第17話 眠れる未来の使者
……あれから何分たった?
俺は窓の外を見つめたまま、身動きもできないでいた。
やつらは非情にも古泉の能力を見極めた瞬間、ポイ捨てしやがった。
古泉はただ、世界を閉鎖空間の脅威から守る、その一念で戦っていたはずだ。それを利用しやがったんだ。
俺はテーブルの洗いかごをひっつかんで、玄関へ走る。もう問題は始まっているはずだ。
食堂を出ると遠くに玄関の明かりが見えた。閉鎖空間は消滅したんだろう。
エントランスホールに入ると、シャンデリアのまぶしい光が目に入った。
大扉のスクリーンの前に巨大なテーブルがあった。磨き上げられた盤面はどこも滑らかに輝いている。骨董級の華奢な椅子に朝比奈さんが座っていた。そしてその隣に……。
「古泉!」
俺は持ってきた食料品をテーブルに投げるようにおいて、古泉に詰め寄った。
「おまえ、本物か? 何でここにいる?」
戸惑いを見せつつ、古泉は言った。
「このスクリーンの説明を涼宮さんにしたあと、私物をとりにいったん自分の寝室に戻っただけですが」
「そんな馬鹿な! スクリーンを見ろ。もう問題は四つも解いたんだぞ」
「それは涼宮さんが解いたのかと」
「ハルヒ、こいつほんとに古泉か?」
「あんたと一緒に古泉君がキッチンに行ったような気がしたけど、本当は上に行ってたってことでしょ?」
何かが絶対的におかしい。それに……。
「このテーブルはどうした?」
「みくるちゃんと問題を考えてたら、いつのまにかここにあったわ。床で書き物するのもたいへんだったしちょうどいいわ」
古泉の願いを聞き取ったのか。つまりキッチンに俺と古泉がいたのは間違いないわけだ。
ミネラルウォーターの瓶をハルヒの前におくと、礼も言わずにハルヒは瓶をとって一口飲んだ。
銅鑼の音が響き渡った。スクリーンのカウントダウンが始まる。
さっぱり理解できない奇っ怪な記号列と数式が表示されている。
俺は画面に集中しているハルヒに声をかけた。
「解けそうか」
「あたしでもなんとかってレベルだわ」
おまえがだめだってんなら誰が、と言いかけて気が付いた。
朝比奈さんが、元書道部の流麗な筆跡で素早く式を展開している。真っ赤に染まった左手をものともせずに、書き上げた紙を横に置いている。ハルヒに渡して検証させるつもりらしい。
目は紙面から離れず、耳も聞こえていないかのようだ。これはハルヒが何かに集中したときに似ている。
「朝比奈さん?」
「邪魔すんじゃないの。あんたはすわってて。あたしはこの解法が正しいかどうかトレースするのが精一杯よ。古泉君?」
スクリーンを調べていた古泉が言った。
「完全にお手上げです」
「二人でやれば何とかなるわ。一緒に検算するわよ、古泉くん」
「わかりましたが」
と言って古泉はこちらを見た。なにもできんぞ、俺は。
「おまえらでがんばれとしか」
俺たち会話などお構いなしに、パサリとロボットのような反射的な動きで朝比奈さんが紙をこちらによこし、また紙面に戻った。
A3用紙一面に数式がびっしり埋め尽くされている。
あのお茶目な萌え系メイド娘の雰囲気はどこかへ消し飛んでいる。
どこか凛として、少しばかりあの大人の朝比奈さんの雰囲気がする。そりゃ当たり前だ。本人なんだから。禁則解除ってこういうことなのか。
ハルヒは朝比奈さんの解答ペーパーの横にもう一枚テープで紙をつなげた。どうやら脚注やら解説なんかを書いて、古泉と解き進めるつもりなのがわかった。
「古泉君。これはあたしのカンなんだけど、この問題はどうやら時間に関係があるみたい」
とたんに、古泉の目つきがきつくなった。
また、時間旅行熱が再燃したか。なぜこいつはタイムトラベルにこだわるんだ?
俺もテーブルに広げられた紙面を眺めた。何枚かのグラフがあって、X軸の代わりにt軸があって、漸近線が何本か走っている。
古泉は別人のように真剣な表情で数式を睨んでいる。まるで目に焼き付けようとするかのように。
しばらくして、頭を付き合わせてたハルヒと古泉の会話は、一瞬で俺の理解不能な領域へ飛翔して俺は地べたに取り残された。
そしてそれよりずっと理解できない、あるいはしたくない俺のわだかまりのようなもの。
なんだろう。ハルヒと古泉がタッグを組んで進むことに対するイラつきなのか。いつもは萌え要素全開の朝比奈さんが別人のようになったことに対する困惑だろうか。
俺だけが、何も変わらない。
俺だけが誰からも取り残されている。
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