第陸話 【2】 雨降り小僧と人魚の海音

 白狐さん達を捕まえた後、僕が息を整えていると、上空から烏天狗さんが3人舞い降りて、白狐さん達を連れて行っちゃいました。


『あ、待たんか……尻尾は止めろ!』


『くそ、椿……次こそは俺の愛を……!』


「椿ちゃ~ん!!!!」


 なるほど……捕まった人は、あんな風に烏天狗さんに連れて行かれるのですか。何か叫んでいるけれど、無視です無視。


 そして良く見たら、上空を無数の烏天狗さんが飛んでいました。


「白狐さん達には悪いけれど、罰だけは嫌なんです……」


 でもきっと、今日の夜は部屋に呼び出されそうな気がする。

 断ったら断ったで、旅行から帰った後に色々されそうなので、呼ばれたら断らない方が良いかも。


「う~ん……ここは田舎だから、今の所通行人はいないけれど、もうちょっと人気の無い所に移動しようかな」


 ブラを付け直しながら、僕はそう呟く。


「むっ……」


 だけど……なんだかブラがキツいような……。

 まだ神妖の妖気を使っている状態だからなのか、胸が大きくなっているのかな。そういえば、この状態の時は、胸が苦しいんだよね。試しに、神妖の妖気を抑えてみる。


「あっ、着けられた……」


 まるで、風船の空気をちょっとだけ抜いた後みたいです。何でしょう、この複雑な感情は……。


 ブラを着ける抵抗は、少しだけ薄れてはきたけれど、それでも何だか恥ずかしいです。だけどこれをしていると、自分は本当に女の子なんだって、嫌でも自覚できる。


「はぁ……とりあえず移動しよう」


 他の妖怪さん達は、僕の妖気を感知出来ないだろうから、騒ぎさえ起こさなければ、このまま逃げられるかな。


「おじいちゃんの家の妖怪さん達で、他に厄介な妖怪さんはいないはず」


 顎に手を当てながら考え、僕は今、人気の無い山の方に向かって歩いています。


「問題は、旅館の妖怪さん達ですよね……神妖の力を使える妖怪は、今の所あの茶釜さんかな? だけど、他にもいるかも」


 そう言えば、僕が白狐さん達とやり合っている間、楓ちゃんが向かって来なかったし、いつの間にか居なくなっていましたね。いったいどこに行ったのかな?


「…………」


「…………」


 目の前に居ました。


 まだ距離はあるけれど、あのお地蔵さん、良くみるとまた尻尾と耳が……。

 それに、こんな人の少ない道に、お地蔵さんだけが1体ポツンと佇んでいたら、それはそれで怪しいでしょう。


 たまに通り過ぎる人達が、首を傾げてジロジロ見てるよ。それバレないよね。


「う~ん……とりあえず、反対側からグルッと回って行こう」


「…………」


 楓ちゃん、反対側に方向転換をした僕を、追いかけたくても追いかけられないんでしょう?

 だって目の前には、ちょっとずつでも人が集まって来ていて、動いたらバレちゃうよね。


 君はもう少し、修行が必要なんだよ。


 ―― ―― ――


「あれ? 雨……? 天気予報では、雨じゃなかったのに」


 楓ちゃんから離れ、左に曲がって少し歩いた所で、急に雨が降ってきました。でもこの雨、妖気を含んでいる。


 僕は周りを警戒しながら、少しずつ進んで行く。


 だってこれだと、他の妖怪さんが近づいて来ても、あんまり分からないんです。雨の妖気のせいで、他の妖気が感じ取りにくい。

 妖気の強さで判断するしかないんだけど、それだとワンテンポ遅れちゃうよ。


 雨を降らす妖怪さんは、おじいちゃんの家には居ない。

 つまり、旅館の妖怪さんですか……実力が分からないから、出来たら逃げたいかな。


 すると、徐々に雨の降る量が増えていき、僕の服がずぶ濡れになっていく。

 傘が無いからしょうがないんだけど、せっかくの巫女服が……いや、気に入っているんじゃなくて、あとで里子ちゃんの手間が増えるからなんです。だから、出来るだけ濡れたくないなぁ。


「もう……向こうは晴れているのに、何でここだけ?」


 とにかく僕は、その晴れている所に向かって歩いて行くけれど、全く雨が弱くなる気配がないです。それどころか、更に雨が強くなっているんだけど……。


「そっか、部分的に雨を……これは全て、旅館の妖怪さんの力ですか。あれ? でも、こうやって雨を降らせ続けて、いったい何の意味があるのかな?」


 この雨自体、妖術で降らしているのは分かるんだけど、体力を奪ったり、動きを封じたりとか、そういう特殊な雨でもないんです。相手の意図が分からない。


 そう思っていたら、目の前にある雨で出来た水溜まりから、突然水の弾が飛び出し、僕の頬を掠めていく。


「……へっ?」


 一瞬何が起こったか分からなかったけれど、とにかくこの場から離れないと。今気が付いたんだけれど、多分この雨は、僕の居場所を教えるものだ!

 だって既に、周りから沢山の妖気を感じるし、もう完全に囲まれちゃっている。


「えへへ、成功成功~さぁ、椿ちゃんだっけ? 皆から逃げられるかな?」


 すると今度は、屋根の上から声が聞こえてきます。


 その声の方向を見ると、そこには小さな子供の妖怪が立っていました。頭に中骨を抜いた和傘を被っている、良く知られている妖怪さんの一人ですね。


「えへへ、僕は雨降り小僧。戦う事は出来ないけれど、こうやって雨を降らせて、特別扱いの妖狐の居場所を、皆に教えて上げたのさ。旅館の皆の為に奉公するのが、僕の仕事だからね」


 そう言うと雨降り小僧さんは、屋根から屋根へと軽々と飛び移り、何処かに消えてしまいました。

 ちょっと待って、さっきの子は雨を降らせただけなら、水溜まりから飛んで来た水の弾は、いったい誰が……。


 そう思った瞬間、再び目の前の水溜まりが盛り上がっていき、僕に向かって覆い被さる様にして襲ってきました。


「妖異顕現、動水の儀!」


 危なかったです。

 あんまり使っていなかったけれど、僕は動く水を操る妖術が使えたんです。この雨も、その妖術で弾く事が出来ましたね。


「えっ? 嘘?!」


 すると、僕の妖術に驚いたのか、前方から女の子の声が聞こえてきました。

 その声を聞いて、急いで辺りを確認すると、慌てて電柱の陰に隠れる人の影が見えたよ。いや、妖怪の影ですか? 人の形をしていたけれど、確実に妖怪ですよね。


「えっと……もうバレてるので、出て来て下さい」


 それで観念したらしく、恐がりながらも電柱の陰から出て来ました。


「す、すいません。コッソリと狙うような事をして……」


 その妖怪さんは、見た目は完全に人です。だけど、大量の妖気をその人から感じるので、妖怪で間違い無いです。

 この妖気の量は半妖では無いです。完全に人の姿と同じ妖怪なんて、居たっけ……。


 ウェーブのかかった海の様に青いロングヘアーに、二重のパッチリとした青い目をしている。

 それにスタイルがめちゃくちゃ良いです。嫉妬しちゃいそう……。

 服装も魅力的で、おへそが見える服に、スリットの入ったロングスカートで、スタイルが良く分かる格好をしていますね。


 だからね、物凄く美少女だって、誰が見てもそう言うと思う。異性でも同性でも、この妖怪さんの前ではドキドキしちゃうんじゃないかな。


「あの……私、人魚の海音あまねと言います」


「あっ、僕は妖狐の椿です」


 彼女が挨拶をしてくるから、僕まで反射的に挨拶しちゃいました。だけど、相手は「知ってます」みたいな感じの笑顔を向けてきて、何だか恥ずかしいですね。

 

「あのね……私見ての通り、水を扱うのは得意ですし、人の姿に変化も出来ます。それなのに、中々ライセンスが取れなくて……しかも、父の居ない貧乏な家な上に、病弱な母も居るんです。だから、早く稼げるようになりたいんです! 椿ちゃん、お願い。私を助けると思って、捕まって下さい!」


 海音ちゃんは、必死な顔付きでそう言ってくる。

 確かにそれは、同情しちゃうような話で、話し方も真に迫っている。だから一瞬、心が動きそうになりました。


 でもね――


「それは大変だね。同情しちゃうし、捕まって上げたいよ……その話が本当なら、ね!」


「へっ? あっ?!」


 僕は、動く水を操る妖術を使った時、直後にもう1つだけ、妖術を発動しておいたの。


 影の妖術をね。


 それでこっそりと、海音ちゃんの後ろに、手錠を持たせた影の腕を伸ばしていて、密かにタイミングを見計らっていたんだよ。

 海音ちゃんは、僕を捕まえようと動き出していたんだけれど、一歩遅かったね。


「そ、そんなぁ!? だ、だまし討ちなんて……流石、妖狐ね。でも、何で嘘ってバレたの?」


「そんな事に疑問を? あのね、本当に貧乏で、病弱なお母さんのためだって言うのなら、もっと焦っていて、悲壮感溢れる顔をしているものなんだよね」


 それでも海音ちゃんは、納得のいかない顔をしている。

 多分だけれど、その声にも妖気を混ぜていて、同情させやすくしていたんだろうね。だけど、最初から怪しいと感じていると、それは効かない様ですね。


「最初から疑ってたわよね?」


 自分の能力だから、それも気付いていましたか。そして、答えは簡単なんだよ。


「人を騙そうとする目をしていたから」


「なっ?!」


 そう言うと僕は、背を向けて海音ちゃんから離れて行く。もちろん、雨はその場に固定してだけどね。


 僕はずっとずっと、妖狐になるまでは、人の顔色を伺いながら生きてきた。そんな中で身に付いたんだよ。

 この人の目は、僕を蔑んでいる目。この人の目は、僕を馬鹿にしている目。この人の目は、僕に苛立っている目。この人の目は、僕を騙そうとする目。


 僕はそんなのばっかり、見ていたんだよ。


 でもね、おじいちゃんの家の妖怪さん達は、皆澄んだ目をしていて、真剣に僕を心配し、仲良くなりたいと思っている。

 そして、僕に良い事があれば、まるで自分の事の様に嬉しがり、目を輝かせるんだよ。そんな目は見た事が無かったから、びっくりしたよ。


 旅館の妖怪さん達も、優しい目をしていたけれど、野心に溢れた目をしている妖怪さんも居たよ。海音ちゃんみたいにね。だから、旅館の妖怪さん達だけには、絶対に捕まりたく無いんだ。


 そして僕は、再び走りだす。

 まだ開始1時間も経っていないから、しばらく隠れて体力を温存しないと……。

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