第参話 【1】 苦渋の選択

 次の日の放課後。僕は下駄箱で、湯口先輩を待ち伏せしています。


 昼休みに先輩のクラスに行ったのだけれど、僕の妖気を察知したのか、クラスに居ませんでした。逃げられましたよ。

 逃げる必要がどこにあるのか分からないけれど、逃げるのならこうやって、待ち伏せをするしか無いというわけです。


「来るかな?」


「下駄箱に靴が残っていたから、絶対に来るよ」


 僕の後ろでは、カナちゃんが不安そうに様子を伺っている。

 そして白狐さんと黒狐さんも、狐の姿で心配そうに僕達の様子を見ています。


「あっ、来たよ」


 待ち伏せしてから数分後、カナちゃんが下駄箱の方を指差し、そう言いました。やっと来ましたか。


 そこには、下駄箱から靴を取り出そうとする、湯口先輩の姿があった。

 僕から話しかける事なんて無かったから、ちょっと緊張するけれど、善は急げだ。早めに動かないと、湯口先輩が何を仕掛けてくるのか分からないよ。


「湯口先輩……」


 とりあえず僕は、恐る恐る先輩の背中に向かって話しかけた。

 でも、湯口先輩は驚く様子も無く、ゆっくりとこっちを振り向き、そしてため息を突く。


「その姿を見ると、完全に女の子だな。翼」


 翼――そうだ、男の時の僕の名前だ。

 それすら、もう忘れかけていましたね。久々のその名前に、僕の方が少し驚いちゃった。


「何だ? もう完全に女の子になっちまったのか?」


 湯口先輩のその言葉に、僕は首を横に振る。


 そう、完全では無いよ。完全では――ね。


「それよりも湯口先輩、その、話があるんですけど……」


 僕がゆっくりと喋りながら、先輩に話がある事を告げると、先輩は何か考えながら答えてきた。


「お前が、今日俺を探しているのは気付いていたよ。最近、俺がお前の所に行かなかったからな。あれはな……そう、いじめが無くなったって聞いたからな、もう大丈夫だと思っただけだぞ?」


「誤魔化さないで下さい。それなら、僕から逃げる必要は無いですよね?」


 僕のその言葉に、気まずそうに頭を掻きむしる先輩。

 何で誤魔化そうとするのかな。僕が女の子だから? 妖怪だから? 妖狐になっちゃったから?

 あんなに積極的だった先輩が逃げるなんて、こんなの先輩らしくないよ。


「ここではマズいだろう。人気の無い所に行こうか」


 先輩は観念したのか、僕にそう言うと、校舎の階段へと向かって行く。

 多分、屋上に行くのだろうね。それに気付いた僕は、白狐さん達も引き連れて、湯口先輩の後に続いた。


 ―― ―― ――


「さてと、ここなら大丈夫だろう」


 屋上の入り口に着くと、湯口先輩が扉を開き、そのまま外に出た。それに僕達も続く。

 そして、ある程度僕達から距離を取ると、そのままこっちに振り向いて、いつもとは違った目で見てきた。


「それで、どこまで知っているんだ。翼」


 まだ僕の事を「翼」って言うんだね。ありがたいと思いたいのだけれど、その名前で呼ぶ時だけ、湯口先輩は険しい顔になっている。


 それはあんまり嬉しくないよ。


「あんな事を言うって事は、ある程度までは知っているんだよな?」


 先輩の言葉に、僕はゆっくりと頷く。

 そして滅幻宗の事、先輩がそれに関わっているかも知れない事、その事を話した。


「そうか……その情報は、後ろの妖狐2体から聞いたのか?」


 その後先輩は、後ろにいる白狐さんと黒狐さんに視線を移す。


 やっぱり、2人が見えているんだね。それなら、僕の尻尾と耳も見えているはずよね。


『いや、残念だが我らでは無い。しかし、情報源は言えんぞ』


『全く……ここまで話す事は無かっただろう。少し迂闊過ぎだぞ、椿』


「白狐さん黒狐さん、ごめん。でも、この人の事は僕に任せて。お願いだから、僕のやり方でやらせて」


 これだけは譲れない。白狐さんと黒狐さんに何て言われようと、ずっとずっと僕に味方してくれた人なんだよ。

 僕がいじめられていた時、いじめをした生徒にキレたり、先生に注意を促したり、果ては教育委員会にまで報告しようとしていたんだよ。


 だけど、それは妖魔の仕業だったからね。先輩の行動は、全部失敗に終わっていたんだ。


 それでも、その行動は全て僕の為だったはず……。


「そうか。それじゃあ、翼をこんな風にしたのはあんたら2体か?」


「えっ、ま、待って。ぼ、僕は最初から、妖狐の女の子だったんだよ!」


「何?! ほ、本当か?」


 あれ? 先輩それは知らなかったんだ。


 だから僕は、真剣な目で先輩を見て頷いた。すると先輩は、また大きくため息を突き、肩を落としていた。


「なんで……なんだよ。お前のいじめの原因も、妖魔の仕業だったんだろ? 妖怪は、妖魔は……人間に悪さをする奴等なんだろう!」


「妖怪は、そんなのばかりじゃ無いよ。だから――」


「うるさい!!」


「うっ……」


 先輩の怒鳴り声に、少し怯んでしまった。

 僕をいじめていた生徒に向けて放っていた、あの怒鳴り声が、今度は僕に向けられたんだもん。


 だけど、怖がってばかりもいられない。

 先輩が、カナちゃん達半妖を狙っているのなら、それだけは止めないといけない。その為にも、せめて先輩にだけは分かって欲しい。


 僕はいじめられていた時、本当は先輩の事を疎ましく思っていて、放っておいて欲しいとまで思っていたんだ。

 いじめが無くなった今、それを振り返ってみると、こんなにも僕の事に真剣になってくれた人は、先輩以外は居なかった。


 だから――先輩とは戦いたくない。


「先輩、お願いです。この学校にいる半妖の人達を、狙わないで下さい! ぼ、僕は、先輩とは戦いたくないです!」


 するとその言葉に、先輩は少し困った顔をした。

 そしてゆっくりと口を開き、とんでもない事を話してきた。


「俺の親父は、滅幻宗の幹部でな。日々妖怪退治に勤しんでいる。先日も、お前と会ったって言っていたよ」


「えっ? ま、まさか!」


 僕がつい最近会った滅幻宗の人なんて、そんなの1人しか……。


「そうさ。木町通りで戦ったのは、俺の父。滅幻宗の玄空げんくうこと、湯口玄丈ゆぐちげんじょうさ」


 美亜ちゃんを殺そうとし、僕をボコボコにした相手が、湯口先輩の……。


 その事実にショックで言葉を失い、白狐さんと黒狐さんも顔が険しくなっていた。


「翼は、ここに居る半妖を守っているんだよな?」


「そう……だよ。鞍馬天狗のおじいちゃんに……ううん。今はもう、僕の意思でここの半妖の人達を守っているよ」


 すると、先輩がゆっくりと僕に近づいて来た。だけど、その雰囲気が少し怖い。


 先輩が、あの好戦的なお坊さんの息子って分かったから? だから、こんなに怖くなっているの?

 違う……先輩の顔が、今まで見たことが無い程に怖い顔をしているから。そしてそれが、父親に……あのお坊さんにそっくりなんだ。

 

「俺もな、お前とは戦いたくないよ。だからさ、真剣に答えてくれ。お前は、人間の翼なのか? それとも、妖狐の椿なのか?」


 いったいどういう事だろう。それは、答えたらどうなるの?

 だから僕は、少し困ったようにしながら先輩を見る。あんまり目は合わせられないけれど、これで僕が困惑しているのは分かるはず。


 それにしても、こっちが問い詰めるはずだったのに、何でこんな事に……。


「お前が人間の翼で、後ろの妖狐によって妖怪にさせられていると言うなら、お前と戦わずに済む。そいつらを殺し、お前を元に戻すだけだ。だが、違うと言い張るなら……分かるよな?」


 先輩がそんな事を聞くということは、さっき僕が本当だって言った事すら、まだ信じていないんだね。

 白狐さんと黒狐さんに脅されて……とか、妖術で操られている……とか、色々な可能性が、まだ先輩の頭の中にあるようです。


 そして、ここで僕が妖狐だったって答えたら、僕も殺す事になるんだよね。それはやっぱり、先輩も嫌らしい……だけど。


「ぼ、僕は……僕は――妖狐の椿です!! 妖異顕現、影の操!!」


 僕ははっきりと答え、そしてその証拠にと、先輩の目の前で妖術を発動した。

 別に、先輩を捕まえたりとか、そんな気は無かったのだけれど、先輩は僕の行動の前に、少し後退りをした。


 何ではっきりと答えたのか。

 それはやっぱり、嘘をついても隠し通せるものでは無いから。それに、ようやく見つけた僕の大切な居場所を、失いたくは無かったから。


 だからね、僕は泣きそうになりながらも、そうはっきりと答えたんだ。


「そうか……確かに操られていたなら、妖術なんて発動出来ないしな。本当に……残念だよ。それなら、次会う時は敵同士だ。覚悟しておけよ――妖狐、椿! 滅してやるからな」


 そう言うと、僕の横を物凄い形相で睨みつけながら、先輩は通り過ぎて行った。それに負けじと、僕も涙目のまま先輩を睨みつけた。


 これで良かったなんて思わない。でも、嘘をつきたくは無かった。

 その結果がこれなら、僕は最後まで、湯口先輩と向き合う。絶対に説得してみせる。


 だけど……今は泣いても良いよね?


「う、うぅ。うぅぅぅ……」


 先輩が屋上から去ったのを確認すると、僕は堪えきれなくなり、その場でポロポロと涙を流す。


「椿ちゃん、頑張ったね。大丈夫、思いっ切り泣いたら良いよ。今だけは、白狐さんと黒狐さんも見逃してくれるから」


 ずっと屋上の入り口近くで、僕達の様子を見ていたカナちゃんが、僕の元に駆け寄り、そして優しく肩を抱いてくる。


「うわぁぁぁあん!!」


 真っ赤に染まる夕暮れの空は、妖界の空と見間違う程です。こんな時だけ、こんなに妖しげな空は勘弁して欲しいよ。


 僕はまだ、完全に女の子じゃない。


 それを分かって貰えなかったし、妖怪達が全部悪いわけじゃ無いって事も、全然言えなかった。

 だから、まだ先輩と話し合わないといけない。こんな事で、殺し合いなんかしたくない。


 でもそれは、甘い考えなのかな?

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