第20話

 駅のホームに着いて、あれ、と思った。いつも乗っている電車の発車時刻にはまだ十分な余裕があり、同じ電車に乗るのであろう面々も、各々読書や欠伸をしたりしていて、普段どおりの朝に思えた。だが「普段どおり」と安堵するよりは、明言できない妙なざわめきを胸のうちに感じた。

 この光景を、見たことがある気がする。

 もちろん、大抵の人間は毎日の通勤や通学に同じ電車を利用するよう、自身の行動をルーティン化させているものだから、見たことのある人間が多数居ても、何一つ不思議はない。ただ、寸分違わず、これを見たような気が、してしまったのである。それは取るに足らない記憶の齟齬に違いないのだろうが、どうも寝覚めの悪さもあって、今日一日がこうした不気味な様相を為すのではないかと、不安に陥る。

 乗り込んだ電車で、ドア付近に陣取っていると、二つ隣の駅からクラスメイトの松田航平が乗車し、目が合うと軽く手を挙げ、近寄ってきた。

「おは。眠いね」無骨なデザインのヘッドホンを肩に掛け、「なんか顔色悪くない?」

「そんなに?」両親と同様のことを言うので、「ちょっとだるいけど、いつもどおりのつもりなんだけど」

「あ、夜更かし? 何時に寝たの?」

「昨日は、どうだったかな」時計を見た記憶がなかった。「覚えてない」

「そんなに夜更かししたら、そりゃ身体もだるいよ」

 事も無げに軽く笑みをくれるので、こちらも同じようにして応える。

「そうだね。そんな気がしてきた」

「大体のことは思い込みだからなあ。今更、講釈するようなことでもないけどさ」

「うん、結構。ご遠慮しとく」

「口はいつもどおりだ」

 その後下らない話をしている内に、駅に着いた。

 大量の人々が、目の前を通過していく。うっすらと吐き気を覚えたが、口を結んで、飲み込んだ。昨日の自分の存在すら思い出せなくなっていると思うと、これから本格化する受験に、一層の不安を覚える。

 志望する大学に関する些細な会話は、階段を上る群集のざわめきの中では頭抜けることはない。一人とひとりが集まっているだけで、誰もが話し声を出しているわけではないのに、どうして人が集まるとうるさく感じるのだろう。まるで進路の邪魔をするようだ。

 定期券をタッチさせ、後ろから松田も続く。

「終業式だけとか、時間の無駄だよなあ」

「まあ」彼が隣に並ぶのを少しだけ待ってやってから、「面倒は、面倒かもね」

「俺先々が不安だからさ、少しでも多く勉強しておきたいんだよね」

「真面目だね」

「真面目というか、心配性なだけ。予め準備しておけることを、先延ばしにする理由なんて何もないからね。着々と、早々に着手したほうが、良いに決まってる」

「真面目だよ」

「終業式は面倒だけどな」からからとした声音でひとつ笑うと、 「真面目に一途でも、馬鹿は馬鹿だから」

 確かに頷けるようなことを言う。

「要領が悪いと、苦労するよね」

 自分で言って、父と、弟の顔が浮かんだのを誤魔化すように、下ばかりを向いて、あとは黙った。

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