流星千年暦
橘 泉弥
流星千年暦
僕は銀色の砂漠を歩いていた。頭上に広がる濃紺の空にはたくさんの星が瞬き、大きな月が銀の海を煌めかせる。聴こえてくるのは、星の欠片が降る鈴のような音と、足元でサラサラと零れる砂の音と、自分の息遣いだけ。時々空を見上げながら、前へ前へと足を進める。
「痛い!」
突然、固い感触と同時に声がした。
足元を見ると、黒蠍が鋏を一つ振り上げている。
「よくも俺の手を踏んだな!」
「手?」
どうやら僕がもう片方の鋏を踏みつけてしまったらしい。それは見るも無残に潰れていた。
「ごめんよ」
「謝ったって遅い! 刺してやる!」
そして蠍は僕の足を刺し、満足そうに鋏を下ろした。
「俺の毒は強力だ。夜が明けたらお前は死ぬ」
僕は驚いて蠍に顔を近付ける。
「死ぬって、どういう事だい?」
「そのままさ」
「僕は鋏を踏んだだけだろ。悪かったとは思うけど、これは酷すぎる」
「うるさい! 鋏を潰された蠍だって死ぬんだぞ」
そう言われると、返す言葉が無かった。
僕は死ぬのか。
実感が湧かないまま、とりあえずまた歩きだす。
「死ぬまで一緒に居てやるよ」
蠍は僕について来た。黒曜石の身体に星空を映しながら、潰れた鋏を引きずって僕の隣を歩く。
「何処に行くんだ?」
蠍が言った。
「旧友に会いに行くのさ」
僕は答えた。
何年か並んで歩いていると、蠍の歩みが少しずつ遅くなっていった。長い尾を引きずり、どこか苦しそうだ。僕は歩調を合わせてゆっくり歩いていたが、やがて蠍は足を止めた。
「俺はもう死ぬ」
そっと手のひらを差し出すと、蠍はのろのろ這い上がってきた。僕を見上げ、軽く一つだけの鋏を振る。
「俺は、酷い奴だろうか」
「いや。今でも別に、君のことを怒ってはいないんだ」
「そうか」
蠍は安心したように鋏を下ろし、動かなくなった。何も映さない背中を撫でていると、彼は銀の砂になって、手から零れ落ちてしまった。
ああ。死ぬって、こういう事か。
僕はまた、広い砂漠で一人になった。
それから何十年か歩き続けると、オアシスに着いた。エメラルド色の湖の周りに数本のナツメヤシがある。
「待たせたね」
湖の底に大きな骨が沈んでいた。細長い頭蓋やいくつもの肋骨は、それ一つでも僕より大きい。間違いなく彼の物だ。時間の存在など忘れたように、純白のまま揺れている。
僕は砂に埋もれていた真珠貝を拾い、また歩き始める。どうすれば彼に会えるのかは分かっていた。
砂漠に落ちた星の欠片をそっと貝ですくい上げ、湖に入れる。欠片は金色に輝きながら、骨の上へ落ちた。
時を司る彼が目覚めれば夜が明ける。そしてその時、僕はあの蠍のように、砂になって死ぬのだろう。
でも、どうしても彼に会いたかった。
欠片を探して貝に集め、湖に注ぐ。それを何百年繰り返しただろう。砂漠中を歩き、金の宝石を集めた。夜空ではいくつもの星が生まれ、いくつもの星が消えていった。
そして湖が月光色に輝きだした時、彼はゆっくりと身を起こした。
「会いに来たよ」
僕は親友の顔を見上げる。
「ずいぶん永い間、待っていた気がする」
金色のドラゴンは、懐かしい声で言った。
「寂しかったかい?」
「いや。君が来てくれると知っていたから」
僕は一人ではなくなった。二人並んで、美しい銀の砂海を眺めた。
やがて紺碧の空が白み始め、星が消えていく。朝が近付いているのだ。
地平線から昇る紅を見て、彼は銀河色の眼を細めた。
「夜明けだね」
「ああ。夜明けだ」
燃えるような太陽が、千年続いた夜の終わりを告げていた。
流星千年暦 橘 泉弥 @bluespring
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます