第漆話 【3】 最初で最後の仕返し

 さっきまでの出来事を見た夏美お姉ちゃんとその母親は、まだ気絶してはいなかった。だけど恐怖で動けないし、蟲食いも数珠に捕まっていて動けない状態で、何が何だか分からないといった様子です。


 他の皆はというと、滅幻宗のお坊さん達を妖界送りにしていました。

 どうやら向こうで罰するそうです。こんな事をしたとしても、人間の法律では裁けないのですね。


「く、くそ。こんな、こんな事になるとは……」


 そして蟲食いは、尺取り虫みたいな動きをしながら、ここから逃げ出そうとしています。

 さすがにおじいちゃんがそれに気づき、より頑丈なロープを手にして近づいていくと、そのまま縛り直していました。


「離せ!! くそ!」


「やれやれ、お前はせっかくのチャンスをふいにしたんだ。観念して、妖界にある牢屋にでも入ってろ」


 どうやら物静かだったあの態度は、僕や夏美お姉ちゃん達を欺く為の、演技だったみたいです。

 蟲食いの見事な悪役っぷりを前にして、僕はなんだか釈然としない気持ちになっている。


 だって蟲食いは、今も暴言を吐きまくっているんだよ。牢屋に入れるだけでは反省しそうにないと思う。


「くっそ! こんな妖狐のガキの世話を押し付けられて、不満に思わない奴はいないだろう!」


 うん、それ以上はもう喋って欲しくないよ。黙ってよ。


 僕は耳を伏せ、蟲食いの吐く汚い言葉を聞かない様にしました。

 その後、後ろで呆然とする母親と夏美お姉ちゃんの方を振り向き、そっちに向かってゆっくりと歩いて行きます。


 僕はこの人達との決着を着けた方が良さそうだね。


「い、いや。来ないで……来ないでぇ!」


 お母さんだったその人は、顔をぐしゃぐしゃにしながら泣きまくっている。でもその姿を見て、僕はなんだかいい気味だと思ってしまっています。


「つ、翼……お、お願い。今までの事は謝るから、だから……」


 お姉ちゃんはまだ必死に恐怖に耐えている。だけどその目は、ショックを受けて絶望した目をしていました。

 そりゃ、再婚して父親だと思っていた人まで妖怪だと分かれば、こうなるでしょうね。


「ふぅ……あの2人は大切な者と、その娘だろ? 助けんのか?」


 おじいちゃんが最後の確認をしているのだろうか、蟲食いにそんなことを言っています。


 まだチャンスを上げるの? もう良いじゃん、その人は牢屋送りでさ。


「ふざけんな! 俺の事を良い金づるとしか思っていない、こんなクソみたいな人間を、大切だと思うわけないだろうが! 精々隠れ蓑にする為の人間、その為に選んだ存在だ。それ以外の感情など無い! 全く、反吐がで――ぐぎゃっ!!」


 すると、いきなり蟲食いの頭が爆発し、木っ端微塵に吹き飛びました。


 見ちゃったよ……蟲食いの絶命の悲鳴を聞いて、つい反応して振り向いちゃった。吐きそう……。


「しまった!! まだこんな力を残しとったか!」


 咄嗟におじいちゃんが叫んで睨んだ方向、家の周りを囲う塀の上に、目の細い栄空と呼ばれていたお坊さんがいました。

 でも、立つことは出来ないのか、膝を突きながら手に数珠を巻きつけて、お経を唱えるポーズをしている。


「やっぱり妖怪は醜い、滅ばさねばいけません。ですが、流石に手負いの状態では、雑魚を一匹片付けるのが限界ですね。それでは、いずれまた」


 そう言うと、そのお坊さんは颯爽と塀を飛び降り、そのまま去って行きました。

 おじいちゃんがその人を追いかけようと、背中の翼を広げた瞬間だったので、去り際を分かっているようです。


 僕は気持ち悪いのは収まったので、ゆっくりと深呼吸をして、過呼吸にならないようにしています。

 実は、さっきのでちょっと息が苦しくなっていて、過呼吸を起こしかけていました。


『椿、大丈夫か?』


 その様子を見た白狐さんがそう言って、僕の肩に優しく手を置いてきました。

 こういう時、優しい白狐さんには助けられます。別に白狐さんになら良いかなっていう自分がいて、今ビックリしているけどね。


「大丈夫、白狐さん。ちょっとだけ、あの2人と話をさせてくれる?」


 すると僕のその言葉に、白狐さんは驚いた目をしました。

 それは分かりますよ。だって目の前で、翼だった頃の父親が殺されたんだから、普通はもっと動揺するよね。


 だけど、なんでか分からないけれど“アレ”に対して、そんな動揺する程の感情が、もう湧いて来なかったんだ。

 愛情を与えられていなかったからだよね。僕の心が、もう翼じゃなくなってきているんじゃ……ないよね。


 僕はそれを確かめる為にも、この2人と話したかったんです。


「あっ、あっ、あぁぁ……」


 だかど、この人はもう駄目です。目の前であんなものを見せつけられたんだから、精神の1つや2つは壊れるよ。

 壊れないとしたら、僕みたいに、あの人になんの感情も湧いていない証拠――


「やっぱり夏美お姉ちゃんも、あの人にはなんの感情も湧いてなかったんだね」


「――っ! そ、その姿で、その声で、お姉ちゃんなんて言わないでくれる?!」


 つい「ごめんなさい」って言いそうになりました。

 でも、ここで負けたらまたいつもの翼になっちゃう。だけど、今は違う。


 やっぱり僕はもう――


「そうだね。僕はもう、槻本家の人間じゃないよ。妖狐の娘、椿だよ」


 するとお姉ちゃんの顔から、あのいつもの強気な表情が消えていきます。それはなにかを観念したような、そんな顔でした。


 そして観念した夏美お姉ちゃんは、ゆっくりと口を開き、心境を話してきます。


「――さっきの質問だけど、答えはイエスよ。あんなの、お母さんが勝手に再婚した相手だからね。私は反対だったのに。だけど、案外あいつは金を持っていたし、お母さんはただそれに目が眩んでいただけ。今だって、あいつに内緒でこっそりとしていた借金をどうしようって、それでショックを受けているだけだから」


 なんで僕は、こんな人達の元に居たのだろう。


 おじいちゃんは見張っていたのだろうけれど、なんだか納得がいかないです。他にいい人は居なかったのかな。

 ちなみにさっきからおじいちゃんが静かなので、こっそりとそっちの様子を伺ってみます。するとおじいちゃんは、殺された蟲食いの前で座り込み、哀愁漂う背中を見せていました。


 おじいちゃんのあんな姿は初めてで、あの妖怪となにかあったんじゃないかって思ってしまう。

 そう思うと、僕はいつの間にか耳をそちらに向け、おじいちゃんの言ってる事を聞き取ろうとしていました。


 すると、おじいちゃんはこんな事を呟きます。


「すまん。こんな事になってしまって。お前の息子を改心させられんかった……不出来なわしを許してくれ」


 それ以上は聞かないことにし、僕は耳を元に戻します。なんだか込み入った事情がありそうです。


 それでも、僕にしたあの仕打ちは許されないと思う。それならこの2人は、僕が罰を与えて良いかな?


「ねぇ、白狐さん黒狐さん。おじいちゃんがあんな状態だから、僕が罰を決めて良いですか?」


『むっ? 良いと思うぞ。翁はそのつもりで、さっきお前さんに聞いたんじゃ』


『おっ、罰を決めたのか椿』


 目を輝かせて期待している黒狐さんは置いておいて、僕が罰を与えて良いなら、ちょっと考えている事があるんだよね。


 そして僕は、玄関の方で鞠を手にし、こちらをずっと見ていた座敷わらしの女の子を見ます。

 当然目が合ったので、その子は嬉しそうにしながら僕の元にやって来ました。


「なに? 椿ちゃん」


 そして、僕の元にやってきた座敷わらしの女の子は、どういうわけか嬉しそうにしていました。

 なんだか妹みたいで可愛いかも知れない。昔の僕も、そんな感じでこの子と遊んでいたのだろうね。


「ねぇ、座敷わらしちゃんは、人に幸福を与えるんだよね? 逆も出来る?」


「不幸を与えるって事? そうだね、近い事は出来るよ。今着ている私のこの服の上に、赤いちゃんちゃんこを着て、この人達にその姿を見せれば凶事が起きるから。だけど、何が起こるかは分からないし、ずっと起こる事は無いよ」


「うん、分かった。それでお願い」


「は~い。椿ちゃんに酷い事をしたのだから、これくらいはしないとね」


 そう言うと、座敷わらしちゃんは嬉しそうにしながら、家の中へと向かっていきました。そのちゃんちゃんこを取りに行ったんでしょうね。


 そしてその言葉を聞き、夏美お姉ちゃんは顔面蒼白になっていきます。


 どうやら、自分の身に大変な事が起こるかもしれないのは分かるようです。でも、それがあなた達のしてきた事への罰だよ。

 本当はこれでも甘い方だとは思う。だけど、母親の方はもう精神が壊れかけていると思うから、それを加味してなんだよ。


「夏美お姉ちゃん。これが僕からあなた達に送る、最初で最後の復讐だよ。しっかりと後悔してね」


 その言葉の後、僕の目からはなぜか、大粒の涙が溢れて流れ落ちていく。


 おかしいな……こんな人達、なんとも思っていないはずなのに、何でかな?


『充分じゃ、椿よ』


 白狐さんはただ一言そう言って、僕の頭を撫でてくれました。僕はそれに甘えてしまい、ソッと寄り添っちゃいましたよ。


 白狐さん……卑怯です。

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