第弐話 夢見の中のお稲荷さん

 晩ごはんの時間が、僕は1番嫌いです。


 ご飯はコンビニ弁当を用意してくれているし、それは良いんです。でも僕は、テーブルの1番端っこでちまちまと食べている。


 お父さんは、お姉ちゃんのギャルみたいな格好に何一つ文句を言わない。やせ細った顔でくたびれていて、苦労している様に見える。


 それでも、僕に視線を移さない。


 たまに僕の姿を見ると、思い切りため息をつかれる。僕がいるから、余計にお金がかかるんだよね。それとも、本当の親じゃないから? 何て思ってしまう。


 こんな不況の中で、僕みたいな子供にお金を使っている余裕は無いよね。お父さんは、銀行の窓際社員と言われているみたいです。


 その後ご飯を食べ終え、お姉ちゃんが電話をしながら大笑いしている間に、僕はさっさとお風呂に入り、二階の物置の様な部屋に引っ込む。


 いったいいつまで、こんなにも惨めに生きていかなきゃいけないの? 

 僕は毎日、布団に潜りながらそんなことを考えている。


 この物置の様な部屋には、小さな箱みたいな机と布団だけ。

 それ以外は何もないよ、何も与えられないよ。洋服も、どっかのバザーで買ってきた使い古した服だけ。


 僕はそんな状況の中で、小さな窓から漏れる月明かりを見ながら呟く。


「ねぇ、お稲荷様。1番最初に僕がお稲荷様を見た日、覚えてくれているかな。小さい頃、本当の両親に連れられて。あれ? でもその時は確か、僕は着物姿だったような? うぅ……何で記憶が無いの。だけど、何となく思い出しそう。えっと……確か僕は、誰かに連れられて、だけど女物の着物――いたっ?!」


 何か、何かを忘れているような気がする。


 そして思い出そうとしたら頭が痛くなってくる。何でだろう、一瞬誰かの顔が浮かんだよ。

 でも、すぐに頭から消えてしまう。霞がかかったようにぼんやりとした記憶で、思い出そうとしたら頭が痛む。


「う~ん、よく分かんないや。頭もズキズキするし、もう寝よう」


 だけど、いつも寝る前には必ず涙を流す。今日起こった嫌な事を思い出してしまって。


 クラスからハブられて。

 いつもクスクスと笑われる。

 女物のスカートを机の上に置かれ。

 階段の上から突き飛ばされて落ちそうになったり。

 女子トイレに連れ込まれそうになったり。

 給食を入れられなかったり。

 体育ではずっとボールを投げつけられ、砂をかけられ。

 蛇口から水をかけられ。

 殴る蹴るは当たり前。

 教科書はビリビリに破かれ。

 工作は壊される。

 そして、学校の先生達は見て見ぬふり。


 僕が何をしたの? お稲荷様、どうか助けてください。


 ーー ーー ーー


 ふと気がつくと、僕はどこか見た事のない山を歩いていた。


 あれ? ここはどこ?


 ずっとずっと、果てなく続く千本鳥居。もしかしてここって、稲荷山ーーかな。


「あれ。でも、おかしいな? 稲荷山の千本鳥居って赤なのに。この千本鳥居は、白い鳥居と黒い鳥居が交互に? こ、怖い……」


 それでも、何故か誰かに呼ばれている様で、フラフラとその先へと歩いて行ってしまう。


 待って。止まって僕の足、怖いよ。でも、この風景何かに似ている。


「あっ! これって、お葬式の時の雰囲気だ。それじゃあ、僕ってまさか、死んだの……?」


 すると、目の前のその先が急に広がっていき、千本鳥居が円を描く様にグルリと周りを囲み、広場の様になっていた。


 その真ん中には、小さな祠と2体のお稲荷さんの像が立っている。


「な、何だろう? ここは」


『ここは夢の狭間。お主の夢に、少し介入させてもらった』


『だが、お前の中のものは強力じゃな。ふっふ、ならば尚更ふさわしい』


「えっ?! だ、誰?!」


 すると、いきなりどこからともなく声が聞こえる。


『目の前じゃ』


『ほら、今姿を見せてやる』


 その時、目の前の2体の稲荷像が煙に包まれる。そして次の瞬間、その像は2体の狐になっていた。


 でも普通の狐じゃない。1体は真っ白な狐で、1体は真っ黒な狐だったからです。

 更に次の瞬間、2体とも再び煙に包まれ、すぐに人間の姿になった。


 毛色が真っ白だった狐は、それと同じ色のロングヘアーを靡かせて、ちょっとたれ目。真っ白な尻尾と耳も付いている。

 毛色が真っ黒だった狐は、真っ黒なショートヘアーのつり目で、勿論真っ黒な尻尾と耳がある。


 どちらも神様が着るような、上等そうな着物を着ていた。これも白い狐が白くて、黒い狐は黒い着物です。

 更に、両方ともイケメンと言われるぐらいに、顔がしっかりと整っている。


「な、なな、何ですかあなた達は!?」


 生まれて初めて大きな声が出せたんじゃないかな。そう思うくらい、僕は大声を出していた。


『おいおい。毎日の様に会っておろうが』


『そうだ。本当に暇人の様に、毎回毎回我等の所にやって来ては、愚痴を言っていくなんてな』


 毎日愚痴って、まさかこの2体は……。


「あ、あの2体のお稲荷様?」


 僕は驚きながらも確認を取る。

 でも、信じられない。魂が宿っている感じはしたけれど、本当だったなんて。


『ふっ、白狐びゃっこの我は稲荷と言っても過言ではないが、この黒狐こくこは違う。図々しくも、何かから逃げる様にして稲荷山に住み着いているのだ!』


『別に構わないだろうが、けち臭い事を言うな白狐!』


『なにぃ?!』


 この2体は仲が悪いのかな? 喧嘩しそうな勢いです。


「あっ、待って。喧嘩はダメだよ」


 だから僕は、咄嗟に2体の間に入る。

 人がいがみ合っているのを見ると、咄嗟にこんな事をしちゃうんです。それも僕の悪い癖かも知れないし、いじめられる原因の1つを作ったのかも知れない。


 すると、2体のお稲荷様はニヤリと笑みを浮かべます。流石にちょっと後退あとずさっちゃいました。


『やはりお主は、可愛いの』


『うむ、毎日見ていて気づいておったが、今の女子おなごよりも数倍可愛い。そして何より性格がキツくない』


 そう言われるとショックだよ。僕はこの女顔が嫌なんだよ、コンプレックスなんだよ。だからそんな事を言われたらーー


『あ~!! 悪かった悪かったわい。泣きそうになるな』


『だから、変な事は考えるな』


 えっ? まさかその事を言いに、僕の夢に?

 そっか、やっぱり無理なんだね。自分で何とかしないと。でも、自分でなんとか出来たらとっくになんとしてます。


「それじゃ僕は、気弱なままずっと1人で生きていき、友達も出来ずに孤独なままで、1人寂しく部屋でーー」


『おぉい、待て待て! なにを考えている! そんなドン底思想は止めておくんじゃ!』


『この脆弱弱虫が!』


『黒狐! お主は少し口に気をつけろ!』


『あぁ……いかんいかん! 悪かった!』


 どうやらこの黒狐さんは、性格が少し悪いようです。でも、そんなのは関係ない。こんな夢、早く覚めて欲しいよ。


『全く……落ち着かんか。とにかく話を聞け。呼んだのはそんなことでは無いわ』


「それなら何ですか? 早く話して下さい」


 やっぱり守り神と言っても、こんなものだよね。

 僕は早く夢から覚めたかったので、ちょっとぶっきらぼうな感じになっちゃいました。


『実は我等は、お主に惚れたのだ。毎日毎日参ってくるのは、殊勝な心掛けじゃ』


『理由がどうあれ、その様に毎日来られるとな、褒美をあげたくなる』


「えっ? それなら僕の性格を変えて下さいよ」


『他の人間も見てみたが、その若さでお主の様な人間はいなかったのでな。それに何やら、惹かれるものを感じたのだよ』


 無視された。僕の言葉が普通にスルーされました。


『そこで褒美だがな……』


 何だか焦れったいですね。

 それと今気が付いたのですけど、白狐さんは誰かを呼ぶ時は「お主」と言っているし、黒狐さんは「お前」ですか。やっぱり黒狐さんの方が性格が悪そうですね。


『我等どちらかの嫁になってもらう!!』


 そう叫ぶ白狐さんは、少し意を決したような顔をしています。

 へぇ、たったそれだけ。何だ嫁にね。君達のお嫁さんにかーー


「ーーって、えぇぇぇええ!!! あの、嫁って……女の人が結婚してなるものだよね?!」


 あまりの言葉に一瞬理解が出来なかったよ。そして生まれて初めて大絶叫を放ってしまいました。


「ちょっと待ってよ! こんな顔をしているけれど、僕は男だよ!」


『そんなものはどうとでもなる』


『そうだ。白狐の力でどうにでもしてやるわ。と言うが、そんなややこしい事をしなくても大丈夫そうだ』


 そんな無責任な……どうにでもしないでよ。僕は性格を変えたいのに。なんでそんな勝手な事をするの?


『ふふ。まぁ褒美というよりはじゃな』


『我等に勝手な事を言っていた罰。かな?』


 少しキツメに言ってくる2人が怖い。

 罰ですか……やっぱりあんな事を言っちゃダメだったんだ。


「ご、ごめんなさ……」


 もうダメだ、泣きそう。必死に堪えているけれども、涙が頬を伝うのが分かる。


「でも、だって。だってぇぇええ!!」


 何でだろう。今までは感情を押し殺し、泣くことは絶対にしてこなった。でも今、堤防が決壊したかのようになってしまって、僕は涙が止まらない。


『やれやれ。そりゃ辛かったとは思うわい』


『そうだ。だがお前だけではない。世界にはもっと不幸な者もおる』


 そんなのは知っているよ。この恵まれた国で、寝るための家もある。最低限死なせない為のご飯は出る。確かに最大級の不幸とは言えないよ。それでもーー


「うっ、ひっ……ぐす。でも……それでも、辛いものは辛いんだよ。僕が何をしたって言うの!」


『お主が何もしなかったからだ』


『そうだ。抵抗も何もしなかった。性格を変えたいと言っておきながらな』


 抵抗って……それをしたら余計に遊ばれるだけです。いじめのなにが分かるの? 


 いじめはね、やっている方はいじめとも思っていないんです。遊んでいるんだ。その反応を見て楽しんでいる。抵抗すればするほど、いじめは酷くなるんです。


『いや……まぁ、言いたい事は分かる。抵抗と言うよりはだな、強い心を持ち、いじめられた時でも、友達と騒いでいる感じで軽く流せば良かったんだがな』


『白狐の言う通りだが、これは性格のせいもある。致し方ない。だから、それを変えたかったのだろう』


 そうだよ。だから性格を変えたかった。どうせ僕には友達なんていないし、そんな事出来るわけがないよ。


『そこで。お主の願いも多少聞き入れる事になるが、その精神を鍛え直す事も兼ねて』


『我等の嫁になる為の、花嫁修業もつけてやる!』


「だから僕は男だってば~!!」


 駄目だ……このままだと、男なのにこの2人のお嫁さんにされちゃう。


『ふっ。お主に拒否権はない』


『ただ黙って、我等の嫁になれば良いだけ』


 あぁ……2人とも近づいて来て、僕のアゴに手を添えて、そのまま顔を上げさせないでよ。それは女子がされたら嬉しいやつでしょ? しかも、顔が近いよ。泣き顔を2人に間近で見られているよ……。


『さて……この白い鳥居と黒い鳥居はな、ちゃんと意味がある』


『これで男のお前は死んだ事になるという暗示と、我々の力が封印されておるのだ』


 お稲荷様が、こんな鳥居を作っても大丈夫なのかなと思ったけれど、ちゃんと意味があったんだ。


『さて、長話も疲れるしの』


『そうだな。それに、そろそろ夜が明ける』


 そう言うと2人は、僕からゆっくりと離れて行き、それぞれの色の鳥居に向かうと、そこに手を添える。


『さて、お主がどの様になるのか』


『楽しみだ』


 すると、急にその鳥居から黒い光の様なものと、白い光の様なものが現れ、僕に向かって飛んで来た。

 そして光の放たれた鳥居は、元の綺麗な朱色になっている。


 あぁ、鳥居はやっぱりその色じゃないとね――って、あれ? これってどうなるの?


 そんな事を考えているうちに、2つの光は僕に直撃する。


「うわっ?! 何これ何これ?!」


『まぁ落ち着け。そう悪い物ではない』


『起きたら驚くぞ。くっくっくっく』


 2人の言葉が、ゆっくりとエコーがかかった様になっていく。


 あぁ、この光は確かに何ともないね。体がムズムズするだけです。

 そして、僕はそのまま、だんだんと意識が遠のいていきました。

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