第参話 【2】 曖昧な性

 僕は今、おじいちゃんの家の自分の部屋で、うつ伏せになって寝ています。


 学校から帰って来て直ぐ、お布団にダイブしたのです。

 あれだけ泣いても、やっぱり悲しいものは悲しい。だけど、いつまでもメソメソしてはいられないし、今後の事を考えないといけない。


 ちゃんと帰りに生徒会に報告したし、この件は僕に任して欲しいとも言ってきた。覚悟を決めないと。


「ふぅ……」


 枕に顔を押し付け、何とか気持ちを落ち着かせる。すると僕のほっぺに、なんだかくすぐったい感覚がした。

 いや、何をされているかは分かっていますよ。白狐さんと黒狐さんが、僕のほっぺを舐めているの。


『何じゃ、まだ泣いとるのか?』


『白狐と一緒に、あれだけ慰めてやったのに』


「涙はもう出ないし、泣いてもいません」


 学校の帰り、あれだけ目の周りを舐められ、涙を拭われたんだもん。

 垢舐めの半妖に舐められなくても、ここに僕の顔を舐めまくっている妖怪が居ましたね。指で拭えば良いのに、なんで舐めるのかなぁ……。


『おぉ、そうだ。あの変態垢舐め半妖に、椿の垢を舐められるより、我らが先に垢を舐め取ってしまおう』


『なるほど、良い考えだな白狐。よし、体中隅々まで垢を舐め取って――』


「うわぁぁあ!! こんな所にも垢舐めがいるぅ!!」


 背筋が一瞬でゾクゾクしてきました。

 慌てて布団から飛び出し、2人の間から抜け出たけれど、本当に僕の安息の場所は何処なの?!


「――って、ふぎゃぁっ?!」


「何やってんのよあんたは……」


そのまま、入り口近くの床に着地しようとした瞬間、僕の尻尾が誰かに掴まれ、宙に吊られる格好になってしまった。頭が地面に付きそうで危なかったんだけど……。


 いったい誰が……と思い、僕の尻尾を掴んでいる人を確認すると、何と美亜ちゃんだった。


 あれ……だけど、僕を吊り上げる程に身長差あったっけ?


 不思議に思った僕は、逆さまになりながらも、美亜ちゃんの姿をじっくりと見ていきます。

 すると、その姿は確かに美亜ちゃんで間違い無いのだけれど、その容姿が変わっていました。


 何と美亜ちゃんは、大人になっていたのです。というか美亜ちゃん、胸……それ大きすぎるって。


「み、美亜ちゃん。何でそんな格好を?」


「あら、これから任務よ」


「任務? ぐはっ……!」


 美亜ちゃん、もう少し降ろすのを考えて欲しかったな。いきなり手を離すから、顔から落ちちゃったじゃん。

 赤くなった鼻を擦りながら起き上がり、僕は美亜ちゃんに視線を戻した。これって、大人に変化したって事だよね?


 顔立ちは美亜ちゃんだけれど、幼さを無くして、キリッとした顔立ちになっている。

 だけどね、その顔立ちにその大きさの胸は……うん、無いと思うよ美亜ちゃん。


「そうそう。椿、あんたも用意しなさい。とにかく人数が居るんだから、しかも女性限定」


「へっ? ど、どういう事?」


「センター長に言われたのよ。あんたと、そしてそこの狐2体と一緒に、ある居酒屋の手伝いをして欲しいってね」


 僕は、その美亜ちゃんの言葉を理解するのに時間が掛かってしまい、目をパチクリさせる。


 居酒屋? 手伝い? いったいどういう事?


「あ~もう……妖怪が経営している、ある居酒屋が人手不足なのよ。その人員補充の為に、たまにセンターに依頼する時があるの。妖怪退治ばかりが任務じゃないのよ。ほら、ボサッとしないであんたも変化しなさい!」


 美亜ちゃんが必死に説明してくれて分かりました。だから美亜ちゃんは、変化で大人になっているんですね。

 未成年の姿では居酒屋なんかで働けないし、そうやって誤魔化して働くのですね。でも、それって良いのかな?


『またあそこの居酒屋ね』


『まぁ、良い金稼ぎにはなるな』


 へっ? 待って……後ろから変な声が聞こえるんですけど。

 僕の後ろに居るのは、白狐さんと黒狐さんで間違い無いはずだよ。だけど、こ、声が……女性だ。


 とにかく、恐る恐る後ろを振り向くと、そこにも僕の目を疑う光景があった。


「白狐さん、黒狐さん……そ、その姿は?!」


 僕の後ろには何と、女性の姿をした2人の姿がありました。


 性別は無いから、男性にでも女性にでもなれるって、そうは言っていたけれど、任務の為とはいえ、そんなに簡単に女性の体になっちゃうなんて……。

 しかもどっちもスレンダーだし。皆そういう女性に憧れるものなの?


「ふ~ん、中々ね。ほら、椿も早くしなさいよ!」


「いや、でも……年齢は未成年だからさ、やっぱり居酒屋で働くとか、そんなの良くないよ」


「あんた何言ってんの? 私は既に30年は生きてるわよ。それに、白狐と黒狐から聞いたけれど、あんたもとっくに60年は生きてるらしいじゃないの!」


 いや、そうですけど……でもやっぱりね。それに妖怪の法律でも、成人の年齢指定があるんじゃ……100歳からとかさ。


 そうやって、未だに難しい顔で悩んでいると、美亜ちゃんが声を張り上げてきた。

 

「本当にそこの2体から何も教えて貰ってないの?! 妖怪の容姿は、妖気に比例しているのよ! 妖気が高ければ、より歳を取った姿になって、妖気が低くければ、子供みたいな姿のままなのよ、私……みたいに、ね……」


 あっ、美亜ちゃん自分で言った言葉で凹んでいる。


 そっか。僕が聞いたのは、歳を取る度に妖気が高くなっていくって事だけだよ。

 それってつまり、歳を取ると妖気が高まり、更に容姿も大人びていくという事なんだね。


『そうそう。そこの金華猫の娘は、歳の割に妖気が高くないから、未だに若い姿をしておる。因みに、椿は記憶が封じられているから、妖気のバランスが悪くなっていて、そんな幼い姿になっている。記憶を取り戻したら、もしかしたら……て感じかな?』


 女の声で白狐さんは、僕にそうやって補足をしてくれるけれど、何だか違和感が凄いですよ、これ……。

 それよりも……記憶を取り戻したら、いきなり大人になっちゃうの? それはそれで、また混乱しそうです。


『どうしたの? 椿』


「いや、何だか違和感があるんですよ。それと黒狐さん、今の喋り方は何?」


 困惑した表情をする僕に、黒狐さんが話しかけてきたけれど、それすら違和感があるよ。

 もう完全な女性みたいです。女性特有の、甘くて良い匂いまでするし……。


『ふふ。そらそうじゃ、性別を男にも女にも変えられるというのは、性格すらも女のそれになるという事。ただ、女というのは色々と面倒くさくてね、常に男性の性別にしている』


『だけど、任務とかではこうやって、女性になった方が有利な場合もあるの。どう? 心は男だって言い張るなら、椿は私達のこういう姿の方が興奮する?』


 いや、待って待って。そんなに近づかないで下さい。む、胸が当たってその――って、何で僕は動揺しているの? ううん、やっぱり心は男なんだ。

 でも最近は、男性の姿の白狐さんと黒狐さんにもドキドキしたり、今みたいに動揺したりするんだけど。


「う――うわぁぁあんん!!」


『あっ、逃げた』


『うん、逃げたね』


 そんな事を考えてしまい、僕の頭は大混乱です。

 それに耐えきれず、僕はそのまま部屋を飛び出し、1階へと駆け下りて行く。


「うわっ……あっ! ふぎゃっ!」


 その時足を踏み外してしまって、下まで盛大に転げ落ちちゃいましたよ。


「何しとるんじゃ?」


 転げ落ちた瞬間、その大きな音におじいちゃんが気付き、階段の近くの部屋から顔を出してきた。


「いたた……あっ、お、おじいちゃん。僕、僕……男か女、どっちなのぉ?!」


「なっ、何じゃいきなり!」


 おじいちゃんの顔を見て、突然そんな事を言ったから、おじいちゃんは驚いています。でも、誰かに答えて欲しかったんだ。


 僕は男の子なの? 女の子なの? どっち?!


 そうしないと、面と向かって湯口先輩と対峙出来ない。説得なんか出来ないよ。こんな中途半端な状態じゃ、絶対に駄目じゃん!


 だけど、完全に女の子になっちゃったら、僕の中にある、知ってはいけない記憶まで蘇っちゃう。それなのに、もう男の子の体には戻れない。


 いったいどうしたら良いんだよ、こんな状態!!


「落ち着かんか、椿」


「うぅ、おじいちゃん……助けてよぉ。僕は女の子の体なのに、女の子になっちゃ駄目なの?」


 男の子に戻れないのなら、いっその事女の子になった方が楽だよ。

 それがそう簡単には出来ないって言うなら、こんな生殺しの状態をずっと続ける事なんて、僕には出来ないよ!


「椿。こんな事になってしまって申し訳ないが、お主はどう思っているんだ? どっちにするかは、お主次第だ。決めた後は何とかしてやる。しかしどちらにせよ、体はそのままで過ごしてもらう事になる。それだけは忘れるな」


 何それ。人生を左右させる、そんな重要な決定をこの歳でしろと? あっ、でも……60年生きているんだっけ? それでも関係ないですよ、これは。だって、心は14歳だからね!


 そりゃあ中学生にも関わらず、そんな決断をする人も中にはいるけれど、もっと軽いものだよね? 僕のは重すぎませんか?!

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