第弐章 妖界放浪 ~妖怪の世界ってどんな所?~

第壱話 【1】 黒狐の決意

 夜が明け、今日は土曜日。

 僕は一歩もお家から出ませんよ。決めたんです。怖い所にわざわざ行きたくはありませんからね。だからお布団に籠もって寝たふりです。


『椿、起きろ~! 何時まで寝ているんだ!』


 この声は黒狐さんかな? うるさいなぁ。

 仮病を使うのも良かったけれど、看病だって言われて添い寝されそうだし、このまま寝たふりです。それでも添い寝されるかもだけど……。


『全く、白狐や里子が待ってるぞ』


 それよりも、今日は黒狐さんの喋り方がおかしい。何故か奥ゆかしさが消えている。

 そもそも黒狐さんは稲荷とは違うみたいだから、奥ゆかしさなんか要らないと思ったのかな?


『こら起きろ!』


 あ~! 布団引っ張らないで下さいよ。妖怪だらけの世界なんか行きたく無いので、このまま家に引き籠もらせて下さい。そもそも僕に妖怪退治なんて無理なんですよ。


 だから僕は、必死にお布団を掴んで抵抗しています。


『この、強情な奴だな』


 それだけ怖いと言う事です、理解して下さい。

 ついでにお布団から尻尾だけ出して、フリフリと横に振り、勝手に行って来てとアピールもします。


 昨日の夜、おじいちゃんから言われたのは、妖怪の世界にある妖怪センターに行って、妖怪退治のライセンスを取れという事でした。

 つまり僕が行かなきゃ行けないんだろうけれど、それ以上に怖いのです。


 僕が居なくても申請出来ないのかな? そもそも妖怪退治も無理ですからね。


『やれやれ、しょうがないな』


 あっ、やった。諦めてくれたかな?


『そんなに嫌なら、今日は一日俺の寵愛を受けて貰うぞ。丸一日、たっぷりとな』


「ひぃぃ! い、行きます、行きますからぁ!」


 尻尾を優しく撫でるのだけは止めて! ゾクゾクしちゃったじゃん。このままじゃ、落とされる!


 僕はその感覚に寒気までしてしまい、一気に飛び起きてしまった。


 はぁ……なんで隙あらば僕の体を狙うの? 黒狐さんも白狐さんも変態じゃないですか。


『うぉっ! つ、椿。お前、誘ってるのか……その姿』


「へっ? あっ、な、なにこれぇ!」


 僕が飛び起きたら、黒狐さんが鼻血を出しました。

 なんでだろうと思って自分の体を確認すると、僕はいつの間にか、ピンクのネグリジェを着ていたのです。


「嘘でしょ、僕こんなの着て寝てないよ! ちゃんとTシャツと短パンだったのに、いつの間に?!」


 僕が慌てて布団を被ると、部屋の入り口から里子ちゃんが顔を覗かせているのが見えました。しかも目を爛々と光らせて。


「椿ちゃん、すごく似合ってるよぉ。はぁ、はぁ」


 更に興奮までしていました。舌を出して息を荒くし、犬の尻尾をパタパタと振っている。


 そうですか、この格好は里子ちゃんの仕業ですか。この子も色々と危険じゃないですか……。

 お着替えの時に変な目で見ていたから、おかしいとは思いましたよ。僕、心は男の子なんだから、こんな格好恥ずかし過ぎて、このままだと布団から出られない。


「黒狐さん、服取ってぇ」


 だから僕は、布団から手だけを出して、黒狐さんにそう要求する。

 布団から出られないのでしょうがないのです。立っている者は親でも使え、それは妖狐だって例外ではありませんよ。


『全く、しょうがない奴だ』


 そう言うと、黒狐さんはお布団の横に置いてある服を取って、僕に渡してくれました。

 薄暗くてよく分からないけれど、この形状は、僕がこの家に来て最初に着た、あの巫女服みたいなやつじゃないですか。


「これって、里子ちゃんが用意したの?」


「そうですよぉ」


 う~ん……他に僕が着られる物がほとんどないし、今日もこれしかないか。仕方ないね、ネグリジェよりはマシだよ。


「それより黒狐さん。その喋り方なんですか? いつもと違うよね?」


 そして僕は、布団を被りながらゴソゴソと中でお着替えを始める。

 だって黒狐さん出て行かないんだもん、着替えを見せるわけにはいかないんだ。恥ずかしいからね。

 ただそのついでに、黒狐さんの喋り方が変わった事も聞いてみる事にしました。


『むっ? あぁ……いや、実はこっちが素なんだよ。今までは特別な妖狐だからと、意識をして奥ゆかしくしていたんだ。だが、やはり性に合わんし、なにより白狐に負けているからな。素の俺でアピールする事にした』


「言葉使いだけですよ、奥ゆかしかったのは。それも微妙ですけどね」


 そんな黒狐さんに、僕はそう指摘します。

 だって、本当にぶっきらぼうな感じだったもん。意識してあれなら、あんな喋り方しない方が良いと思います。


「僕はそっちの喋り方の方が黒狐さんらしいし、親しみ易くていいと思いますよ」


 よし、お着替え完了。布団の中でもちゃんと着替えられましたね。


 着替え終わった後、僕が夏用の掛け布団を取った瞬間、僕の言葉が嬉しかったのか、黒狐さんがいきなり抱きついてきました。


「うわっ?! ど、どうしたんですか?」


 黒狐さんは今人型だから、妙に意識しちゃって、僕は何故かドキドキしていた。

 顔は整っていて美形なんだもん。誰だってこんな人に抱きつかれたら、ドキドキだってしちゃいますよ。


 でも僕は男だけどね! 好きになんかならないし、男を好きになったらそれこそ変態だよ。 


『椿、俺は白狐には負けないぞ。絶対にお前を物にしてやる』


「分かった、分かりましたから。離れて下さい」


 黒狐さん、スリスリしないで尻尾振らないで。その姿、まるで黒狐さんがペットみたいですよ。


「仲良いですねぇ。じゃぁ、私も~」


「それより早く朝ごはん食べようよ!」


 ここに里子ちゃんまで参加しちゃったら、飛んでもない事になりそうです。だってまだ発情しているみたいなんだもん。そのまま襲われそうです。


 貞操の危機を感じた僕は、咄嗟に黒狐さんの腕から跳び上がる様にして抜け出し、そのまま里子ちゃんの横をすり抜け、廊下に出ました。


 あれ? 僕こんな動き出来たんだ。


『おぉ、中々の身のこなしだな椿』


「あらら。体は昔の事を覚えているんですね」


 里子ちゃんが意味ありげな言葉と笑みを浮かべている。どうやら、過去に里子ちゃんと何かあったのだけは、間違いないみたいですね。


 ―― ―― ――


『遅かったではないか、黒狐よ。さてはお主、抜け駆けしようとしたのでは無いだろうな?』


『ふっ、白狐よ。やはり、女は親しみ易い方が好かれやすいぞ』


 黒狐さん、そんなに僕の言葉が嬉しかったのですか? ドヤ顔で白狐さんに対抗していますね。


『ぬぬ! 椿よ、我の膝の上に来るがいい!』


『白狐よ、負けず嫌いは程々にしないといけないぞ。椿よ、俺の膝の上に来い』


 どっちもどっちでしたね。お互い負けず嫌いじゃないですか。


 とにかく席を確認すると、白狐さんの横に空いている席があった。多分そこが僕の席だと思う。

 相変わらず妖怪の皆さんに囲まれてだけど、これからもっと怖い所に行くんだ、これ位は我慢しないと。


 そして、僕が自分の朝ごはんが置いてある所に座ると、黒狐さんもその横に座ります。ちなみに2人の前には、あのいなり寿司が置いてあった。


 もう僕はそれ要らないですからね。さすがに懲りましたよ。


「良かった、僕の所は普通の朝ごはんかな?」


 だけど、見た目じゃ分からないんです。普通の人間のご飯と似ていますからね。


 白いご飯、目玉焼き、ウインナー、サラダとフルーツ。うん、どれもしっかりと動いていますね。ふふふ……。


「ご飯は昨日のお昼も食べたし食べられるけど、他のはどういう妖怪食なんだろう? ん?」


 そんな事を考えながら、ご飯を食べようとお椀を持ち、お箸で掴もうとしたら、そのままお椀の底を突っついちゃいました。


 ご飯どこ行ったの? あれ、お椀の端っこに逃げてる?


「あ~、椿ちゃん。お弁当に入れたご飯は食べられたとは言え、それは逃げ場が少ない状態だったからでしょ? それが、ごはんの真骨頂だよ」


 またご飯の言い方が違う気がします。

 う、うぬぬ……昨日僕が食べたのはイージーモードなのですか。


「くっ、しょうが無い。一旦目玉焼きを――って、わぁぁあ! 目玉焼きに黒い瞳がある! ギョロギョロ動いてる!」


「これがほんとの『目玉』焼きです」


 里子ちゃんがドヤ顔で言ってくるけれど、全然上手くないからね。気持ち悪いだけだからね、こんな目玉焼き。


「うひゃ! ウインナーが伸びた! 僕の額を突っついたよ」


 色んな意味で危ないです、それは。

 あっ、待って。このウインナーさん、僕の口に入りたがってる! 待って待って、それはダメです、落ち着いて下さいウインナーさん。僕の口に狙いを定めようとしないで下さい。僕は男の子なんです、それだけは、それだけはさせないですよ!!


「うふふ。椿ちゃん可愛い~」


 里子ちゃんのそんな声を聞きながら、僕と朝ごはんの格闘が始まりました。


 朝からこんなに体力を使うご飯は要らないよ。

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