第弐話 【1】 新たな名前は

 足が重い……学校の正門に近づく度に、歩くのが遅くなる。


 毎日そうなんだけど、今日はいつもより足が重い。それは、僕が今妖狐の女の子だから。

 それに、あの家族は何故か気付かなかったけれど、僕の髪は今狐色。絶対に何か言われるよね。


『そんなに暗い顔をするなら行かねばよかろう――とさっきから言っておるのに、聞いとるのか?』


『白狐よ、多分聞いておらんぞ』


 あれ? ずっとそんなことを言っていたの?


「君達にはわからないでしょ。髪の色……家族は気づいていなかったけれど、さすがに学校には校則という決まりがあるから、絶対注意どころじゃすまないよ」


『なんじゃそんなことか。今お主は、我等が出てきた勾玉を持っているだろう?』


 勾玉? ずっと持っていろと言われたからカバン入れて持ってきています。それを取り出して、2人に見せます。


「これが何か?」


『それを持っていれば、多少でも意識阻害の結界が張られるのでな。髪の色や姿が多少変わっていても、人間には気づかれにくくなる代物なのじゃ。先程お主の家族が気付かなかったのも、それを持っていたからだ』


 そうなんですか。それじゃあ、容姿は心配しなくても良かったんだね。それでもどっちにしてもいじめられるけど。

 だから、なんとか女の子になってしまった事だけは隠さないといけない。


 そんな事を考えている内に、学校に着いてしまった。だって家から20分だからね。


「はぁ、嫌だなぁ。でも行かないと、本当に家から追い出される」


 僕はそう呟きながら、学校の正門を通って教室へと向かう。


『う~む……』


 その途端、白狐さんが何か唸っている。ついでに黒狐さんも難しい顔をしている。


「ど、どうしたの?」


『いや、なに。妖気を感じるんじゃ。お主、この学校には妖怪がおるだろう?』


「えっ? よ、妖怪?!」


 そして白狐さんがとんでもないことを言ってきた。そんなの居るわけないってば。


「でも、現代にそんなの居るわけないよ」


『何を言うておる、妖狐である我等がおるではないか』


 あっ、そう言われたら。えっ? それじゃあ本当に?


『これこれ、何故足を止める』


「きゅ、急に怖くなってきた。変な事言わないでよ」


 余計に前に進めなくなっちゃった。こんなのお化け屋敷に入るよりも怖いじゃんか。


『まったく、しょうが無い奴だな。どれ……』


 そう言うと、突然黒狐さんは人間の姿になり、着物の裾から何かを取り出す。それは何と、スマートフォンだった。


「え? そ、それは?」


『ん? スマホだ、知らんのか?』


 よ、妖狐がスマホって……妖怪のイメージが。


「いや、知ってるけど。な、何で妖狐が?」


『なんじゃ? 妖狐が持ってはいかんという決まりでもあるのか?』


 白狐さんが正論言ってきます。正論なんですけれど、納得出来ないのはなんでかな?


「君達も時代に沿うんだね」


『それはそうだ。だがもちろん、人間が作った物ではなく、妖怪が作った物だ。だから、人間の物とは違う機能がある』


 そう言いながら、黒狐さんが慣れた手つきでスマホを操作する。そしてその後に、スマホを正面に掲げて何かを探っている。


「何してんの?」


『ん? 特製のアプリで妖気の質を調べておる』


 アプリもあるんですか。スマホだったら当然あるのは分かるけどね。


『白狐、そちらはどうじゃ?』


『学校の外になると妖気が切れておる。ということは、学校の中じゃの』


 気づいたら白狐さんも人型になっていて、取り出したスマホで辺りを調べていた。


 う~ん……妖狐さんなら、もっと感覚で色々分かって欲しかったかな。


『よし、では行くぞ。質は禍々しいから、懸賞金がかけられていそうじゃ』


 そう言うと、2体の妖狐さんは狐の姿に戻って前を歩いて行く。


「あ、待ってよ~」


 その後を僕は慌てて着いて行った。

 あぁ……また嫌な1日が始まるのに、そんなにさっさと行かないでよ。


 ―― ―― ――


 その後、いつも通りに自分の教室に入って行き、いつも通りの物が置いてある自分の机を見ます。女性の身につける物です。


 昨日はスカートだったし、一昨日はブラジャーでした。今日は――女の子の下着だ。

 誰の? また誰かの妹さんのをパクってきたのかな? その妹さんの方が迷惑だって事は考えないのかな?


 とにかく、僕はいつも通り後ろのロッカーにそれを置こうとした。


 すると、突然クラスの女子から悲鳴が上がる。


「きゃぁぁああ!! それ、私のよ!!」


 えっ? 嘘? 何で君のが……。

 名前を覚える気がないから、君が誰かも知らないけどね。


「お前、学園のマドンナである亜里砂ありさちゃんのパンツを盗むとは、そんなに女の子の格好がしたいのか!」


 えぇ……僕がやったなんて何で言い切れるの? いつものように、誰かが僕の机にそれを置いたんでしょう?


「いや~!! 変態!! 最低!!」「気持ち悪い! 何こいつ!! 女顔だからって、心まで女なの?!」「こんな変態警察に突き出して!!」「そうだそうだ!」「いいや、その前に制裁だ!!」


 皆から好き勝手に怒号を浴びせられ、僕は怖くてしゃがみ込んだ。


 それ、僕じゃないのに……。


「僕じゃない、僕じゃないよ……」


 そう呟いても無駄だった。


 男子は作戦成功と言わんばかりにニヤニヤとしていて、女子も嫌悪感を露わにして、僕に罵声を浴びせる。

 そして遂には、制裁と言わんばかりに、クラスの男子数人が僕に近づき、拳を振り上げて殴ろうとする。


 でも、それは出来なかった。


 なぜなら、僕に拳を当てようとした瞬間、何かにぶつかった様になり、そのままその人達が弾かれたからです。

 まさかと思い、僕が両端を確認すると、白狐さんと黒狐さんが歯をむき出しにして皆を威嚇している。

 多分この2人が吹き飛ばしたんだと思うけど、勝手な事をしないでよ。


「いって~!! 何てことしやがるお前!! いてて、骨折れたぞこれ!」


「うわっ、最低だな!! 暴力かよ?!」


「ひっど~い! 犯行がバレたからって、力で言うこと聞かそうって言うの?!」


 どの口がそれを言うのかな……。

 僕がそんな事を考えていたら、担任の先生が血相を変えて教室に飛び込んできた。


「貴様! なにやってるんだ!」


 飛び込んできた先生は、そう怒鳴った後、一直線に僕の方に向かい、何故か僕の腕を引っ掴み、そのまま教室の外へと連れ出されてしまった。


 えっ……なんで僕?


 その様子を、クラスメイト達がニヤニヤと不気味に笑いながら見ていた。


 でも……そのニヤニヤ顔が、皆一緒だった。気持ち悪いくらいに同じだったよ。


 その時僕は、白狐さんに言われた『妖怪』と言う言葉を思い出し、背筋がゾクゾクと震えました。


 こ、怖い。まさか、この学校の人達皆が妖怪なの? それとも、妖怪に操られているの? でも、僕はそのまま先生に連れられてしまった。


 ―― ―― ――


 先生に引きずられながら職員室に来ると、先生の机の前にイスを一個用意され、そこに座れと指を差される。とりあえず僕は大人しくイスに座ります。


「全く……良いか良く聞け! 俺のクラスで暴力沙汰なんか起こすな。問題なんか起こされると、俺が迷惑被るんだよ! 少しは考えろ!」


 先生は険しい顔付きで怒鳴ってくる。やっぱり僕が悪いとされている。


「で、でも、あの人達が……僕を」


 それでも僕は、自分でも分かる程の小さな声で、理不尽なこの叱責に何とかしようとしてみるけれど……駄目だ、い、息が――


「先に手を出す方が悪いんだ! どんなことをされてもな、手を出した方が悪なんだ! 分かったか?!」


「う、ぐ……」


 あぁ、空気が薄い。息が出来ない。


『おい、しっかりせんか! こら!』


『気をしっかりもたんか!!』


 2人の叫び声が聞こえる。でもごめん、無理です。


 そして僕は意識が遠くなり、その場に倒れてしまった。


「ん? なんだ?! ちっ、くそ……倒れやがって。運ぶ方の身にもなれ!」


『あぁ、貴様待たんか!! そいつをズルズル引きずって行くな!』


『ん? 待て白狐よ。今気づいたが……俺達あいつの名前を聞いていなかったな』


『あっ……』


 ―― ―― ――


「う、う~ん」


 ここは? あれ? そういえば僕、職員室で過呼吸を起こして、倒れて――あっ、ここ保健室?


 僕はゆっくりと体を起こして辺りを見渡す。

 そこは沢山の白いベッドと、周りを白いカーテンレールで仕切られた場所。清潔感のあるこの部屋は、間違いなく保健室だった。


 そして時刻は、11時を指そうとしていた。そんなに気絶していたなんて。


「あぁ……暴力の事、絶対にお父さんに連絡されるよね。もう帰ることすら出来ないかも。なんでこんな事に……」


 僕はまた泣きそうになり、顔を俯かせてそれを耐える。本当に惨めすぎます。


『これこれ、そう簡単に泣くでない』


『そうじゃ、せっかくの綺麗な顔が台無しじゃ』


 すると、両脇にちょこんと座っている白狐さんと黒狐さんが、僕を慰めてくる。

 でも慰めないで欲しいかな、余計に惨めになって泣いちゃいそう。それに、この2人には文句を言わないといけないよ。


「うぅ、元はと言えば君達のせいだよ」


『うっ、すまん。あんな事になるとは思わんかったわい』


『人間は相も変わらず、訳の分からんことをする』


 今日あの人達に、どう言い訳をすれば――いや、何を言い訳しても無理だろうね。


『それよりもお主。いい加減「お主」と言うのも素っ気ないのだ。名前を聞いておらんかった』


「あっ、そう言えばそうでしたね白狐さん。僕は槻本翼だよ」


 名前なんて今更ですか? でも確かに僕は、この2人に名前を言っていなかった。


『翼か、男っぽい名前だな』


 黒狐さんはなにを言い出すのでしょうね、嫌な予感がします。


「僕は男の子なんだから当然だよ」


『しかし、今は女の子じゃ。よし、我等が代わりに良い名をつけてやろう』


 ちょっと白狐さん、何を言っているの?

 嫌な予感が的中したよ。代わりの名前って、僕そもそも女の子でも無いってば。体は女の子だけどさ。


『うむ、よし。翼の一文字を変えるだけで、良い名になったわ。椿つばきはどうじゃ?』


『おぉ、白狐よ。お前もたまにはそんな知恵が働くのだな』


『たまにはとは余計な事を、いつもであろう』


 ちょっと待ってよ、僕は男の子だってば。勝手に女の子の名前なんか付けないでよ。


「あのさ、僕は男だってば……」


 だけど僕を無視して、黒狐さんが新しく付けた名前に対して、なにか難しい事を言っています。


『しかし白狐よ、椿は縁起が悪いぞ。花が萎れずそのまま落ちる事から、首が落ちるイメージを持たれ、人の名前では好まれんぞ。他の名前が良いのでは無いか?』


 へぇ、そんな意味があるんだ。あれ、綺麗で凜としているのに、名前で付けるにはイメージ悪いんだね。

 だけど白狐さんは、そんな事は知っていると言わんばかりの目をして、対抗してくる。


『ふん、確かに一般的にはその様なイメージだ。しかし我からしてみれば、人間と言うのは、非常にイメージに拘ると思っての。黒狐よ、椿の花言葉を知っとるか? 椿の全体的な花言葉は、「控えめな優しさ」と「誇り」だ。椿の控えめな優しさは、我等の誇りだ』


 なるほど、花言葉で選びましたか――って、良くないです! 僕はまだ承認していませんよ!


『ほぉ、なるほど。それなら悪くは無いな、うむ』


『よし、決まりだ。良いな椿』


 勝手に話が進んじゃってるよ。女の子の名前なんか付けられる訳にはいかない。


「待ってよ! 僕は男の子なんだから、女の子の名前なんて――」


『いや、もうお主は我等の嫁だ。徐々に女子おなごにしていってやる、口答えは無しじゃ』


『うむ、いい加減我の嫁になる覚悟を決めよ』


『黒狐よ、我の嫁だ』


 僕の言い分は無視ですか? どっちのお嫁になる気もないよ。何なのこれ。本当に、悪い夢ならもう覚めてよ。


 あっ、そうだ。もう一回寝たら夢から覚めるかな?


 そう思った僕は、再び布団に潜り込んだ。


『こら! また寝るんじゃない!』


『逃げてばかりでどうするんじゃ!』


 2人がうるさいです。放っておいてよ、こんな状態なんだから逃げても良いじゃん。

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