第捌話 【1】 お風呂に入ろう
色々とあったこの日の夕食時、僕は少し大変な事になっていました。
どうやら妖術を使い過ぎたようで、お腹がグゥグゥと鳴っていて収まらないのです。
目の前に妖怪食の料理が並んだ瞬間に、僕はがっついてしまいました。
白狐さんと黒狐さんから落ち着けと言われたのですが、そんなの関係ないです。だって、それだけお腹が減っていたんですよ。
試験の時に沢山の妖気を使っていて、家に帰ってからの事件の時も、耳と尻尾が黒くなるくらい、それくらい妖気を込めて妖術を使ったからね。
妖気切れ間近になっていると、里子ちゃんからそう言われました。もちろん、白狐さんと黒狐さんからも気を付けるようにと注意を受けました。
そして今日の夕食は、基本的に和食中心だったけれど、その中に、和風ハンバーグがあって驚いちゃいました。
ライセンス五級取得のお祝いだと、妖怪の皆から言われたよ。まるで自分の事の様に祝ってくれるここの妖怪さん達を、僕は少しだけ、好きになってきました。
だけど、そのハンバーグにかじり付こうとした瞬間、ハンバーグから手足が生え、一目散に逃げられたよ。
お腹が減っていて逃がすわけにはいかなかったから、僕は必死で追いかけました。
里子ちゃん曰く、このハンバーグは特殊なお肉で作っていて、ゆっくりと食べないと怖がって逃げちゃうそうです。
食べ物が怖がるのもどうかと思うけれど、とにかくそれはなんとか食べる事が出来ました。
そして僕はお腹が一杯になり、ウトウトして食休みしていたら、そのまま里子ちゃんに引っ張られてしまい、今はお風呂に向かっている所です。
「食べた後直ぐにお風呂は駄目だと思います」
「椿ちゃ~ん。30分は立っていますよ~」
「えぇ?! い、いつの間に!」
どうやら寝ちゃっていたみたい。疲れもあったからかな。だとしたらしょうがないと思います。
そして里子ちゃんの手によって、僕は裸にされてしまい、そのまま浴室に引っ張られました。
手際が良すぎて恥ずかしがる暇すらなかったよ。悲鳴を上げる前にはもう……ね。
「は~い、椿ちゃん。先ずは体を洗いましょうね~」
「さ、里子ちゃん。それくらい自分で出来ます」
「駄目で~す。椿ちゃんまた寝ちゃいそうですからね~」
嘘つかないで下さい。はち切れんばかりに尻尾を振って、目を爛々と輝かせて、いったい何を企んでいるんですか?!
だけど、抵抗する僕を他所に、里子ちゃんは僕をシャワーの前に引っ張って行き、そしてそこに座らせてきました。
でもその後は、ちゃんと僕の体と髪をしっかりと洗い出したのです。変な心配をしてしまったけれど、真面目に僕の体を洗ってくれているので、少し安心しました。まだ油断は出来ないけどね。
「あっ、そう言えば。ご飯の時、おじいちゃんが居なかったけれど、大丈夫かな?」
「あぁ、翁なら大丈夫ですよ。私がご飯を持っていった時に様子を伺ったら、ちょっと1人にして欲しいと言われました。あれで思うところがあるのでしょうね」
僕の頭を洗い流しながら、里子ちゃんが答えてくれました。
おじいちゃん、あの時様子がおかしかったし、少し心配だな。あんなダメ妖怪に対して、凄い落ち込み様だったからね。
皆の前ではあんな妖怪とか言っていたけれど、なにか訳があるのかな?
「里子ちゃんは、何か心当たり無い?」
「――椿ちゃんは本当に優しいんですね。翁の事が心配?」
あっ、その一瞬の間と話し方、なにか知っていそうだね。
そう思った僕は、里子ちゃんが僕の髪を洗い流したのを見計らい、後ろを振り返って聞いてみました。
「ねぇ、何か知っているなら教えて?」
「椿ちゃん必死ですね。本当のおじいちゃんじゃないのに、まるで本当のおじいちゃんみたいに心配するんですね。私も、椿ちゃんにそう言ってもらいたいなぁ」
「だったら……尻尾、弄らないでくれる? んぅっ」
それでも、里子ちゃんは僕の尻尾を離してくれずに、そのまま弄り続けています。洗ってる最中に握られてしまっていたよ。
や、止めてくれないかな……変な声が出ちゃう。
「私は昔、翁がセンター長と話しているのをこっそりと聞いてしまって、少しだけなら心当たりはあるよ。だけど、誰にも話さない? 白狐さんや黒狐も知らない事だからね。もし喋っちゃったら、これ以上の事をしちゃうからね」
なんで白狐さんだけ『さん』付けなのかなと思ったけれど、今はおじいちゃんと蟲食いの間に、いったい何があったのかを知りたかったので、僕は必死に頷きました。
それと、いい加減尻尾を離して欲しかったのもあります。
「ふふ、分かったよ。いい? これは本当に、他の妖怪の皆にも話してないことだからね」
そう言って、里子ちゃんは自分が見聞きしたことを、僕に話してきます。
「単純な話だったけれど、翁とセンター長の達磨百足さん、それに、あの蟲食いの父親だった妖怪は、昔ここで一緒に住んでいて、色々と競い合いながら、お互い切磋琢磨していた仲だったんだって」
なるほど……おじいちゃんのあの言葉からして、なんとなくは予想していたけれど、本当にそうだっとしたら、蟲食いの父親も、相当なレベルの妖怪だったんだろうね。
「だけどある日、その蟲食いの父親が、2人を陥れて何かを略奪しようとしたらしいの。その何かは分からなかったけれど、相当マズい物だったと思うよ。だってその話になると、2人の顔付きが真剣になっていたからね。でもね……その蟲食いの父親を、2人は許しているような、そんな言葉も出ていたんだよ」
陥れた本人を許していた?
そうか。おじいちゃんのあの言葉は、陥れたその妖怪を、憎んでいる口ぶりではなかったかな。謝罪していたもん。
「とにかく、聞き耳を立てて聞けたのはそれだけ。良い? 翁は、他の妖怪にはこの事を喋っていないからね。知られるとマズい物を狙われて、今もまだ狙われているのかもしれないからね」
そんな事を言われても、中学生の僕の頭では、とてもじゃないけれどそれ以上の事は考えられなかった。
とにかく、あの蟲食いとおじいちゃんの間というより、その父親との間に何かあったのだけは間違いない。
おじいちゃんにそれを聞いても、答えてくれそうに無いですけどね。里子ちゃんが大丈夫と言うなら、今は心配してもしょうがないのかもしれない。
「さっ、椿ちゃん。今度は私の背中を洗って」
その後里子ちゃんはそう言って「交代だよ」と言わんばかりに、クルッと後ろを向きました。要するに、僕と体の洗い合いをしたかったのですね。
里子ちゃんにはいつも世話になっているし、断れそうにないから、僕も里子ちゃんの背中を洗ってあげます。
ただね、尻尾は振らないで欲しかったかも……泡が飛び散ってるってば。
「ふふふ。椿ちゃんとまたこうやって、体の洗い合いが出来るなんて嬉しいな」
そういえば昔の僕も、里子ちゃんとは仲が良かったんだ。だから、里子ちゃんは僕の世話役を買って出てくれたのかな。
それなら、なんとかその時の記憶くらいは取り戻したいなって、そう思っちゃうな。
そして里子ちゃんの背中を洗い流すと、僕達は湯船に向かい、お湯に浸かります。
「これは薬湯なのかな?」
「そうだよ~」
お湯は緑色で、ちょっと独特な香りが漂ってくる。
お風呂の浴槽は檜で、そのお風呂場も、旅館のお風呂みたいな広さで、和風な雰囲気です。
だから、僕はここのお風呂があっという間に大好きになりました。でも、もしかしたら小さい頃もそうだったのかもしれない。
「それで椿ちゃん、女の子の体には慣れた?」
「えっ? あ~ドタバタしていたから忘れていたよ。でも、元々女の子だったからなのかな? 全く違和感がないんです」
急に里子ちゃんが僕の体を眺めながら言ってくるので、恥ずかしくて手で前を隠してしまいした。
僕の心はまだ男の子と思いたい。
そう思いたい自分がいるのに、女の子の体に慣れちゃって、徐々に女の子の心になりつつある自分もいる。
そのせいで頭がぐちゃぐちゃになりそうだったので、忙しさにかまけて、その事を頭の隅に追いやっていました。
そうしてしまったから、逆に女の子の体に慣れちゃったのかもしれません。
「でも……僕は男の子なんだし、女の子の体に慣れちゃうなんて、そんなの信じたくない。元々女の子だったということも、信じたくない」
「それは、椿ちゃんが男の子として生きていた時の記憶があるからだよね? でも、あなたにかけられた強力な変化の妖術は、もう解けたのよ。その内、女の子としての自分を思い出すはず。でも、その時は恐らく、記憶の封も解かれるかもしれないね」
里子ちゃんは、真剣な目で僕を見てきます。
ちょっと怖い事も言われたので、僕は顔を伏せ、お湯に映った自分の顔を眺めます。その顔は不安に思っているのか、耳は完全に頭に引っ付く位になっていた。
この耳と尻尾、無意識で感情を現してくるから、ちょっとどころか凄く困る。
「大丈夫だよ椿ちゃん。椿ちゃんは色んな妖怪に愛されているから、記憶の封が解かれても、皆が助けてくれるよ」
皆が助けてくれる? でも、今日みたいに強力な敵が出てきたら、皆必死に僕を守ろうとして、そして死んじゃったりしちゃうの? それはなんだか嫌だ。
これが男としてのプライドなのかは分からないけれど、僕は思った。
僕にも力があるなら、皆に守られてばかりじゃ嫌だ。今日みたいな事が起こって、皆を失ったら、僕は1人なんだよ。そんなのは嫌だ。
「椿ちゃん? どうしたの?」
すると、僕の様子に気づいたのか、里子ちゃんが不安そうにしながら、僕の顔を覗き込んできました。
その顔を見て、僕は決心した。
女の子になる決心じゃないよ、それはまだ時間がかかりそうだから。
強くなる決心です。
せっかく出来た友達を失いたくないから、だから僕は強くなる。弱いままの自分は、もううんざりです。
本当はいじめられていた時も、僕はそう思っていたんだよ。だけど、自分に自信がなかったから、勇気がなかったから、だから変われなかった。
でも、そんな僕がライセンス試験を1人でやってのけ、しかも好成績を出したんだ。それで自信がついたんだ。
だから僕は、変わるんだ。いや、変わらなきゃいけないんだ。これで変わらなきゃ、僕はヘタレだよ。
おじいちゃんもだけれど、白狐さんと黒狐さんもそのつもりで、僕にライセンス試験を受けさせたんだ。それなら、それに応えなきゃいけないじゃん。本当になにをやっているんだろう……僕は。
そして僕は、今までの弱い自分を洗い流すようにしながら、勢いよくお湯を顔にかけ、しっかりと頭を上げて前を向いた。
いきなりは無理でも、ちょっとずつ変えていこう。
「里子ちゃん。僕、頑張ってみるよ。皆に守られてばかりじゃ、皆を失った時に後悔しそう。だって、僕にも戦える力があるんだから。先ずはおじいちゃんに言われた妖怪退治と、センターから来る依頼の方を、1人でやっていってみるよ」
「椿ちゃん――分かった! 私も全力で、椿ちゃんのお世話をするね」
「ひゃぅ?! そう言いながら胸を揉むのはなんでなんですか?!」
「え~? ついでに早く心の方も女の子になっちゃおうよ~」
「それはまだ時間を下さい! 待って止めて! そこはダメェ!」
悶える僕を見るのが嬉しいのか楽しいのか、里子ちゃんの手つきが、段々といやらしくなっていき、更に僕を悶えさせてきます。
僕が小さい時も、こんな事をされていたんだろうか?
「もう、昔は椿ちゃんが私を攻めていたのに~そのせいで、私目覚めたんだからね。ちゃんと責任とってくれなきゃだよ」
攻めてた方でした!! なにやってるの、昔の僕?! いや、信じられない。里子ちゃんの嘘に決まっている!
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