると、そのまま足を曲げ、背中より先に足を地面に付けた。


 この格好……まるでリンボーダンスをしている様です。


 それと、地面に叩きつけられる時の衝撃が、全部足にきたので、足の骨が折れるかと思いました。それと、腰もね……。


「いっ……たぁ。下が砂浜でも、これだけの衝撃があるって……どれだけの力を込めて投げた、の!!」


 そう言った後、僕の腕を掴んでいる相手の腕を掴むと、そのまま勢いを付けて体を捻り、横に回転するようにして跳び上がると、渾身の力を込め、相手の体を上下に反転させる。


「なっ……?!」


 普通の道路だったら、踏ん張られて終わりだけど、ここは砂浜、踏ん張っても足を取られやすいからね。


「ぐぉっ……!?」


 そのまま、相手を頭から地面に叩きつけたんだけれど、下は砂浜だから、叩きつけても突き刺さるだけで、たいしたダメージにはなっていないよね。


 そのあと直ぐに、真っ直ぐ突き刺さった磯撫でさんは、体を曲げて足を地面に付け、顔を砂浜から引き抜いた。やっぱり、たいして効いていないです。


「ふぅ……これは驚いた。まさか返されるとは。なるほど……面白い」


「僕は全く面白くないです。女の子に向かって、本気の投げ技をしてくるなんて……」


 僕も磯撫でさんも、膝を突きながら向き合い、体の砂を払い落とす。


 妖術を使っても良いけれど、向こうが体術で来ているから、得意分野で挑んで勝った方が、相手のプライドを折れるから良いと思ったんだけど……ちょっと、考えが浅はかだったかも。


「ふふ、すまんな。俺は強者と分かれば、女子供とて容赦はせん」


「いや、子供は容赦してあげてよ……それって、ただの悪人だよ。でも、たった2回の攻撃だけで、強者って分かるの?」


 すると磯撫でさんは、目を見開いて驚いた。

 そもそも、磯撫でさんは目が細いので、見開いているかは分からないけれど、あれは見開いてると思う。


「自らの強さに気付いていないのか? まぁ、俺の技の強さも分からんから、当然か。初撃はな、本来なら内蔵が破裂し、吹き飛ぶはずだ。だが、お前は耐えた。その時から俺の中で、お前は強者という判断に至ったのだ」


 その前に、最初の攻撃で僕を殺そうとしたんですね。どうやらこの磯撫でさんは、考え方がおかしいようです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る