#8
拾った命と愛する未来:現代ドラマ
【パラダイス・ロスト】【二度目のキセキは】【NGシーン】【紋切型】
俺は今でも時々あの時の夢を見る。
冷たい夜の出来事で、雨の夜の出来事だった。
俺はその日一度死んだ。
よく覚えている、自慢の黒いスーツが
その日は寒かった。俺の体が冷えていっているのか、それともただあたりの気温が低いのか、それさえ分からなくなるほどに寒かった。
今でも思う。よくもまぁ俺はあの時に死ななかったものだ。
「あなた、おはよう?」
「あぁ、おはよう……。いつも悪いな」
最愛の妻に俺は毎日こうして起こされる。頬に添えられた妻の掌がひんやりとしていて心地よかった。
あけ放たれたカーテンからは朝の陽ざしが差し込んでいて、いつもいつも、決まりきったように俺は目を細める。
もうコレは習性に近いものだった。
さんと射し込む太陽の光が空気中の埃をキラキラと光らせ、そしてまた俺の妻も輝かせる。
美しい女だ。
あの日。虫の息で
「あぁ、ありがとうな……」
「いいえ、それよりもほら今日も畑仕事ですよ」
俺の妻は本当に美しい女だった。それでいて、高慢なところもなく、俺に何かを隠し立てすることもない。
たった一つだけ、週に一度、小さな作業部屋へと籠る。それを詮索するなと言う、それ以外には本当に何も隠し立てしない。
「あぁ、そうだな。精を出さなくっちゃあな」
「ふふ、そうですよ。今日の朝ご飯は柴漬けと鮭の塩焼きとお味噌汁ですから早く起きてくださいな」
俺は頭を振ってそれから立ち上がり、妻と一緒に飯を食べるための準備を始める。
畑仕事は大変だ。大変だが、作るということはこんなにも心を躍らせてくれる。
俺は知らなかった。あの頃の俺は世界が腐って見えていたし、実際俺の周りの世界は淀んだ掃きだめでしかなかった。
だけど今は違う。
太陽は暖かいし、空気も飯もうまい。畑を耕したり収穫したりは重労働だが、それでも汗水たらしてする仕事は命の充足を与えてくれた気がするんだ。
だから、感謝している。
死に逝くのみだったはずの俺を拾い、手当てをしてここまで生かしてくれた妻には本当に感謝している。
そして、気恥ずかしい話だが――愛してもいる。
日の早いうちから働いて、日が高くなる前に一仕事終える。
ここ数年はずっとそんなサイクルで生活をしていた。時折、山を下りて町のスーパーへと日用品を買いに行ったりもする。
俺は一度社会的にも死んだ人間だから、恥ずかしながら車の運転はすべて妻にまかせっきりだった。
こればかりはどうしようもない。もう一度免許証を取ろうとして生きている足をつけるわけには行かないのだから。
それからまた、数日、そうして過ごした。
本当に生きている充実感を感じているんだ。
愛する人と一緒にこうして生きることができる、そういうことに俺は酷く感謝をしている。
機会を作ってくれたお天道様とそれから、やはり妻に礼を言わなければいけない気がした。
「ねぇあなた……」
「どうした? 珍しいなそんな顔して」
妻が笑っていた。笑うこと自体は珍しくもないが、何より幸福そうな表情を浮かべていた。
そんな顔、行為の最中にだって拝んだことのないものだ。
「実はね、今日少し体がおかしかったから……。車でふもとの病院へと行ってきたの」
「おい、それは……。そういうのは事前に言ってくれよ。俺も付き添うのに……」
「違うのよ。そのね、」
妻の手がゆっくりと腹部へと降りていき、そして優しく愛おしそうに撫でるのだ。
……。
「もしかして……。出来たのか?」
「三か月だって、お医者様が」
三か月……。お医者様……。
その言葉に実感が遅れてやってくるのを俺は待っていた。
目を閉じて一度深呼吸をする。
胸に手を当ててもう一度、深呼吸をする。
腹の内側、下腹部の辺りからじっくりと、じんわりとした熱のような何かがこみ上げてくる。
「そっか……、そっか! 俺の子か! 俺とお前の子か!」
ただただ、うれしかった。
「はい、あなた。私とあなたの子ですよ」
それから俺は今まで以上に畑仕事に精を出した。
これからは二人分じゃない、三人分稼がないといけないのだ。
それに、子供が生まれたら学校にも通わせないといけない。
明るい未来だ――!
そして、未来の明るさに展望を持ってしまった俺は、妻にあることを聞いてしまった。
それは――
「なぁ、ずっと気になっているんだけどさ。毎週小さな部屋で何をやっているんだ?」
「うふふ、あなたそれは聞かない約束でしょう?」
「そうだけど……。ほら、子供も生まれるし……。何か俺に手伝えることでもあれば……!」
「うふふ、うれしいですけど、でもダメですよ。教えてあげられません」
何やら妖艶に笑う妻を見ていると、俺は酷く酷く、醜いことなのだが、好奇心がむくむくと滾ってきてしまった。
だから考えたのだ。妻を怒らせないように、こっそりと、こっそりと覗いてしまおう、と。
画策して、俺はいつも通りに眠りについた。
この夜だけは妻と別に眠る。だから、俺がこっそりと起きていても妻には気が付かれない。
すっかりと人の子が眠りについたであろう時間にしぃしぃと妻が何かを作業するような音を立て始めた。
俺はそれを聞いてからゆっくりと布団から上体を起こして、それからそっと立ち上がる。足音と気配を殺して、そぅと戸を開く。
それからまた家の奥の妻の作業部屋まで抜き足差し足で移動して、うっすらと光の零れるドアの隙間へと目を近づけた。
一体妻は何をしているのかと。
そして俺は息をのむ。いや違う。息を飲まされ、そしてあまりの出来事に右目を抑えて部屋の前で足を滑らせてしまった。
どしん、と音が響く。
「えぇ!? もしかして……。あなた……?」
その声に、俺は気が気じゃなかった。
だって、俺は……。妻の意に反してのぞき見しようとしたのだから。
さぁと戸が開かれて、中には普段とは違う、真っ白い装束をまとった真っ白い女が立っていた。
「はは、ははっ、よう?」
渇いた声で、それだけを吐き出す。息が白く凍っていた。
「見ないでって言ったじゃないですか……」
「わ、悪かったよ……。でもさ、ほらやっぱり子供も生まれるし、夫婦で隠し事なんて、よくないじゃないか?」
何か、とても寒かった。
「んー、そうですね。確かにあなたの言葉にも一理ありますね」
それから妻がゆるりと近寄ってきて、そっと抱き寄せられた。
ぴきりっ、と何かが凍り付くような音が聞こえた気がした。
「私はね、雪女なんですよ。ずぅとずぅと昔にね一週間の内で六日と日中だけ人と過ごせるように呪いを掛けてもらったんです」
――はは、そうなのか、と言おうとしたのだけど妻に抱き寄せられた顔は冷たく上手く動かせなかった。
「それで、私は一週間の中で一晩だけ雪女に戻ってしまうんです。それを見られてしまうと……。その相手を殺さなければならなくなってしまった……」
漸く俺は自分がどんな状況に陥っているのかを理解してきた。
「つまりですね……。せっかく助けた愛するあなたを、私はこの手で殺してしまわないといけなくなっちゃったんですよ。……、あなたのせいですからね」
なるほど、そういうことだったのか……。
それはそれで本望だった。
だけど、子供の顔くらいは拝んでから死んでしまいたかったぜ。二度目の鬼籍よ、こんにちはってやつだな。
もう、声も出せない俺は、だから妻の背中を軽く二回叩いて、それから凍った首をゆくりと
『あ、り、が、と、う。す、ま、ん、な』
ぴしり、という亀裂の入る音がどこから鳴ったのかを確認することは終ぞ叶わなかった。
おしまい、おしまい
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