#2
奏で継ぎ叶える:SF
使用したお題
【オッドアイ】 【スワンソング】 【てのひらの中の楽園】 【かりそめの恋人】
「……、」
花束を抱えたままでぼんやりと墓石を眺める俺は、いつの間にやら傘を取り落としてしまっていたらしい。
今は六月半ばで、つまりは梅雨真っただ中。傘がなければずぶ濡れだ。
滴る雨はひやりと冷たく、だけれど気温はじっとりと湿る。気持ちが悪い、そう思った。
何より自分が気持ちが悪い、そう思った。
「ごほっ、…………、――」
ふらりと揺れた俺の体はいつにも増して震えていた。白衣が水気を吸い込んでズシリと重みを増していくのがわかる。
なぁ、一体これは何なんだ。
俺には俺が良く分からない。
悲しみに暮れているのだと思う。ただ確証がなかった。自分が何をやっているのか、やってきたのか。原動力が何なのか、それさえ俺には分からない。答えが出せない。
だけど、それでも俺はこの一年間で結果を出せた。
丸一年、丸一年掛かった。お前がいなくなってから、結果を出すのに一年掛かったよ……。
手向けの花を建てられた碑石へと供える。
「なぁ、
胸ポケットからタバコの柔らかいパッケージを取り出そうとして、それから思わずため息をついた。
だから、考え直して俺は傘を拾い上げた。
今更、傘を差したところですでにびしょ濡れだ。だけど、こんな傘でもないと雨の中だタバコもおちおち吸えたもんじゃない。
首元で傘を支えて胸ポケットからタバコとライターを取り出して、一本咥える。
「だめだコレ、湿気ってやがる」
どうにも火は付きそうになかった。
ろ十三番地区、三ノ七ノ七ノ九。無尽蔵に増殖した機械の群れに押しつぶされるように建造された人の住まう機械の群れ。その一室が俺のラボであり、自宅でもあった。
人口が爆発的に増えた結果、世界は食糧難に陥った。同時に経済恐慌が起きて競争社会が鈍化し、時を同じくして、俺の恋人の父親、
その結果、世界にとって必要な人間とそうではない人間とが生まれながらにして判別できるようになってしまった。
つまり、増えすぎた人間の選別だ。
それがかれこれ四十年以上も前の話で、俺たちが生まれる前に組み上げられた社会システムの話だ。
家へと帰り着いた俺はまずはびしょ濡れの衣服を脱ぎ捨て、タオルで全身を拭くことにした。
単純に気持ちが悪かった。何より雨にぬれていたなんてセンチメンタルな感情の発露を長いこと認め続けることが
着替えた俺は、ラボへとまっすぐと足を向ける。
生体維持ようの巨大な端末、情報処理用の並列汎用コンピュータ。太い金属ケーブル。
そして、オレンジの液体で満たされた培養槽。
小さなテーブルの上に置き放した前文明的なストレス飲料の空き瓶は片付けるべきだろうか、ただ、それは後回しでいいか。
今大事なのは
名前は『
ずぅと研究していた。無茶な実験が
奏と一緒に過ごした幸せな研究の日々を忘れてしまわないために、そして何より、この成果が上がることが手向けになると、そう信じて。
研究者としての俺は天才民谷博士の娘たる奏に才能の面で大きく水をあけられていた。悔しくもあったが、それでもよかった。俺は奏を愛していたから、だから彼女の成功が自分のことのようにうれしかった。
奏が亡くなったとき、俺は研究を放棄しようと思った。だけど、考え直した。
何年でも、何十年でも、研究を完成させるためにこの命を使うことに決めた。それが俺の幸せだと思った。
だというのに、研究成果はとんとん拍子に開花していった。
まったくもって不本意なことに俺は奏を失ったことで、何かタガのようなものが外れてしまったらしい。
その結果、十年掛かっても成果を得ることができないと思っていた生体クローニング技術をたったの八か月足らずで完成させてしまった。
それから四か月、我が子――それともかりそめの恋人なのかもしれない――を外の世界で生きていける形にまで育てるのに費やした。
その全てが完了するのが、今日なのだ。
今日、奏の
培養槽の開閉ボタンへと指をあてる。震えていた。仕方ないだろう、これでこの子がきちんと生きていれば世界を揺るがすのはまず間違いないのだから。
意を決して、俺は押す。
飾り気のない石畳と機械の群れの上へと培養液が排水され、ゆっくりと少女の体が沈んでいく。
中の水がすべて排出されて、床はびしょびしょだった。
俺はそんなことを気にする余裕もなく、培養槽へと近づいて、前面のガラスを外してた。
「叶、叶っ!」
名前を呼ぶ。
長い栗毛色の髪の少女の名前を呼ぶ。
瞬きが繰り返された。しぃと吐き出す息遣いが聞こえる。あぁ、良かった。成功だ……。
安堵して、俺は奏を抱きしめた。
目を開けた私は瞬きを繰り返していた。
これまで何か思考の渦のように頭の中でのみ存在を許されていた私は、今日という日に初めて命を受けたことを実感したんだ。
初めて見る世界は暗くて、どうしようもなく暗くて、だというのに、精彩に満ち溢れていた。
そして何より暖かかった。
人の体温は暖かかった。だけどすぐに冷たくなってしまった。
私はこの人を知っている、研究者
この一年で、私を完成させるためにそのすべてをなげうって、それどころか、余命さえほぼ全て売り払ったバカな男。
それが、この人だ。
「お父さん」
バカな人を私は抱きしめた。
それから私は冷たくなったお父さんの体をその辺に適当に寝かせて、自分の状態を確かめる。
鏡がほしい。あるといいのだけど……。
ラボの中をうろつきながら考える。お父さんのデータは知ってる、それに照らし合わせれば姿見を望むのは贅沢だろうか。
だけど、
「おかーさん」
ラボから寝室へと移動すれば目的のものを見つけられた。
当然だと思う。お父さんはおかーさんを愛していたから。おかーさんならば姿見くらいは持っていてしかるべきだ。
それから、自分の容姿を確認する。
私の姿はデータにあるおかーさんによく似ていた。
長く、柔らかそうな栗毛色の髪。女性らしくやわらかな体のライン。平均よりもやや小さい身長。すっと伸びた鼻筋。
自分で言うのもなんだけれど、おかーさんに似て魅力的だ。ただ、一か所だけ明らかにおかーさんとは違っている。
それは目、瞳だ。
右目が深いこげ茶色。そして、左目は澄んだ琥珀色。
右目はお父さん似左目はおかーさん似だった。
それから私はクローゼットから服を引っ張り出す。
下着のサイズはやや大きかった。それ以外には不便はなさそうなので、とりあえずブラウスとタイトスカート、それから白衣を身にまとった。
さて、と。私は考える。
お父さんの理論通りの私であるならば、この体は
そう、全ての可能性に合致しない。つまり、必要な人間でもなく、かといって不必要な人間とも判定されない。まるきり宙ぶらりん。
つまり、判定できない新しい人類の可能性、それが私だ。
さてと、それじゃあお祖父ちゃんの遺産に支配されたこの
了
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