第参話 【2】 封じられた記憶の中の両親

「お腹すいたぁ……」


 お腹がぐぅぐぅと鳴っていてうるさいです。


 寝ていたらなんとかなるかなと思ったけれど、10分も持たなかったよ。何て情けないんだろう。こんな時、炊事が出来れば幾分かマシだったのかな……。


『しょうがない奴じゃな、こんな時くらいは泣いても良いんだぞ』


「うぅ、ぐす……でもね、せめて狐の姿の方が良かったかな、人型は卑怯です」


 狭い部屋の中で布団にくるまっているんだけれど、その中で白狐さんが僕を抱きしめているんです。


 う~ん、恥ずかしいよこれは。


『おい、白狐よ。そこを変われ』


『嫌じゃ、黒狐よ。お主は後ろからにしておけ』


『相変わらず、しれっとムカツク事を言う奴じゃ』


 えっ? 待って待って、僕の意見は?

 あっ、ちょっと待って、黒狐さんまで後ろからぎゅってしないでよ。


「ちょっと待ってよ! 僕は子供じゃないし、女の子でもないから! こ、こんな事しなくても別に――」


『そう言う割には、我の服を引っつかんで離さんではないか』


「うっ……」


 白狐さんにバレていました。でも、今回ばかりはしょうが無いじゃん。

 あっ、そうだ。気を紛らわす為に、学校にいた妖怪の事で、不思議に思っていた事を聞こうかな。


「あ、あのさ。今日学校で捕まえた妖怪だけどさ。なんで僕をいじめていたの?」


『ふむ。いじめていたと言うよりは、迫害しようとしたのだろうな。スマホを持っていなかったお主は、あいつに操られる事が無かった。奴にとってそれは致命的。皆が操られている状況で、ただ1人操られていないとなると、その不自然さに、直ぐに指摘されるからな。それは奴にとっては面白くないだろう』


 僕の疑問に、白狐さんが丁寧に答えてくれる。だけどそもそも、なんの目的があって皆を操ったのかな。


「そっか。それってやっぱり、目的があって皆を操ったんだよね?」


『ないぞ』


「え?!」


 後ろから黒狐さんにそう言われたので、僕は振り向いたけれど――


「うわっ?! 黒狐さん顔が近いです!」


『ん~? お前の髪の匂いを嗅いでいたのじゃ』


 むちゃくちゃ顔が近かった。

 ちょっと待って、何していたのこの人は! 臭いフェチですか? ねぇ、臭いフェチの変態さんなの?


『まぁ、妖怪などそんなものでな。ただ単に人を操り、人形劇の様に自分で人間達の生活を決める。さぞ面白いんじゃろ? 優越感に浸れてな。だが操れない者がいると、途端に不愉快になるのも奴の特徴でな。更には隠密能力も高い。それで危険度が高かったのじゃ』


 なるほど、そうなんですね。でも白狐さん、そう言いながら髪を触らないで、クンクンしないで。そして何故かくすぐったい!


『うむ。我はやはり、お主の肌の味がたまらなく好きじゃの』


「わっ?! ちょ、止めて白狐さん! 首筋舐めないで!」


 この人は味フェチ?? そんなフェチあったっけ?

 それより今気づいたのだけれど、これって……僕の貞操の危機なんじゃないのかな?

 せまい布団の中で、僕を嫁にすると言っている、この2人の妖狐さんに抱きしめられているんだよ。そして顔が近い。


『おぉ、どうした? 顔が真っ赤じゃぞ?』


「そ、そそそんなことにゃい!」


 噛んじゃったよ、緊張しちゃっているのバレバレだよ。

 誰だってこんなイケメンの2人に寄り添われたら、緊張しちゃうでしょう。


 いや、だから僕は男の子なんだってば!! 緊張も何も無い! 男友達って思えば良い!


 それにしても、女々しいってよく言われるけれど、ここまで自分が女々しいとは思わなかったよ。


 するとその時、家のチャイムが急に鳴り響きました。


「あれ? 誰か来た? 宅配便かな?」


『宅配便か? なら放っておけば良い』


「白狐さん離れてよ。もしこの家の誰かのだったら怒られちゃうよ」


 そう思ってゴソゴソしているのに、この2人が離してくれない。


 そして、再度チャイムが鳴る。


「もう、絶対に宅配便だよ。受け取っておかないと、あの人達に怒られる」


 それでも離さないのですか、この2人は。何で? そんなに僕と離れたくないの?


『いや、行かなくてよいと言っておるじゃろ。それよりも我等と――』


「だから白狐さん! 君達から逃げる為にも、僕は受け取りに行きたいの!」


 そんな時、今度は家のチャイムが連続で鳴らされます。


 いやちょっと待って、怖いです。配達の人がこんなに連打するはずないし、えっ、何これ。


『うるさいのぉ!!』


「うっ……!」


 黒狐さん……耳元で叫ばないでよ、耳に響いたじゃん。耳を下に垂れさせて蓋したけれど、今更だよね。


 それでも、まだチャイムは鳴っています。


「まだ連打中? やっぱり宅配便じゃないよね、これ」


『そんなことは最初から分かっとる。しょうがないのぉ』


 そう言うと、白狐さんと黒狐さんがようやく布団から出てくれた。でも、僕は逆に布団から出られなくなっちゃったよ。

 だって、宅配便じゃないのならいったい誰なの? この家族の知り合いなら、家族が居ないのは知っているはずだよ。


 そんな事を考えていたら、ようやく家のチャイムが止んだ。

 ホッと一安心した僕は、とりあえず布団から顔を出しておくけれど、まだ恐怖で脅えています。


 家の前にまだ居たらどうしよう……オバケとか。


『大丈夫じゃと言うに、全く』


「そ、それなら見てきて下さいよ、黒狐さん」


 すると突然、後ろの小さな窓から音がしてくる。どうやら、外から叩いているみたいです。

 えっと……ここ2階ですよ。絶対人間じゃないよ。余計に後ろを振り向けない。


『椿が怖がっとるから、普通に入って来てくれんか? おきなよ』


 へっ? あ、ちょっと……! 窓を開けに行かないでよ白狐さん。だけど、僕は怖くて動けない。これ……完全に腰が抜けた。


「なんじゃい、居留守使おうとする方が悪いわい。全く、じぃを怖がるとは失礼じゃぞ、翼よ!」


 えっ? その声はまさか?!


「お、おじいちゃん?!」


 その声を聞いて、僕は咄嗟に布団から飛び起きた。あっ、安心したら腰が治ったよ。

 そして声のする方を確認すると、そこには窓から入って来ているおじいちゃんの姿があった。


 でもちょっと待って、不自然な点がいくつかあるよ。白狐さんと話してなかった? それと――


「おじいちゃん。今、どうやって2階に入ってきたの?」


「うん? そりゃこうやってじゃ」


 そう言うと、おじいちゃんが突然突風を生み出した。

 そしてその体の周りを、どこからからか出てきた木の葉が舞い散り、おじいちゃんの体を見えにくくする。


「わぷっ?!」


 葉っぱが顔にひっついちゃうし、尻尾にも引っ付いて変な感触が……おじいちゃん、場所を考えて下さい。

 でもその前に、なんでおじいちゃんがこんな事出来るの? もしかして――


 そして、僕のその予感は的中した。


 次におじいちゃんの姿が見えた時、その姿は一変していた。

 修験装束に身を包み、天狗下駄を履き、顔は真っ赤になって、鼻が高く伸びていて、背中に烏の様な羽が付いている。


 その姿は、もう完全に天狗です。


「…………」


『おぉ、椿よ! どうした?!』


 白狐さんの声を聞きながら、僕は布団に突っ伏してしまい、そして意識が遠のいていく。

 恐怖と驚きでパニックになる前に、自己防衛として体が意識を飛ばすことにしたようです。


 ―― ―― ――


 えっと……ここはどこ?


 確か僕はなにかでショックを受け、意識を失った。

 その後、気がついたら真っ白なこの空間にいる。辺りを見渡しても、ここには何もない。


 そう言えば、僕どうしたんだっけ?

 あっ、そうだ。おじいちゃんが天狗だったから、それに驚いて意識が飛んだのか。じゃあ、ここって夢の中?


 すると、今度は霧が晴れていく様になって、白い空間が消えていく。そして、僕がよく行くあの場所の風景が飛び込んで来た。


「ここって、稲荷山?!」


 そう、赤い千本鳥居がズラリと並ぶ、僕のお気に入りの場所である。

 でも、何だかおかしいよ。僕は何回もあの山に通っているけど、こんな場所は知らない。


 そこは、稲荷山と変わらない様に見えた。

 あの山に登る山道を、朱色の鳥居が立ち並ぶ有名な風景なのだけれど、その数がちょっと尋常じゃないのと、霧が凄い。


 そして、山道は左にゆっくりと曲がる様に登っていて、鳥居の間には、お稲荷さんの像が均等な間隔で置いてある。もちろん、赤い前掛けはちゃんと付けている。


 でも、こんな所は知らない。というより、無いはずなんだよ……こんな所は。いったいここはどこなの?


 すると、突っ立ている僕の後ろから声が聞こえてくる。それは、若い男性と若い女性の声、そして小さな女の子の声だ。


 その声を聞いて、僕は何故か慌てて鳥居に隠れた。


 その後、徐々にその人達の姿が見えてくる。そして、その姿をはっきりと捉えられる位置まで来て、その人達の正体が分かった。その人達はなんと、妖狐だった。

 狐の尻尾と狐の耳、嫌と言うほど確認したその見慣れた物が、その家族にも付いていた。


 僕から見て左手に男性が、そして右手に女性。その真ん中には女の子がいて、両手を両側の人達と繋いでいる。


 妖狐の家族かな?


 父親らしき男性は銀髪で、耳と尻尾の毛色も髪と同じ色をしています。

 とても優しそうな雰囲気の父親だなぁ。セミロングの髪もサラサラで、とっても美形で、笑顔が素敵です。


 母親らしき女性は金髪で、同じように耳と尻尾の毛色も髪と同じ色をしている。

 この人も優しそうな雰囲気です。でも何だろう、妖艶な美しさと言えば良いのかな? ずっと見ていてしまいそうになる、そんな美しい人です。

 腰までのロングの髪はもちろんサラサラで、触ったら絹の様な触り心地だろうなって、そう思ってしまうほどです。そして、この人も終始笑顔です。


 更に、真ん中の小さな女の子に目をやると、僕は驚愕の余り叫びそうになった。だってあれは、完全に僕だったから。

 しかも、今の妖狐になってしまった僕ですよ。狐色の髪をした僕です。


 どうして? なんで? でも間違いないよ。


 小顔にくりくりの目、首元までのセミロングに、癖っ毛ひとつ無いサラサラの髪。幼いけれど、完全に女の子になった僕の顔だった。


 何でこんな所に僕が……ううん、これは夢だ。夢が僕に、理想の家族像を見せているんだ――ってのは無理があったかな。

 夢は記憶の整理って言っていたっけ? 過去に起きた事も夢で見たりする事もあるから、これは僕の過去の光景? でも、どうしてもこの事を思い出せない……。


 すると、その家族が僕の直ぐ近くを通り過ぎた時、こんな会話が聞こえてきた。


『さっ、もうすぐ天狐様の住むお社に着くからな』


『私達の子供に、初めてお目通しをされるのね。楽しみだわ、どんな事を言われるのかしらね』


『ねぇねぇ、テンコさまってどんなひと?』


『それは、会ってみてからのお楽しみだ』


 そしてその家族は、僕の前を通り過ぎていく。


 思い出せない、思い出したいのに。

 こ、怖い。思い出したくない、ダメ。

 何で? 何で思い出したら駄目なんだろう。


 そんな苦しむ僕の前を通り過ぎ、ちょっと行ったところで、その家族が立ち止まる。そしてゆっくりと、鳥居に隠れている僕の方を振り返る。


『大丈夫。君のせいではないよ』


『思い出さなくていいわよ。忘れなさい』


 えっ? えっ? な、なに……?

 何あれ?! 黒い霧の様なものが、さっきの2人を覆っている?!


『嫌だよぉ! お父さん! お母さん!』


 今度はいつの間にか、小さな僕が僕の足元で泣き叫んでいる。その姿は、見ていてとても苦しくなった。


『ねぇ! お父さんとお母さんを助けようよ!』


 そして小さな僕が、僕に泣きすがってくる。

 すると、僕の前にいる夫婦がそれを止めてきた。


『ダメよ、忘れなさい』


『白狐と黒狐に再会したからといって、こんな事まで思い出す必要はない』


 そして、今度は2人同時に強く言ってくる。


『忘れなさい!』


 そこで僕の視界が再び真っ白になっていき、また意識が遠のいていく。


 ―― ―― ――


「わぁっ?!」


 僕は叫びながら飛び起きた。

 なにか夢を見ていたのは分かるけれども、駄目だ……ついさっきの事で、しかも鮮明だったはずなのに、中身がどうしても思い出せなかった。


「はぁ、はぁ。なんだろう……嫌な夢を見たような。でも、思い出したいような夢……」


 そこで僕は異変に気づく。

 布団が立派な布団です。僕の部屋の布団じゃない。それと太陽が眩しい。今は朝なのかな?


 目が覚めた僕は辺りを見渡す。するとそこは、和室の広い部屋で、どうやらその真ん中に僕は寝かされていた。


「えっ? ここどこぉ~?!」


 なんだかどこかで見たみような、見なかったような……とにかくあんまり覚えのない部屋だった。

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