第弐話 【1】 妖界の街並み

 僕は白狐さんの背に掴まりながら、田舎みたいな田園風景の道を駆け抜けている。

 ただ、空は真っ赤な夕焼けなので、田園風景も不気味に見えちゃいます。


「ひっ! なんか今、田んぼに白いウネウネしたものが居たんだけど!」


 その時、丁度田んぼの真ん中に、布みたいな物が動いていたので、そっちに向かって指差しながら、僕は白狐さんに聞いてみた。


『あぁ、あれも見るで無いぞ。魂を抜かれるからの』


 そんな妖怪ばかりなのですか、この世界は。やっぱり来るんじゃなかった。


『白狐よ。俺達の足でも、さすがにそろそろ昼飯を挟まんとな、センターまではまだ距離がある』


『むっ、そんなに時間が経っていたか。そうじゃな、そろそろ腹も空いてきたし、早めに昼にするかの』


 そう言うと、白狐さんと黒狐さんがその場で止まった。

 だけど、僕としては一刻も早くセンターに行って欲しいです。だって早く帰りたいからね。

 ここはまだ山の近くで、更にその近くには川も流れている。でも、この川の形も何処かで見たような……。


「はぁ……僕は早く帰りたいから、のんびりして欲しくは無いんですけど……」


 白狐さんによって背中から降ろされた僕は、ビクビクしながら辺りを警戒し、そして2人に文句を言います。


『まぁそう言うな。我らも妖気を補充せんと、ずっと走り続けていたら疲れるわい』


 その後白狐さんと黒狐さんは人型になり、袖から食べても元に戻るいなり寿司を取り出した。


「あっ、そのいなり寿司で妖気を補充するんですか?」


 そして僕は、2人が美味しそうに食べているのを眺めながら、2人に確認をした。


『そうじゃ。このいなり寿司も、妖気を加えて加工された妖怪食じゃ。椿がいつも頑張って食べている妖怪食も、我ら妖怪の力の源じゃ』


 そうだったんですか。洒落て作ったのかと思っていました。だけど、ちゃんと意味があるんですね。

 それに僕も、普通のご飯より、妖怪食というのを食べたくてしょうがない気分になっていた。


『椿、いくら食べたくないと考えても、お前の体は既に妖狐なんだ。妖怪はな、妖怪食を食わねば妖気が尽きて死んでしまう。妖術を使うのも妖気がいるし、なによりお前の体が妖怪食を欲しているだろう。ほら、その弁当を食え、可愛い腹がなってるぞ』


「うっ……」


 黒狐さん、恥ずかしい事を言わないで下さい。確かにさっき、お腹が「きゅぅっ」てなっちゃいましたからね。やっぱり気づいてましたか。

 それにしても、里子ちゃんが毎回妖怪食を僕に渡してくるのは、そういうことだったのですね。ただ、あの様子からしてそれ以外の目的もありそうだけど……。


 とにかく、僕もその妖怪食を食べないと死んじゃうんですね。そりゃ妖怪だって生きているもんね、食べないと死にますよね。


『ちなみに妖怪食は、英気を養う事も出来るのじゃ。つまり、精神状態を良くする働きもある。椿よ、最近落ち込んでウジウジする事もないじゃろう?』


「ん? あ~そう言えば……」


 言われてみれば確かに、ここ最近の僕の精神状態は良好です。

 でもそれは、以前のあの家にもう帰らなくても良いってなったからだと思っていました。いや、それもあると思います。だけど、一番の要因はこれでしたか。


 そして僕は、白狐さんの袖から取り出された、里子ちゃんお手製のお弁当を受け取ると、それをまじまじと眺めます。


 うん、今日も元気に動いていますね。でも、これを食べなきゃ死ぬ。頑張るんだ僕。


 ―― ―― ――


 お昼ごはん後――


 僕は白狐さんの背中でぐったりと突っ伏しています。


『椿よ、いつまでグッタリしとる』


「だ、だって……僕の口の中で糸こんにゃくさんが、あんなに暴れて――うぅ」


『良い悶えっぷりだったな』


「言わないで! 黒狐さん!」


 黒狐さんの方が変態ですね。

 とにかくなんとかお昼ご飯を食べ終え、再度出発したけれど、僕の方はしばらく復活出来ません。


 だって、お弁当に入っていたきんぴらごぼうがね……こんにゃくがね、ウネウネと――あぁ、思い出したくないです。


『ほれ、椿よ。街が見えてきたぞ』


「えっ? あれ、ここって……」


 白狐さんに声をかけられ、僕は体を起こしてその街並みを確認した。

 やっぱり見たことがある。ちょっと曲がり方が逆だけど、この川の形にしてあの街並み。


「この川って、桂川? もしかしてここって、亀岡市?」


 でも街並みも道の曲がり方も、建物の立っている場所も逆です。なんだか鏡の中の世界みたいに、その位置が逆転しているのです。


『椿よ、よく分かったの。確かここには初めて来ると言っていたの。過去の記憶が無いにしても、翁の家には通っていたのは多少覚えているのであろう? 恐らく妖界にも来たことがあるのじゃろう。小さな時の記憶は、たまにフラッシュバックするからの』


 それもそうですね。確かにここの世界の景色も、なんだか見たことがあるような……。


 山から望む街の景色、赤い夕焼けの空の色に染まる街並み、空を飛ぶ妖怪さん達。

 そして僕は、両隣に誰かと一緒になって歩いていた。そんな昔見た景色が、頭に――


「いっつ――?!」


『椿、どうした? またか?!』


 黒狐さんが叫ぶ中、また僕は頭痛に襲われ、そして誰かの声が頭に響き渡り、その時の映像が目を閉じれば見えてきた。


 そこには小さな僕と、銀色の狐の尻尾と耳の生えた男性と、金色の狐の尻尾と耳が生えた女性の妖狐達が、僕の両隣に立っていた。


 この妖狐達は、夢でも見た様な――


 ―― ―― ――


【椿、父さんはな。ここの景色が大好きなんだ】


 そう、銀色の毛並みの人は僕のお父さんだ。僕に優しい笑顔を向けてくる。


【まぁ、あなたったら。ここは私達が初めて出会った場所でもあるでしょ?】


 そして金色の毛並みの人はお母さんだよ。何で忘れていたの?

 

【そうなの? パパ?】


 僕はこの時、まだ5歳くらいだったはず。

 自分の姿は分からない。両隣のお父さんとお母さんを眺めているからね。


【あぁ、そうだったな。ハッハッハ】


【もう、しょうがないわね。あの時は大変だったから、忘れるのも無理ないですけどね。少しくらいは覚えておいて下さいね】


【いや、すまん。悪かった、そんな目で睨むな】


 確かこんな会話をしていたはず。

 そして僕は、痛む頭を押さえながら必死に思い出す。思い出せるなら思い出したいよ。このお父さんとお母さんの記憶を。


【マ~マ、パ~パ。けんかはいや~】


【あぁ、すまない椿。喧嘩じゃないから大丈夫だ。だが、あの時現れた妖魔が、また暴れ出しているようだな】


 あぁ、そうだ。この時、お父さんから妖魔という言葉を聞いたんだ。


【えぇ、そうね。『人語を理解する』妖魔】


 そう、人語を理解する妖魔――


 えっ? 待って。どんどん思い出してきて気づいたのだけれど、そうだこの先はダメだ! 早く忘れろ、早く忘れろ。この先は怖いんだよ、ダメ!


【ちょっと待て。あいつは――嘘だろう?! 何でこんな所に……危ない! 椿!】


 ダメ、振り返っちゃダメ。その先には!

 忘れて忘れて、思い出すな。でも、何で勝手に頭が思い出させようとするの、ダメ!


【な、なにこれぇ!! パパ~! ママ~!】


【妖狐……神……ころ……す!】


【離れろ! 椿! 妖異顕現!】


 ―― ―― ――


『椿!!』


『おい、椿!!』


「はっ?!」


 その時、白狐さんと黒狐さんの必死の叫び声に、ようやく僕の頭は再生を止めた。

 そう、ビデオを再生されたみたいに、勝手に映像やその時の感情が蘇ったんです。


「はぁ、はぁ……う、うぇ」


 そして僕は、たまらず白狐さんの背中に突っ伏し、そのまま嗚咽していた。体は勝手に震える、恐怖で震える。


『椿、何を思い出した?』


『よせ黒狐よ、とてもじゃないが聞ける状態ではない。椿よ、とにかくセンターまで向かう。あまりにも無理そうなら、翁の家に帰るからの』


 大丈夫と言いたいのに、言葉が出なかった。

 今声を出そうとしたら、恐らく泣き声しか出ないから。それ程の恐怖を、今思い出してしまったよ。

 僕が異形の妖怪を怖がっていた原因、それは恐らくこれだと思う。


 こんなもの、思い出したくなかった。

 断片的な記憶でも、お父さんとお母さんの記憶は思い出したい。そんな僕の思いが、恐怖の記憶まで蘇えらせてしまったよ。


 人語を理解する妖魔。

 その姿は人型で、真っ黒な人間の体だった。でも顔は無い。のっぺらぼうみたいになっていて、目も鼻も口もない。それなのに声を発していた。


 だけど、怖かったのはその見た目じゃない。その雰囲気、オーラ、妖気。尋常ではない憎しみ、悲しみ、怒り。

 その全てが入り混じり噴き出してくる気は、幼い僕に恐怖を与えるには充分だった。

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