第壱話 【2】 ようこそ、妖怪達の世界へ

『椿、用意は出来たか? 早くしろ』


「まっ、待ってよ~本当に行かなきゃダメなの?」


 白狐さんが玄関から僕を呼ぶ。


 朝ごはんとの格闘を終えた僕は、いよいよ妖怪の世界に行くことになった。

 でもいざ行くとなると腰が引けてしまって、玄関まで行こうにも行けないのです。


『椿、観念しろ。これも俺の嫁になる為の試練だ。花嫁修業みたいなものだ』


「僕はお嫁さんになるとは言ってません」


 だけど聞いていませんよね、黒狐さん。

 そして僕をがっしりと掴んで脇に挟むと、僕の言葉など無視して玄関へと向かって行きます。


「は~な~し~て~! 黒狐さん~」


 僕は足をばたつかせて藻掻いているけれど、全く逃げられそうにないです。ガッチリとホールドされている……くそ。


『すまんな椿。なにせ翁の命令だ。逆らえない。それはお前も分かっているだろう?』


 分かっていますよ黒狐さん。だってさっきからおじいちゃんが、黒狐さんに連れて行かれる僕を、長い廊下から険しい顔をして睨んでいますからね。

 でも、抵抗すればもしかしたら――なんて、そんな淡い期待を抱いた僕が馬鹿でしたね。暴れたら暴れる程、おじいちゃんの顔が険しくなってる。


「分かりました、観念しますよ。だから降ろしてくれますか? 黒狐さん」


『ん? いや、もう少しお尻の感触を――』


「だから降ろしてと言っているんです」


 僕を脇に抱えた時から触っているんだもん、黒狐さんはとんだ変態ですよ。


 そしてようやく降ろして貰えた僕は、渋々玄関へと向かう。


「恐ろしい風景に、怖い妖怪達が沢山居るんだろうなぁ……」


 そしてそんな事を呟きながら、僕は玄関を出ました。すると、玄関の横から何か声が聞こえてきます。


「おっ、椿ちゃん。行ってくるんか? 気をつけてな!」


「へっ? 誰ですか? 何処ですか?」


 その声が誰からなのか分からないので、僕は辺りをキョロキョロと見渡します。

 すると、茅葺き屋根の和風の家にはそぐわない、筋肉ムキムキの、大きな男性の銅像が玄関の横に立っていました。しかもアゴが大きい。というかこのアゴは……。


「わっはっは! どうだい椿ちゃん、こっちの方が格好いいだろう!」


「その声は、まさかぬりかべさんですか? どうしたのですか、その姿」


 そう、それは昨晩壊れたぬりかべさんでした。

 そのぬりかべさんだった銅像が、ゆっくりと動いて立ち上がり、しっかりと喋っているんだけど、正直言って気持ち悪いですよ。


「いや~ぬりかべだからって、あんな板だけの形なんて過ごしにくいからね。いっそ体を作り直したのさ! どうだい? 新生ぬりかべさ!」


「ぬりかべなんだから、壁じゃないと駄目でしょう」


「はっ!? あっ、そ、そうか……わ、私は、もうぬりかべじゃ……」


 バカなんですか? ここの妖怪達は。


 ここがこんな状態の妖怪ばかりだからか、僕はちょっとずつ、この家の妖怪達への恐怖が薄らいでいた。


 とりあえず放心状態のぬり壁さんは無視して、行くとしましょう。


「行ってきま~す」


「椿ちゃ~ん。待って、お弁当お弁当!」


 僕が家の皆に向かってそう言うと、今度は里子ちゃんが家の中から走って来て、僕の元にやって来ました。そして、可愛いハンカチに包まれたお弁当箱を僕に手渡してくる。

 里子ちゃんが僕の身の回りの世話をしてくれているとは言え、お弁当だけはもうちょっと何とかならないのかな……と、そう思ってしまいます。


「椿ちゃん、今日も自信作だからね! しっかりもだ――じゃない。しっかり噛んで食べてね!」


 今悶えるって言いそうになってましたよね。

 ということはこのお弁当も――うん、カサカサいってる。覚悟して食べる事にしますね。


 ―― ―― ――


『さて椿よ。妖怪の世界、つまり「妖界」なんだがな、実は我々ならば、どこからでも行けるのだ』


 その後、僕が玄関から数歩出ただけで、白狐さんが振り向いてそう言ってきました。


 今は白狐さんも黒狐さんも狐になっています。

 どうやら外に出かけたりする時などは、狐の姿になったりする事があるそうです。妖怪などと戦ったり、妖術を使う場合は、人の姿になる事が多いですね。


「どこからでも行けるって?」


 そしてさっき言った事に対して、僕は白狐さんにそう聞き返します。


 僕が考えていたのは、どこかの山の中とか、そんな世界から取り残されたような場所に、そこに行く扉があるのかと思ったのだけれど、違うのですか?


『他の妖怪達は、山の中等、人里離れた所にある特殊な扉からじゃ。だが、椿や我々白狐と黒狐は、妖界と人間界を行き来する特別なアイテムがある。その白い勾玉と、黒い勾玉じゃ』


「あっ、これ?」


 そう言われ、僕はちょっと大きめの袖口から、以前渡して貰った2つの勾玉を取り出した。

 僕のこの、狐の耳と尻尾を分からなくする為の結界を張るものだけれど、それ以外にも使い方があったんだね。


『うむ、その2つを手のひらの上に乗せ「妖異顕現、妖界開門」と言うんだ』


 それで妖界の世界に繋がるのですね。

 僕は言われた通り、ドキドキしながら2つの勾玉を両手に乗せた。だってやっぱり怖いですからね。どんな妖怪がいるか分かったもんじゃないから。


 そして深呼吸しながらゆっくりと、白狐さんに言われた言葉を声に出す。


「妖異顕現、妖界開門」


 するとその瞬間、2つの勾玉がそれぞれの色と同じ光を放ちます。そしてその光が真っ直ぐ斜めに伸びていくと、その接点の空間が、筋が入る様にして縦に割れていきます。丁度、人が1人は入れるくらいの大きさですね。

 門というより、異世界に行くような感じです。だけど、その先の空間の色が反転している様なんですけど、これ……大丈夫なんですか?


『よし、行くぞ』


「うぅ、この時点で既に怖いですよ」


『本当に命の危険があれば、俺達が守るさ』


 黒狐さん、分かりましたから。後ろの襟を咥えて、僕を引っ張らないで下さい。僕はあなた達の仔狐じゃないんですから。


「分かったってば。行きますから。でも足がすくんでるので……白狐さん、あの……背中に乗せて下さい」


『むっ、しょうがない奴じゃな。ほれ』


 そう言うと白狐さんは、足を曲げて犬みたいに伏せの状態になり、僕を背中に乗せやすくしてくれました。

 その背に僕はゆっくりと乗り、落ちないようにしっかりと掴まる。


『なぜ白狐だ?』


 やっぱり黒狐さんは文句を言ってきましたね。

 僕の後ろから声をかける黒狐さんは、絶対に悔しそうにしているはずです。見なくても分かりますよ。


 仕方ないなぁ、少しフォローしないと。


「黒狐さんより白狐さんの方が安心するからね。でも、戦闘の時に頼れるのは黒狐さんですから、僕達の守りはお願いしますね」


『ぬっ。しょ、しょうがないな。まぁ、守りは任せておけ』


 うん、黒狐さんは単純な妖怪ですね。


 僕はそう思いながら、ゆっくりと進む白狐さんの背中に揺られ、妖界に繋がる空間の割れ目に入って行く。


 そしてその瞬間、周りの景色の色合いが反転します。それは本当に一瞬で、あっという間に別世界への道を歩いているみたいになった。


 これ、何だか気持ち悪い。


 いつもと違う色の空間に恐くなった僕は、そこで目を閉じてしまい、ただ白狐さんの背中に必死にしがみつき、早くそこから出てくれるのを待つしか出来なかったです。


『何しとる? とっくに着いとるぞ、椿よ』


「えっ?」



 もう着いたの? もっと時間がかかると思っていたよ。


 白狐さんにそう言われ、僕は恐る恐る目を開けた。

 そしてその目に飛び込んで来た、一変した辺りの景色を前に、僕は震え上がりました。でも場所は変わっていないです。おじいちゃんの家がある場所です。


 違うのは空の色。真っ赤な夕焼けの様な空の色なのです。


 その真っ赤な夕焼けは幻想的で、燃えているように見えて、ついつい目を奪われてしまいました。


 でもその後直ぐに、僕の恐怖心が蘇る。

 だって後ろから視線を感じるんだよ。そう、おじいちゃんの家から。それに反応して、僕の耳と尻尾は立ち上がり、毛が膨れ上がってしまいました。

 怖いのに、それでもこういう時ってどうしても気になって見ちゃう。気が付くと、ゆっくりと僕は後ろを振り向いていて、おじいちゃんの家を確認してしまった。


「げっ?! な、何あれぇ!」


 そこに建っていたのは確かにおじいちゃんの家だけど、でもおじいちゃんの家じゃなかったのです。


 形だけ言えば、そこはおじいちゃんの家と同じ、茅葺き屋根の家だけど、何十年も立っている様にボロボロだったのです。

 そして、縁側のあるボロボロの障子窓から、大きな顔だけが覗いていました。


 男性? 女性? どっちとも取れるその中性的な顔、そしてその顔と目が合うと、ニヤリと口角を上げて笑い、お歯黒を見せつけてきます。


 女性です、女性ですよこの妖怪は、その前に怖いです!


「白狐さん! 早くセンターって場所に行って下さい!」


『なんじゃ、椿よ。おっ、いかん「大面だいめん」か。見続けるなよ椿、魂を抜かれるからな』


 見てません見てません。とっくに見てませんから。

 しかもそんな恐ろしい能力を持っているなんて、それなら尚更見ませんよ。


『黒狐、後ろを頼むぞ。行くぞ、椿』


「は、はい――っ?!」


 あまりの恐怖に腰が抜けていました。

 僕は力が入らずに、走り出した白狐さんの背中から落ちるところを、黒狐さんに押さえられました。


 白狐さんと黒狐さん、二人三脚で僕を助けてくれているけれど、妖怪退治は助けてくれないんだよね? こんなので大丈夫かな、僕。


 そして不安に襲われながら、再び白狐さんの背中にしがみつくと、泣きそうになるのを我慢し、白狐さん達と一緒にセンターへと向かいました。

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