第弐話 【2】 黒猫が前を横切ると不幸になるって言うよね

 白い手の妖怪『手魔根木』は、掌の大きな目玉を僕に向け、ありったけの妖気を発してくる。

 でもそれは、攻撃をしているという感じは無くて、どことなく嫌な雰囲気を漂わせているだけの様な気がします。


「ちょっと! 椿ちゃん危ない!」


「へっ? うわぁ?!」


 カナちゃんの声が無ければ、交差点の横から急に突っ込んで来た車に、轢かれるところでしたよ。咄嗟に前に飛び込んで、事無きを得たけどさ……。


 それより、何でまた車が来るのかな? 普通は事故が起きてたら、車が来ない様にするでしょう。

 だけど、警察や救急車がまだ来ていないし、何だか遅い気がするし――


 それに、嫌な予感が全然消えないんだよね。


「ちょっ、椿ちゃん! 今度は上!」


「えっ? うそっ!」


 何で今度は、上からジェラルミンケースが落ちてくるのかな!? こんなの、当たったら痛い所じゃ済まないですよ。

 またカナちゃんの声で、ギリギリ避けられたけれど……さっきから僕に、変な不幸が起こってませんか。


「まさか……あの手魔根木が、僕に不幸な事故を起こさせようとしているの?」


「椿ちゃん。とりあえず、そいつから一旦距離を取って!」


 言われなくても、それは分かっています。でもね、動こうとしたら足になんだか……気持ちの悪い感触がするんですよ。


「うわっ、何でこんな所に……噛み終えたばかりのガムが捨ててあるの……」


 避けた所にガムとか、本当に勘弁して下さい。

 でも待って……ガムに気を取られている場合じゃ無いんだった。


「椿ちゃん? 何してるの?! 車!」


「わぁぁあん! まさかのコンボ?!」


 不幸に不幸を重ねて、再び僕を車に轢かせる気ですか!

 さっきの車も電柱にぶつかっていて、運転手の安否が気になるのに、そこから続けて3台目ですか。


 それでもやられるわけにはいかないので、足の裏の気持ち悪いのをガマンして、その場でジャンプをし、3台目の車を何とか避けた。


 そして着地――


「へぶっ?!」


 ――と思ったら、着地した場所にバナナの皮とか……こんなの、コテコテにやり尽くすされた、古いコントじゃないですか!

 これは逆に予想していなかったから、思いっ切り踏ん付けて転んじゃったよ。


「もういい加減にして! これは古すぎるってば!」


「椿ちゃん、誰にキレてるの!? また来てるって!」


「うわぁぁあ!!」


 バナナの皮なんかを、思い切り地面に叩きつけている場合じゃなかったよ。

 目の前にまで新たな車が来ていて、あわや轢かれる――と言う所で、僕は咄嗟に横に転がり、それも何とか回避した。


 と思ったんだけどね、犬のウ○チが直ぐ近くにあって、見事に全身でそれを……ね。あ、あはは……。


「つ、椿ちゃん……早く何とかした方が……」


 不幸のフルコースを前にして、早くも僕の心は折れそうです。


「ふ、ふふふ……流石にちょっと、イライラしてきましたよ。こ、こんな目に合わせてくれて、絶対許さない」


 そんな事を言っている間にも、僕の頭に鳥のフンがポトってね。

 しかもその後に「アホーアホー」って、烏の声なんかがしてくる。これも定番のネタですよ。


 そんなのを一通りやられて、もう怒り心頭と言うか、呆れかえっちゃいます。

 この妖怪は、こんな不幸でしか事故を起こせないのでしょうか。


「妖異顕現! 黒焔狐火!」


 手魔根木が、あまりにも嬉しいそうな目つきをしているから、それに腹が立った僕は、妖術で気絶させようとしたんだけれど……。


「あっつぅい!!」


「嘘でしょ……! 椿ちゃん! 何で逆噴射してるの?!」


「僕にも知りません! 熱い熱い! この炎消えないんだよ、どうしよう!」


 まさか……僕がやることなすこと全部、不幸な事になっちゃうのですか?

 それはそれとして、先にこの炎を何とかしないと、自分の炎で焼け死んじゃうって!


「神水」


 そんな時、急に静かな声が聞こえてきて、冷たくて凍えてしまうほどの冷水が、僕の全身にかけられた。

 でもそのおかげで、自分自身で発した黒い炎が消え、何とか助かった。


「はぁ、はぁ……び、びっくりした」


「だから言うたじゃろう、侮るなと」


「ご、ごめんなさい」


 地主神さんにそう言われてしまい、返す言葉も無い。

 さっきの水も、この人がかけてくれたようです。だけど、妖術による炎を消すなんて、これはただの水じゃないですね。


「だがまぁ、こんな妖怪が潜んでいたとは思わんかったし、お前さんの力も相当なのは分かった。さて、どうしたものかの」


 どうしたもこうしたも、あの掌の目から発する妖気に、当たらない様にしながら捕まえる。これしか無いですよね。

 だけど、今僕は動けない。動くとその行動全てが、不幸に直結してしまう。


「これ以上事故は起こせないし、僕は動けないよ」


 既に4台も事故を起こしていて、周りは騒然となっているんだ。

 そのおかげで、皆交差点から逃げてくれているから良いんだけれど、明日の新聞のトップは『怪奇現象発生!!』とか『謎の妖怪と妖狐の美少女現る!』で決まりですよね。


「あぁ、お前さんにかけられている不幸の妖気は、儂の力で何とか消し飛ばしたわ」


「えっ? ほんとですか?!」


 その言葉を聞いて、僕は咄嗟に立ち上がってみた。

 うん、確かに何も起こらない。良かった……不幸の呪いが解けているよ。地主神さんってば凄いですね。


「あっ、だけど待って。椿ちゃん、服が!」


「えっ? あっ……きゃぁぁぁあ!」


 また可愛い悲鳴が出てしまいました。

 女の子になるんだって、そう決めたんだから、何を今更なんだけれど……それでもやっぱり情けなくなってくる。

 だってさっきの炎で、制服の胸の部分が燃えちゃって、その……。


「あの、椿ちゃん。ブラは?」


「う、うぅぅぅ……ま、まだそれには抵抗があったし、着けてないんだけど、こ、こんな事になるなら、着ければ良かったよ~!」


 腕で胸の前を隠し、地面にへたり込み、恥ずかしいのを必至に抑えようとするけれど、やっぱり駄目です。ささやかなものだけれど、それでも見られるのは恥ずかしいんだよ。


「やれやれ、参ったの……せめてもう1人、ライセンス持ちがおったらの」


 二重の意味で情け無いです。これはもう全て、僕の怠慢によるものです。

 こんな事になるんて思わなかったけれど、それでも何とか出来ないかと、僕は必至に考える。


 すると僕の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「アハハハ! ようやく私の出番ね! その妖怪は、私が貰ったわ!」


 この声は――美亜ちゃんですね。


 やれやれ、戻ってきてくれて助かりました。


 すると美亜ちゃんは、黒猫の姿のままで、後ろから手魔根木に向かって走って行くと、そのまま弧を描く様にしながら、真っ直ぐ手魔根木の前を横切っていく。


 それは、何がしたいのかな?


「えっ、待って美亜ちゃん! さっき手魔根木が発した不幸の妖気、思い切り浴びてなかった?!」


 美亜ちゃんはついさっき来たんだから、この妖気の事が分からないはず。僕達が説明をする前に、相手に向かって行くとは思わなかった。


 これだと美亜ちゃんまで、相手の不幸のフルコースに――と思った次の瞬間、手魔根木が居る場所が急に爆発し、相手は上空へと高らかに吹っ飛んで行った。


 どうやら手魔根木は、マンホールの蓋の穴から出て来ていたらしく、マンホールの中で謎の爆発が起こり、蓋と一緒に吹き飛ばされたみたいです。いったい何でそうなったのか、僕には謎でしょうがない。


「ふっふ~ん。あんたの痴態は見せて貰っていたわよ、不幸にまみれまくって絶望する顔、見てて面白かったわ~」


「お化けが怖くて逃げたくせに……」


「なっ、ち、違っ! あ、あれは戦略的撤退よ!」


 人型になって、顔を真っ赤にしながら言われても、説得力が無いですよ、美亜ちゃん。


「と、とにかくよ! 目には目を、不幸には不幸を! 黒猫の私が対象の前を横切る事で、不幸の上書きをしてやったのよ!」


「あ~確かにね、黒猫が前を横切ると、不幸が起こるって言うよね。それで不幸にも、マンホールの中に可燃ガスが溜まっていて、何かの拍子に火花が発生し、爆発した――と」


 カナちゃん、目が遠くを見ていますよ。いったいどこを見ているのかな?

 信じたくないのは分かるけれど、実際に起こっているからね。不幸の上書きで不幸が跳ね返され、更に強力になったって、そう考えよう、ね?


「結果オーライ。問題無いわよ! 椿、影の妖術で身動き取れないようにしておいて! 私が巻物で封じるから!」


「へ? あ……わ、分かった! 妖異顕現、影の操!」


 右手が使えれば、妖術の方は何とかなるからね。左腕で前を隠したまま、僕は妖術を発動します。


 丁度真上から、手をバタつかせながら手魔根木が落ちて来ているので、そこを僕の影でガッシリと捉え、好き勝手させない様にします。


 その直後、巻物を広げた美亜ちゃんが、巻物の中央に手を当て、そこから光の玉を出現させると、それを手魔根木に直撃させる事に成功し、あっという間に捕獲が完了した。


 ちゃんと対処をすれば、事故も増やさず捕まえる事が出来たのに……僕が張り切り過ぎたのと、怠慢していたせいで、事故が拡大しちゃいました。


 これは帰ったら、おじいちゃんにめちゃくちゃ怒られる。

 ようやくやって来た警察と、救急車と消防車のサイレンの音を聞きながら、僕は家に帰るのが凄く嫌になっていた。


「カ、カナちゃん……今日、泊めてくれる?」


「だ~め、ちゃんと怒られなさい」


「そうですよね……」


 怪我人の手当てをするカナちゃんに、それとなく頼んでみたんだけれど、こう言う時に限って、厳しいお姉さんって感じの顔付きをして、僕の方を見てきました。

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