第5話 足踏み

 「病院か」


 タクシーが停まる。所謂、総合病院というやつだろうか、立派な真新しい建物だった。そこを取り囲むように木々や花々が植えられた公園のようなスペースがあり、外周は塀で覆われている。門に『空割病院』と示されていなければ、研究所か何かに見えたかもしれない。


「ま、研究所なんてらしいものは目立つしねぇ」


 リングにつながれた糸を切って、『病蜘蛛』はタクシーから飛び降りた。妙に愛想のいい笑顔で、料金を手渡すと運転手は居眠りから覚めたように、状況がつかめないといった表情でいた。けれど、結局は気にしないことにしたのか、はたまた気が付かなかったのか、普段の業務に戻っていった。日常の人間は、容易く日常へ帰ってゆけるものなのだ。


「というか、こっちで活動してる割に何も知らないんだね」


「同業者にはあまり興味がないな。そもそも、七人神楽は一度壊滅したと記憶しているが」


 七人神楽、かつては組合ギルドでたった七人で戦力の一角として数えられたチームだった。しかし、新天地デイ・ブレイク事件の対処にあたった折に六人が死亡したと聞かされている。そして、その一人は無限虚数なかぎりうろかずという名前でもなかったはずだ。


「確かにね。でも彼らは甦ったのさ。ふふ、まぁそこら辺は興味がわいたときにでも調べてよ」


 ニヤニヤと、なんでも知っているとでも言いたげな表情のままに門の傍に置かれた小屋に入っていった。慌てて追いかける。


「おい、どうするつもりだ? 相手はそれなりの立場の人間だぞ?」


「見てなよ。ねぇ、君。無限虚数なかぎりうろかずって奴、呼んでよ」


 『病蜘蛛』は日誌を書いていた守衛の肩をつかんで、満面の笑みを浮かべた。



「主任からは面会者があるとは聞いておりませんが、所属を聞かせて……」


「呼べっつったろ。もういいよ」


 躊躇いなく、タメもなく、全くの自然体から、当然の権利のように、呼吸をするように、彼の顔を全力で殴りぬいた。悲鳴さえ上がらなかった。血を撒き散らせて、床に倒れ伏した。


「なんだよ、七人神楽。もうちょっと出来ると思ったのにさぁ」


 不満げに呟いて、手についた血を払った。ついでとばかりに倒れている男性の腹部をえぐるように蹴り込んだ。空気が押し上げられ、口から洩れるような声が飛び出す。


「……っ」


 言葉にならない何かが漏れた。同じだ。あの人と同じで、それが常識であるように、力尽くで、正義を執行してしまう。


「あ、これだな。はぁーい、『身喰らう蛇ウロボロス』、正門の守衛んとこいるからさぁ、迎えに来てよ、あ? 迎えに来させろよじゃぁ」


 男のポケットから奪った無線で高圧的な調子で話している。所在なさげに不破は室内に視線を這わせる。別段、転がっている男に思うところはなかった。ここが組合ギルドの息がかかった施設だというなら、末端だろうが警備についている人間もまた関係者なのだろうから。たとえ違ったところでも、この程度なら不幸な事故程度だ。


「直ぐ来るってさ」


「全く、我々は人員不足なのだよ? それこそ君たちのような小規模のチームに助けを乞うほどにね」


 唐突に現れた、としか言いようがなかった。確かに注視していたわけではないが、しかし白衣の男が倒れた男の傍でしゃがみ込むまで気が付けない筈がない。視線を送ると、病蜘蛛も白衣の男の出現を察知できていなかったことが見て取れた。


「確かに、ウチは少人数でやってきているが一度潰れた看板を間借りしてるような連中には言われたくないな」


「そうかい。……おっと失礼。私が七人神楽の無限虚数なかぎりうろかずだ。それで、何の用かな、『病蜘蛛』」


「いや? ちょっとお前がやたらと仇花無花果あだはないちじくのことを隠したがるから、気になってね」


 表情は変わらなかった。しかし、無限なかぎりは何かごまかすように、無精髭を撫ぜ、眼鏡の位置を修正した。そして視線を窓の外へ逸らす。


「当然だろう、我々の研究の核だ。そうそう漏らしていい話ではない」


「ふぅん。……悪いけど不破、今日のところは引き下がろう」


 少し、意外だった。病蜘蛛のこれまでの行動や性格からして、この場で争いになるかと覚悟をしていたが。


「なんだよ、ボクだって分別はつくさ。傷つくなぁ」


 くすり、とこちらを振り向いて笑い、また無限なかぎりに向き直る。


「騒がせたねぇ、『身喰らう蛇ウロボロス』」


 『病蜘蛛』は踵を返し、固まった無限なかぎりを無視して出て行ってしまった。固まっているのは不破も同じで、少し気まずさを感じる。と、いうよりも


「何のために来たんだ、これ」


「それは私の台詞じゃないかね」


 何も言えなかった。


 




 


 


 




 

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