第3話 針が交わる

 「ささ、行こうか。『血より朱い赫ペイン・レッド』。ボクは上から君たちに協力するように言われてるんだ。君たちの方針に従わなきゃぁねぇ」


 楽しげに笑って、彼女は肩を妙に強い力で押した。近くで見ると、不破よりもやや背が高いことがわかる。それでも特に鍛えられているようには見えない。もしかするとそういう能力を持っているのかもしれない。


「行った行った。私は忙しいんだ。あとは若い二人で何とかしてくれ」


 ひらひらと、適当に、面倒そうに手が振られた。


「急かすな、後、街中でコードネームで呼ぶなよ。それくらいはわかってくれているとは思うが」


 半分は嘘だった。彼ら勝利者の剣ブレード・オブ・ジャスティス組合ギルドでも最も戦闘に特化、むしろ純化した組織だ。戦って勝つことこそが目的であり、存在意義であると言い切る彼らは、時に戦うためなら手段も目的さえも選ばないことがある。


「え? あー、んー。了解、不破クン。でもさぁ、ボクはどうすんの? ボクに名前なんかないわけなんだけど」


 困ったように、あいまいに笑んで見せ頭を所在なさげに掻いた。自分の中で整理するように、言葉を選ぶように。


「お前とかそんなんで問題ないとは思うけどね。その辺は任せるよ」


「……わかった」


 思うところがないわけでもなかった。考えることがないわけでも、なかった。踏み込むべきではないことだというのは、彼女が初めて笑みを崩したことで気づくことはできた。


「とりあえず、他の連中にはもう会ったのか? つってもウチの適合者ボーダーはあと2人しかいないが」


「パンクファッションの子とは会ったよ。『反響する残響音エコー・エコー』だったっけ?」


「あいつに関しては、名前で呼んでやれ。すぐに拗ねるんだ」


 自分の名前に拘りというか、誇りを持っているらしかった。猟友会ハンティング・トループのメンバーは大なり小なり自分の名前に縋っている部分がある。


「……善処はするよ。で、もう一人は?」


 エレベーターを呼ぶ。顔を合わせていないなら、顔を出しておいた方がいいだろう。病院やまいいんに聞いておきたいことがあるという理由もある。


「じゃぁ、今から会っておくか。確かあいつは七人神楽の医療班にいた時期があったはずだ。何か聞けるかもしれない。まぁ、会長が何も言わない以上何か聞けるとは思わないけどな」


 エレベーターで一階へ向かう。病院やまいいんがいるのは調剤薬局に偽装された一室だ。扉の前からすでに薬品のにおいが漂っていたが、扉を開けるとやはりそれは強くなる。その中で、病人のような青白い肌の少女がカウンターの奥に礼儀正しく座っていた。


「不破君、おかえり。またお仕事なんだってね」


 声もまた、細く頼りない、穏やかなものだった。生気のない黒い瞳といい、死人のようにさえ映ることがある。彼女の着ている使い込まれた白衣よりも顔色が悪いかもしれなかった。


「そちらは?」


「『病蜘蛛』だよ、短い間だけどよろしく」


 病院やまいいんへ差し出された『病蜘蛛』の手は細くしなやかで、指は節足動物のように細く長い。その指すべてに飾り気のない銀のリングが嵌められていた。


「『故人病棟エリクシル』、病院やまいいん玖珠理くすり。よろしく」


 差し出された手を、病院やまいいんは握ろうとはしなかった。気を悪くした様子もなく、『病蜘蛛』は手を引いて視線を不破に向ける。


「わかった、話を進めよう。病院やまいいん、今度の任務は七人神楽の無限虚数なかぎりうろかずからなんだが、お前、彼について何か知っていることはあるか?」


 ただでさえ青白く、生気を感じない顔に影が差した。今までは踏み込むことを避けていた話題だったが、やはりとしか表現できない反応だ。


「……博士のことを語る立場に、私はないかな。向こうでも私の名前は出さない方がいいよ。拗れるか、とにかく碌なことにはならないと思う」


「それはそれで楽しそうだねぇ。彼らと喧嘩するのも、興味はあるよ」


「大体、お前の考えはわかってきた。黙って聞いてろ、『病蜘蛛』」


 声を殺して笑い『病蜘蛛』は一歩下がった。これからこいつと二人で事に当たると思うと、気が滅入る。


「……一つだけ。彼の研究について、知っていることは?」


楽園計画プロジェクト:エデンのほんの一端。人の命とはどこからきてどこへ行くのか、命とはどこに宿るのか、命とは魂なのか。そういう研究でした」


 遠くを見つめるように、昔日の残照を、懐かしむように、きっと今の彼女は、過去のいつかにいるのだ。


「それで不死の適合者ボーダーか、それだけ聞けただけでも収穫と思うしかないな」


 肝心な部分は聞けそうになかった。今に戻ってきた彼女の目に、明確な拒絶の意思が灯っていた。聞きたいことは山ほどある、けれど言わせたいことがあるわけではなかった。


「行くぞ、『病蜘蛛』。ここでは埒があきそうにない」


「ふふ、了解。なら思う存分に埒を開けに行こうじゃないか。それじゃぁね、『故人病棟エリクシル』」


 扉を開く。外の新鮮な空気が流れ込んできた。『病蜘蛛』が振り返り、その名に恥じぬ、病んだ笑顔を病院やまいいんに向ける。


「『個人病棟エリクサー』じゃ、なくなったんだねぇ」


「……人違いでは?」


「そっか、ごめんねぇ。コードネームしか覚えられない質だからね。ほら、行こう、不破」


 ちらり、と病院やまいいんに視線を向ける。彼女の表情に変わったところはない。表面上は。


「ああ。騒がしくして悪かったな。また」


「うん、また」


 世の中には、知るべきでないことと、知りたくないことが多すぎる。それでもきっと、そのどちらも知らなければならないことだった。少なくとも彼にとっては。今更の話ではあったけれど

 






 

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