ファンタジー世界は学園の中に

@aisubou

第1話 異世界の力は球体の中に

 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。とある作家が定義した三法則の一つだ。例えば百年前の人間が現代にやってきて現代の技術を見たら魔法や妖術、神の業と勘違いするだろうという事。その仮定に間違いはないだろう。だって現代に生きる僕ですら、ボタン一つで明るくなったり、取っ手を捻ると水が沸き、火をおこし、薄い板が別の場所を映しだしたり、離れた人でも会話ができて、風景を切り取り保存して、鉄の塊が地を滑り、海を渡り、空を飛べる現象の事なんて厳密にはわかっちゃいないんだ。

 だからと言って僕の世界に魔法があるという訳ではない。僕の世界にあるのは科学だ。電気があってガスがあってデータがあって物理学がある。だからあれらの現象がおこる。漠然とした理由だけど、だいたいの人はこれぐらいしか理解できてないはずだ。わからないけど、わかる。矛盾は常識で覆い隠されている。魔法は空想上でしか存在しない。

 なら現代人はどんな現象が起きれば魔法だと思うか。例えば、何もない空間から巨大な氷柱を精製したり、浮いた氷柱を触れずに動かしたり、地面から氷柱を隆起させたり、それらを使って化物と戦っていたりしたら、それは間違いなく魔法と思うだろう――訂正、魔法とかそんな事の前に現実を疑う。僕はそうだった。


「あなた誰?なんなの?」


 雪の様な白銀の長い髪を手でなびかせ、蒼い瞳を細めて怪訝そうな面持ちをした彼女は言った。


「つじは、辻葉秀矢つじはしゅうやです」


 すると彼女は、なに言ってんだこいつと言わんばかりの顔で僕を見る。なんだ、何か間違ったか。ふと、彼女の服装が学園の制服である事に気づいた。なるほど、そういうことか。軽く咳払いして再度名乗る。


「一年八組、辻葉秀矢です」

「さっきから何言ってるのよ。少し黙ってて」


 そう言って彼女は尻もちをついた僕と目線が合うように膝を付き、目を合わせた。明るい夜の空みたいな深く澄んだ色をしている。ほんの数秒間、目を見ただけで立ち上がり振り返るとぶつくさ呟きはじめた。

 とりあえずこれは現実、だよな。擦り傷の痛み、体の火照り、高揚感、恐怖感、鼓動の早さ、喉の渇き、これらすべてが現実ではないのだとしたら、目を覚ました時にそこが現実か夢かの区別なんてできない。だけど十七年という短い人生ながらも培ってきた常識や前提が全部上書きされたこの場所にはそれだけ現実感がない。

 まずこの場所、場所というより空間なのかもしれない。テレビの色彩調整を何段階か下げたような新鮮味のない、色褪せた世界とはまさにここの事だ。それに音、空間なのかも知れないと思った理由はここに音というものがないからだ。正確には足音はするし声も響くけど、その他の雑音が一切しない。屋外なのに防音室にでも入っているような感覚はここだけ世界から切り取られた空間に感じる。そして最も信じがたいのが彼女と彼女の手によって消滅した化物の存在だ。

 彼女はなんだ。宇宙人? 超能力者? 魔法使い? そもそも人なのか? 俺を襲ってきた化物はなんだ。UMA? 突然変異? 魔物? それらしいものをいくつ思い浮かべた所で所詮はフィクションと思ってきたもの。どれが正解なんてわかるわけがない。

 そんな事を考えていると彼女がこっちを振り返った。


「何か拾ったでしょ。それを出して、今すぐ」


 彼女の言う何かの見当はすぐについた。このわけのわからない状況になる直前に拾ったものがある。僕はポケットからビー玉みたいな透明な球を取り出し彼女に差し出した。彼女はそれをまじまじと見つめた後、そっと僕の手に返しため息をつく。


「これは必ず持ち歩いて絶対に手放しちゃだめ。それと、どこで拾ったの」

「えっと、さっき下駄箱に落ちていたのを拾い……ました」

「……悪いけど、あなたにはあいつらを誘き出す餌になってもらうから」

「餌?あいつらって、もしかしてさっきの化物のこと!?」

「そう、あいつら。私がなんとかするからそんなに心配しなくても大丈夫よ安心して、きっとたぶん恐らく、全力は尽くす」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 彼女は安心のできない単語をひとしきり口にし、引止める言葉を無視して消えていった。すると、少し冷たい夕風が頬を撫でる。辺りに色と音が戻っていた。


                   ****  ****  ****


「お兄ちゃん!時計の音うるさいよ!ご飯できたから早く起きてー!」


 もう朝か。椅子から立ち上がりベット脇にある目覚まし時計を止め、体を伸ばす。机の上に置いた球体を眺めていたら一晩明けてしまっていた。パソコンで調べてみたものの、見た目はどうみてもビー玉だ。昨日見た光景も同様、どう検索したらいいのか悩んだ。神隠し、オーパーツ、都市伝説、どれもしっくりくるものじゃなかった。

 それにあの女の子、学園の制服を着てた。誰なんだ。白銀ロングの蒼眼の女の子なんて見たことも聞いたこともない。でも、なんか見覚えある顔だった気もする。

 そんな事より彼女が言ってた事だ。誘い出す餌、これを狙ってるって事なのか。なら捨てちゃえば、いやでも確か絶対に手放しちゃ駄目とか言っていたような。


「お兄ちゃん!起きてるの!?」

「起きてるー!」


 妹の催促で手早く制服に着替え、球体をポケットに入れて部屋を出た。


「おはよお兄ちゃん。遅いよって寝てないの?」

「おはよ、ちょっと寝不足なだけだよ」

「大丈夫?」

「大丈夫大丈夫」


 辻葉陽楽つじはひいら、僕より二つ下の中学三年。身内贔屓じゃなくしっかりした妹だ。ちょっとした事で心配してくれる妹というのは兄としては嬉しい事だけど、たまにそれが過ぎる事がある。


「今日の夕飯はお兄ちゃんが当番だからね」

「わかってるって」

「冷蔵庫の中何もないから一週間分の買い物しなきゃいけないんだからね」

「そういえばそうだっけ。学校終わったら連絡するよ」

「そういえばお母さんとお父さんから手紙きてたよ」

「今はどこにいるって?」

「シェフチェンコ島って所にいるんだって」

「どこだよ……」


 父さんと母さんは学者で研究者だ。研究者と言っても研究室に篭るタイプじゃなく自分たちで現地まで行って調査する方。だから基本的に家を留守にしている。定期的に手紙が送られてくるからたぶん二人共元気なんだろう。


「それじゃ、お兄ちゃん後でね。ちゃんと連絡ちょうだいね」

「わかってるよ」


 家の前で陽楽と別れて学校へ向かう途中、ポケットが妙に熱くなった。球体が熱を発していたんだ。ほのかに点滅しながら輝く球体は何かを知らせているように感じる。


「こ、これどうしたらいいんだ。なんかやばい気がする!」


 カメラのフラッシュでもたいたかのように球体が輝くと後ろから突風が突き抜ける。その時僕の耳に入ってきたのは強い風音の中に混ざった獣のような唸り声。一瞬でもはっきり聞こえた。余韻を残さず吹き抜けた風は辺りのものを撒き散らし、去っていく。


「危ない!」


 自分に影がさしているのに気づき、振り向く。看板が落ちてきていた。息をのむ、思考の停止、体が動かない。

 死んだと思った。正確には死んだと思う前に死んでいたと思う。でも死んだと思えているのは、僕が生きているからだ。救ってくれたのは同じく突風。落ちてくる看板は押し出され頭上を過ぎ、ちょうど真後ろに落下した。落下音で周りにいた人たちが集まり輪を作っていく。

 握り締めた拳の中にある球体の点滅と熱は、気づけば静まっていた。

 突風によって看板が落ちた事故、あれはそういう事になったらしい。普通はそうとしか見えないよな。でもあの風はただの風じゃなかった。きっと昨日の事と関係している。彼女の思惑通り、何かが僕に誘い出されてきているんだ。

 鳥肌が立った。さっきなんて死ぬかもしれなかったんだぞ。あれが続くってのか、冗談だろ。次は何が起きるってんだ――。


「難しい顔してどうした?」

「……福士か。ちょっとな」


 話しかけてきたのは幼馴染の月野福士つきのふくし、でかい体格と顔つきからよく人に怖がられたりしてるけど道行くおばあさんを助ける程度には優しい男だ。


「ちょっと、なんだよ」

「うー、うん。まぁ、ちょっと」

「無駄に含みを持たせないでさっさと言え」


 実は昨日、異空間的な場所で化物に襲われているところを魔法使いみたいな美少女に助けられたものの、誘き出す餌にされて、それが原因でさっき死にかけた。なんて言えないよな。言っても信じないだろうし。


「いや、別にたいした事じゃないから気にするな」

「えー、なになに?何の話?」


 高い位置で結った長いポニーテールを引っさげ、福士とは反対側から僕の顔をのぞきこんできたのは馬保志千うまほしせん、もう一人の幼馴染。昔は恥かしがりやでなかなか可愛げがあったはずなのにいつの間にか元気溢れる生意気女子高生だ。

 二人の追及をはぐらかしているとチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。


「お前ら席つけー、先に連絡事項を伝える。今日はやけに風が強い。枝が飛んだりしてるから外を歩くときは十分に気をつけるように」


 ほとんどの生徒は隣同士で話したり、宿題を写したり、机に伏せて寝ていたりと先生の話に耳を傾けていない。先生さえもすでに教科書を開いて授業の準備に入ろうとしていた。気にしているのは僕だけ。

 強風、どうしたって朝のことを関連付けてしまう。僕を追いかけてきた? まさかね、まさかとは思うけど校舎からあまり出ないようにしておこう。あっ、そういえば今日の体育は外だったような――保健室にでも行ってさぼるか。

 数時間経っても相変わらず風が強いらしく、窓を打ち付ける音と隙間風の音が絶えない。そんな中グラウンドで行われる体育の授業を保健室から眺めていた。今日の授業は野球らしい。あんな強風の中でまともに投げたり打ったりできるのか。そんな事を考えながらベットに寝転んでスマホの画面をスライドさせた。

 僕の通う浜尻学園には独自SNSがある。全生徒数約三千人、一学年千人、一クラス百人、それが十クラスに分かれるという規模では、3年間で一言も喋らないどころか顔すら見たことがない人すら出てくる。それを解消するためにつくられたものだ。これが意外にもしっかりと作られていて、生徒一人一人にアカウントがあり、学年、クラス、部活ごとの掲示板はもちろんコミュニティも作成が可能。部活の連絡事項や新入生への勧誘告知、体育祭や文化祭などの学校行事にも使われるものらしい。掲示板への書き込みは匿名性だけど、運営が学園なだけあって好き勝手な発言をするやつもほとんどいない。問題があるとすれば、今みたいな授業中の時間でも掲示板には書き込みがあるということだ。

 雑多な話題の中、気になる書き込みが目についた。


『今日さ、風強いけど、風が通り過ぎた時なんか聞こえない?』


『なんのこっちゃ』

『なに言ってんの?』

『気のせいだろ』

『今日は……風が騒がしいな……』

『でも少し……この風、泣いています……』

『野球部の結城さん、強風関係なく剛速球でやばい』


 誰にも気にされることなくその書き込みは流れていく。すぐに画面を引き戻し、掲示板に書き込む。


『僕も聞きました。獣の呻き声みたいでした』


 書き込みが遅かったのか、そもそもただの冗談だったのか、返答はなかった。もしかしたら僕と同じような事がおきてる人がいるかも、なんて思ったけどあんな事がそこかしこで起きてるわけないよな。

 他にも似たような書き込みがないか探したものの見つからなかった。そんな事をしている間に授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 教室に戻ろうとベットから降りたときドアが開く。


「失礼します」


 見覚えのある顔だった。黒熊賢治くろくまけんじ、生徒会長だ。その明晰な頭脳は学園創立以来五本の指に入るとか入らないとか。頭だけじゃなくて運動もそこそこできるとかできないとか。何か行事があれば先頭に立ち的確な指示を出すとか出さないとか。要はなんでもできちゃう天才。学園で屈指の有名人だ。


「ちょっと君、いいかい」

「はっ、はい」

「先生がどこに行ったか知らないかな」

「職員室に行くって言ってました。あっ、でも出て行ったのは前の授業が始まってすぐなんで、もしかしたらもうすぐ戻ってくるかもしれません」

「そうか……わかった。ありがとう」


 会長はそう言うと、軽く頭を下げて保健室から出て行った。

 それからも極力外には出ないよう心がけていたおかげなのか何事もなく一日は過ぎ、放課後。外の強風はいつの間にか止んでいたらしい。家に帰るにはどうしても外に出なくちゃいけない。強風が止んでいると聞いて少しホッとしていた。


「福士帰ろうぜ」

「悪い、今日はちょっと用がある」

「あーんー、じゃぁ待ってるよ」

「すぐ終わるもんじゃなから先に帰れよ」

「あーそう? んー、うん、また明日」

「どうしたんだよ……まぁ、いいやまたな」


 別に一人で帰るのが心細いとかそういうわけじゃない。そういうわけじゃないけど、一応さ、一人で行動するのは危ないかなと思っただけであって、決して朝の事でびびってる訳じゃない。一人でも余裕で帰れる。風だってもう止んでるし――誰に言い訳してるんだか。

 さっさと帰ろう。そう思って教室を出た瞬間に誰かとぶつかって教室に押し戻された。


「いてて……すみませ、ん?」


 謝ろうと顔をあげると誰もいなかった。廊下にも人影なし。


「くっ、逃げたな」


 気を取り直して教室を出て下駄箱まで降りてきたところで気づいた。


「スマホが、ない。はぁ、さっき教室で落としたかな」


 学園は放課後でも部活やら同好会の活動で残っている生徒が多い。自主性を重んず、なんて校風からか部活や同好会の開設条件が緩い。養魚同好会、音響同好会、一日限定クリスマスイ部なんてものもあるらしい。自主性を重んじるにも程がある。だけど一見何をしているかわからない様な名称であろうと存在しているということは、活動実績がなければ即廃部の校則をクリアしているという事だ。そんな部活だらけだからこそなのか、学園は放課後の方が騒がしい、もとい活気づく。


「あぁ、やっぱり落としてたか」


 スマホは教室にあった。拾い上げてポケットにしまい、再び教室を出る。

 その時感じた感覚は不思議なものだった。教室を出たはずなのに、どこかに入ってしまったような感覚。なんとも言えない違和感。咄嗟に辺りを見渡した時にはもう、あの色褪せた世界が広がっていた。

 教室という教室を開けて人を探した。もちろん誰もいない。だけど不思議な事に例の化物の姿も見えない。透明な球も反応がない。

 何をしたらいいかわからず窓から外を見ているとコツン、と足音。振り返ると頭から足の先まですっぽりと黒いマントに覆われたやつが立っていた。


「だ、誰」


 聞いたものの答えは聞きたくなかった。こいつはやばい。直感が体を反転させ逃げ出そうとした。一歩目を踏み出そうとして足が止まる。後ろには異常に発達した牙と爪をした黒い狼が二匹唸り声を上げながら道を塞いでいた。


「逃がさねぇよ」


 いつの間にか背後間で近づいていた黒マントの手が僕に触れようとした時、静電気を何倍にもしたような電撃がバチッと音を立ててそれを拒んだ。さっきまで何も反応のなかったはずのに球体が手の中で熱を帯びていた。


「んだよそれ聞いてねぇぞ。ちっ、行け、お前ら」


 そう言うと狼達が僕に向かって走り出す。


「そこまでよ」


 冷やりとした空気がたち込め、僕の足元から氷柱が飛び出した。二匹の狼は貫かれガラスが散る様に光の欠片になって砕け、黒マントは後ろに飛び退けた。コツコツと少し早い足音が僕を通り過ぎ、あの白銀の髪をなびかせ、黒マントとは対照的な白装束姿の彼女が現れた。


「あぁ、お前があれか。あの人が言ってた邪魔するやつって」

「言っても無駄でしょうけど言っておくわよ。その力を使うのを今すぐ止めなさい。取り返しがつかなくなる前に」

「はぁ?絶対やだね。これのすごさ知ってんだろ。今までできなかったことができるようになる!したかった事ができる!それを使うの止めるわけねぇだろうが!」

「そう言うと思った。よかった、無抵抗な相手に怪我させたくなかったから」

「なに言ってんだ?」

「そのままの意味よ」


 彼女が指を鳴らした瞬間、床から氷柱が飛び出し黒マントの体を突き刺した、様に見えた。


「効かねぇな!」


 そう言って氷柱の刺さったマントを千切り脱ぎ、そのまま振り上げた腕を振り下ろして素手で氷柱を叩き割る。

 嘘だろ、あれを叩き割るのか。氷柱の太さはそこらの屋根にぶら下がってるようなものじゃない。床に近い部分なんて腕をまわしても足りなそうだ。先端だけを見れば鋭利で細い、それにしたって普通より何倍も太い。そんなものを素手で簡単に叩き割る――人間業じゃない。


剣闘士グラディエーター

「あん?お前も見ただけわかるタイプか」


 マントの下は盛り上がった筋肉と引き締まった身体の体格のいい男。頭、胸、脚につけられた最低限の防具。僕の知る剣闘士のイメージとぴったりだった。

 彼女の攻撃を防いでひび割れた胸の防具をはずした男は拳を握って構えてから指先で手招いて挑発した。


「いくらでもこいよ」


 彼女が指を鳴らす。すると彼女の周りにペットボトルぐらいの大きさの氷柱が次々とできていった。二度目の指を鳴らした時、出来上がったそれらは一斉に男に向かって飛び出す。

 男も、ふっ、と強く一息吐くと迫りくる氷柱を叩き割り、蹴り壊し、突き砕いていく。

 僕はというとそんな光景を彼女の後ろから、半ば興奮気味に眺めていた。

 男の足元一面に砕かれた氷が広がって少し積もり始めた頃、彼女は攻撃を止めた。


「もう終わりか?手ごたえねぇな」

「えぇ、もう終わり。いえ、終わってるわ」

「なに言って、んだ……」


 異変に気づいた男は足元に視線を落とした。散っていた氷が男の下に集まり、足元から徐々に凍り始めていた。


「こんなもんがなんだ!」


 男は凍りつく自分の脚を叩いた。しかし氷は変わらず男の身体を凍らせていく。


「なっ、なんで壊れねぇ!」

「あなたじゃそれはもう壊せない。言ったでしょ、終わってるの」

「くそっ、くそっ!くそった……」


 悲痛な叫びと一緒に凍りつき、氷像となった男は砕けて散った。だけど砕け散った氷にはどういう訳か人が倒れていた。しかもその人は見たことがある。確か空手部の主将だ。


「あの、あの人は……」

「時期に目を覚ます。怪我、はしてないみたいね。ありがとう助かったわ」


 僕に怪我がないことを横目で確認して去ろうとする彼女の袖を思わず掴んだ。


「待って!」

「あっ、ちょっと何掴んで……」


 その瞬間、世界に色と音が戻る。

 僕が掴んでいたはずの白装束は見知った学園の制服に、白銀ロングの蒼眼の彼女は、肩まで伸びた黒髪おさげの眼鏡少女に変わっていた。


                   ****  ****  ****


 法塚舞ほうつかまい、学年内ではそこそこ名の知れてる生徒だ。テストの際張り出される学年順位は常にトップ十入り、運動面も並み以上、おさげや眼鏡のせいで芋くさく見られがちだけど整った顔立ち、そして何より評価を高めてるのが、あれだ。


「大丈夫ですか?手伝いますよ」


 困ってる人がいれば手を差し伸べ助ける慈愛と救世の心。一部の男が天使とか女神とか読んでいるらしいけどあながち間違っていないと思う。

 そんな彼女があの白銀ロングの蒼眼の女の子だった。

 袖を掴んで彼女の正体を見てしまった時はすぐに僕の手を振り払って走り去っていった。その後の音沙汰もなく今日を迎えている。倒れていた空手部主将も普通に登校しているようだ。

 このまま何事もなくいつも通りの日常に戻るのかな、なんて思っていたのが昼。


「辻葉君」


 そんな事はなかったとわかったのが放課後の今だ。帰ろうとした所を校門前で法塚に呼び止められた。


「どうしたの」

「ちょっと今日付き合ってもらえる?」


 声は穏やか、でも拒否権はないと目がうったえていた。

 そんなこんなで法塚と一緒に下校中な訳だけど、行き先は伝えられていない。僕は半歩後ろをただただ付いていっている。一体にどこに向かっているんだろうか。


「こっち側あんまり通らないからなんか新鮮だなー、なんて」


 はい無視。あれ、なんか学校とキャラ違くない? いや今のは独り言としてとらえられてもしかたない内容だった。次はちゃんと問いかけで話しかけよう。


「法塚、これってさどこ向かってるの。まさか法塚の家とかー」

「着いた」

「えっもう、早っ」


 そこは学校から五分ちょっと歩いた場所にあったアパートだった。法塚は鍵を取り出し玄関を開けて、どうぞ、と招いた。


「お、お邪魔します」


 部屋の中は質素、というより物がほとんどなかった。流し台には最低限の調理器具、三畳の和室にはちゃぶ台と布団のみ。襖で仕切られてもう一部屋あるものの、外観から考えてこっちと似たような間取りだろう。


「着替えるから、少し待ってて」


 そう言って法塚は襖を閉めた。

 まさか本当に家に来ることになるとは思わなかった。やばい、なんか変に緊張してきたぞ。よくよく考えれば女の子の部屋に入るなんてのは始めてだ。厳密に言えば千の部屋で経験済みだけど、あれはうん、ノーカンだ。質素で簡素で女の子らしいものは一つたりともないけれど、この部屋のこの空間の空気は紛れもなく女の子だ。女の子ってなんでこんなにいい香りがするんだろうか。

 そんな事を考えていた時だった。襖の向こうからパサッと布が床に落ちる音が聞こえた。

 法塚はこの厚さ二センチ程度の襖の向こうで着替えている。覗き、なんて真似は僕はしない。しないが、極限まで近づいて音を聴きながら妄想するのはなんの犯罪性もないし健全な高校生男子として間違っているでしょうか!?

 しかし本能とはなんと恐ろしいものか。僕の意思とは関係なくすでに左手が襖に手を掛けていた。それをすかさず静止する右手。左手と右手、本能と理性の攻防が続いた。


「くっ、静まれ俺の左腕」

「なにやってるの」

「あっ……」


 軽蔑した目っていうのを始めてみた。なかなか傷つくものの、悪くない。


「まず、なんの用件かはわかってるよね?」

「昨日の空手部主将の事とか、この前助けてくれた事だよね」

「そう、その事、その事なんだけど……」

「なに?」

「初めて助けた時も昨日も思っていたけど辻葉君、あなたどうしてそんなに冷静なの」

「そ、そうかな?」

「えぇ、この世界じゃあなたが体験した事はありえない事のはずよ。普通だったらもっと困惑するとか、怯えるとか、怖がったりすると思うのだけど」

「そんな事ないよ。正直かなりビビッてた。昨日の朝なんて一回死にかけたし」

「そういえばあの時だけはそうだったわね」

「もしかして見てたの」

「見てたというより助けたのは私よ。看板が落ちる原因の一度目の風は魔物、二度目の看板をずらしたのが私」

「そうだったんだ、ありがとう。ところで今魔物って言ったよね?魔物って事は僕を最初に襲ったあの小さいやつって」

「ゴブリンよ」

「じゃ、じゃぁさ!昨日の狼みたいのは」

「ワーウルフね」

「へっ、へーそうなんだ」

「辻葉君?顔がすごく緩んでるけど……」

「うそっ、ごめんごめん。僕の事はどうでもいいからさ、本題をどうぞ」

「そうね、そうしましょうか。まず、私はこの世界の人間じゃない。要は異世界人なの」


 異世界人――駄目だ我慢しろ。


「この世界に来た目的は勇者探し」


 勇者――我慢、我慢。今は大事な話をしているんだ。


「詳しい話は後でするとして、まず辻葉君にお願いしなきゃいけないことがあるの」


 あれ? こって、もしかして。嘘だろ、いやでもそれ以外もうありえないだろ


「私に協力して。一緒に魔物と戦ってください」

「はい!こちらこそお願いします!!」


 これからある長い人生を含めても類をみないだろういい返事をした。完全に不意をつかれた法塚は少し引き気味にぼう然としていた。


「い、いいの?そんなあっさり返事しちゃって」

「いいよ、いいです、むしろお願いします!」

「ふっふふ、何それ変なの」


 無邪気な笑み、それは学園で法塚が人に見せる笑顔とはまったく異なるものだった。それがあまりにも殻いくて、だから僕は、少しそれに見惚れた。


「顔に何かついてる?」

「あっ、いや、なんでもない」

「そう。まぁ、辻葉君がそこまで快く引き受けてくれるっていうなら、気が変わる前にすることしちゃいましょう」

「することって?」

「今からあの魔物達と戦う力をあなたにあげる。あげるって言ってももうあなたは持ってるんだけどね」

「もしかして、これ?」


 あの透明な球を見せると法塚は頷いた。


「ちゃんと持っててくれてよかった。じゃないとあの世界であなたを見つけられないから」

「そうだったんだ。それで、これをどうしたらいいの?」

「ただ、求めればいいの。今ならきっと、それだけで大丈夫」

「求める……」


 求めよさらば与えられんってことね。やっぱりこういうのは漠然とするより何か決意、みたいなものをするのがお約束だよな。だけど困った。まだ何も教えてもらってないから決意なんてしようがないぞ。でもこんな絶好の機会を流れで終わらせるのは、惜しい。


「どうしたの?」


 不思議そうに法塚が僕の顔を覗く。よしっ、決めた。


『法塚の目的を手助けできて、さいごまで見届けられる様な力が欲しい』


 すると球体は光を放ち、僕の全身を包み込む。心地いい暖かさ、自然と身を委ねたくなる光だ。それからどれだけ時間が経ったかわからないけど、頭の中が空っぽになったんじゃないかと思い始めた時、文字が浮かぶ。


――<   >職業ジョブ変化――<弓兵アーチャー>


 気づけば全身を包んでいた光は消え、持っていた球体も無くなっていた。


「僕、どれぐらいこうしてた?」

「十秒経ってないぐらいかしらね。ものすごく時間が経った感じがするのは気のせいじゃないわよ。あなた本当にそれだけの時間を体感してる」

「どういう事?」

「さっきまであなたはここにいたけど、ここにはいなかった。さっきまでのあなたと今のあなたは同じ身体だけど違う身体。まぁ、深く考えなくていいわ。とにかく今、あなたには私の世界と同じ力が備わった」

「そう言われても別に変わった感じしないけどなぁ」

「すぐにわかるわよ。それじゃまず、私の世界の事から話ましょうか」《ルビを入力…》

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