第7話 魔法が解ける
薄っすらと、細い三日月が嘲笑うように浮かんでいる。街灯は広い間隔で申し訳程度に淡い光を明滅させている。そのせいか人通りもなかった。
「いやぁ、本当に驚いたよ。まさか本当に二人でやらされるなんてね。普通は支援員なんかがいるものだけど」
定時連絡用の携帯電話から『病蜘蛛』の明るい声が届く。
「だからお前が居るんだろ」
「あはは、期待してくれるのかな? うれしいなぁ、張り切っちゃおうかな」
そして、彼女からは時折、歪な子供らしさを感じさせる。もしかすると、
「あまり、派手なことは……」
釘を刺そうとした言葉が止まる。通話状態を保ったまま、携帯電話をポケットに押し込んだ。それは、あまりに異質な存在だった。一目見てそうだとわかる。人間と化け物の境界を生きる
「『
警告も、確認も一切なく、不破は能力を行使した。ポケットから携帯電話と入れ替えるように抜き放った小振りなナイフを、左手に突き刺す。傷口からあふれた血液は、彼の願いに呼応して、
「夜のあいさつはコンバンワ、だ。知っているでしょ?」
血の雨が終わる。漂う鉄錆の匂いと腐臭。三日月よりなお鋭く嗤う影。
「今、ここで死ね。それが世の為人の為だ。知っているだろう?」
油断なく間合いを詰める。ザリザリと靴底が鳴る。何をやって無事だったかはわからないが、遠くからやってだめなら近づいてみる他ない。薄い微かな月明かりが、彼、あるいは彼女―『
「化け物が、人の世を語るんじゃないよ! 人の心を持てない化け物のくせして!」
激しく、深い怨嗟の声。それと共に、『
「俺たちは、お前らとは違う」
左手の傷に指を押し込んで、さらに開く。風が肌に触れた瞬間、ひりつくような痛みを感じた。恐らくは腐食速度はさして早くはない。弾幕を防いだのは別の何かのはず。
「それは、こっちの、台詞なんだよ!」
『
「ぐ、げほっ、厄介、な」
避けることは容易だった。しかし、腐った空気まではそうはいかない。体が拒絶し、強制的に吐き出される。傷口から湧き出る血を操作する。
「どうしたよ、殺すんだろ! やってみろよ、やってみせろよ、お前らが責任取ってさぁッ」
このまま普通にやりあえば先に息切れを起こすのは不破の方だ。特殊な造血剤も、副次効果で高まっている造血能力にしろ、限界はある。だが、ここで引く選択はあり得ない。
「死にたいのなら、死ぬまで殺してやるよ。今、ここで」
撒き散らされた血液をかき集める。一度使った血液も消滅しない限りは操ることはできる。いくら腐食させようがそれは消えたわけではない。圧縮された血液が、『破滅の
「く、はははっ、やって、くれるなぁ! ちょうどいい、丁度いいよ!」
血液の爆発を受けても、大したダメージを受けた様子はない。パーカーは擦り切れ、フードが外れている。幼い顔立ちの少年だった。その右目だけが爛々と紫水晶のように怪しい光を放っている。
「よっと、おまたせ」
「遅かったな」
『病蜘蛛』が屋根から飛び降りる。軽口をたたいたものの、想定よりはずっと早い。
「やっぱり、僕はついてないな。けれど、僕と出会った不運は、その上なのさ。ねぇ? 君もそう思うだろ」
「ひっ、な、なに? なんなのこれっ!?」
後方からの声に、意識の全てが持っていかれた。封鎖するだけの人員はいなかったが、『病蜘蛛』の糸で最低限、一般人が迷い込まないようにはされているはずだった。
「あぁ、呪わしい。人間め、幸せな人間め、呪われろ、呪われて、死ね」
黒い破滅色の手が伸びる。差し伸べられた手を引きずり込むために。体が反応する。迷いは、ない。
「ぐっ、……」
声をかみ殺す。強引に割って入った不破に、黒い手が纏わりつく。救いを求める亡者のように。焼けるような痛み。
「チッ、なにやってんだ、不破ァ!」
『病蜘蛛』の糸が不破を引き寄せる。
「後ろ向いて、走れ! 行け! 忘れろ!」
『病蜘蛛』の荒げた声に、少女が身をすくませる。それがよくなかった。運が、悪かった。正しく、呪われているというタイミングで、街灯がへし折れた。半ばから腐ったそれは、少女を貫いた。標本でも作るように、地面に貼り付けにした。
「手、前ッ……」
白光が落ちる。踏み出そうとした不破の足元が抉れ、体ごと吹き飛ばす。
「余計な真似を。……まぁいいさ、約束は約束だからね」
「逃がすとッ……」
踵を返す敵を追うために動いた足が躊躇いを帯びる。脳裏に焼き付いたすべてを失った日がそうさせる。次は、次こそうまくやると、そう、誓った筈なのに。
「迷うな、決めろ!」
背中を押されたのだと思った。そう感じた。少女のもとへ駆け寄る。『病蜘蛛』はしばらくあたりを見回していたが、舌打ちを一つして、不破の傍にやってきた。
「張っていた糸が全部やられた。失態だ、目先に集中しすぎた」
少女に意識はない。だがまだ生きている。長くは、ないだろうが。片膝をつき、符座がりかけた左手の傷口を抉る。
「俺の血液を混ぜてしまえば、他人の血液でも多少は操作できる。それで、無理矢理にでも血液を循環させる。処置を、頼めるか?」
「ああ、君はO型だったっけ。でも血液を介して『果実』が伝染するケースもあるらしいけど」
迷いがないといえばウソでしかない。けれど、決めてしまったのだ。
「恨まれても、間違いでも、身勝手でもいい。目の前の命を諦めるのは、嫌なんだ」
「それならいいさ、他ならぬ君の頼みだものね」
断られると思っていた。彼女から気遣うような言葉が出るというのも少し意外だった。けれど、今は厚意に甘えよう。罪が落ちる。血より朱い罪が。その有様を月だけが目をそらさずに見つめていた。闇夜に於いて、三日月は全てを
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