第4話 レイラスに贈り物をもらう

「拾ったんだ、たまたま」

 後日、レイラスが不機嫌な顔で、学寮の部屋に戻る私を呼び留め、厳重に包装された小箱を押し付けてきた。

 箱の中には綿が詰められ、何かとても壊れやすいものを守っているふうだった。

「なんなんだ、これは……?」

 綿にくるまれていたものを、慎重に取り出すと、それは卵だった。

 厳密には卵の殻だ。

 見たこともないような大きな卵だが、どうも本物らしい。手のひらにずしりと重く感じるそれは、金銀のはくと宝石と、エナメル装飾とで飾られており、ひいらぎをくわえた白鳥と、立派な枝角をいただいた牡鹿おじかが、精密に描かれていた。

 あまりに凝った装飾なので、美術品かと思ったが、卵の真ん中より少し上あたりに水平に切断面があり、そこに黄金のスプーンが突き刺さっていた。

 これは何かの入れ物だ。

「塩を入れるんだよ」

 不味いものでも噛んだような顔つきで、レイラスは教えた。

「塩?」

「塩だよ。岩塩。おたくの特産のさ」

 卵の塩入れ。

 私はそっと、卵の上部を引き上げて、蓋をとってみたが、中には塩は入っておらず、空っぽだった。ただ、植物の葉の意匠になっている金色のスプーンが入っているだけだ。

 何でもないが、美しい品だ。

「それで……これが、何だと言うんだ、君は」

「やるよ。見つけたから」

 横目に卵を見るレイラスは、決まり悪そうだった。

「骨董屋に、あったんだ。もしかして、あったりして、と思って、たわむれで探させたら、あったんだ。本当に」

 話しながら、レイラスは辺りをはばかっているような、きょろきょろとした目つきだった。

 場所は学寮の階段だ。最上階へ続く階段を上るのは、そこにある唯一の部屋に行く用事のある者だけだった。つまり、私だ。

 他に誰がここを通るというのか。

 時々やってくるマイオスか、めったに来ないフォルデスくらいのものだ。使用人は、別の階段を通るのだから。

「裏に日付が入ってる」

 レイラスが指差して言うので、私はスプーンが落ちないように気を配りながら、ひっくり返して卵の底を見た。

 金の文字で、確かに日付が入っていた。

「同じだろ。料理の本に書いてあった、洗礼式の日取りと」

 そうだったろうか。

 私は記憶の中のページをめくったが、それについての記憶はなかった。そんなもの、どこに書いてあったのか。

「気付いてなかったの? 三日三晩も寝ないでいのししを煮るくせに、鈍いんだな、あんた。巻末に、作った日付の一覧があったよ。たぶんそれが洗礼式の日なんだ。あんたの父親の年齢と計算も合う」

「いつ見たんだ、そんなの。君は、あの本を一度手にとって、ぱらぱら眺めただけだったろう」

 驚いて、私はレイラスの顔を見た。

 別に彼を疑うつもりはなかったが、レイラスが本に触れたのは、本当にたったの一度きりだった。

「そんなもん、ちらっと見たら憶えるさ」

 確かにレイラスは記憶力がいい。特に数字には抜群に強い。

 彼はそれを当たり前の能力だと思っているらしい。黒エルフではそうなのだろうか。

 だとしたら、恐ろしい敵と言えるが。

「同じだよ。その卵の日付とさ、あんたの父親の洗礼式の日取りは。記念品のお土産として、山程作ったガラクタなのかもしれないけどさ。それにしちゃあ、豪華だし。継承者と、その婚約者の紋章も入ってる」

 牡鹿は継承者をあらわし、白鳥はその妻をあらわす。これは伝統的な決まり事だ。

「このど田舎で、どういう仕来しきたりかは知らないけど、僕の故郷では、紋章入りの品物は、大量に作ってばら撒いたりはしない。贋作がんさくでなければ、これは本物だよ。第一、女をさらって廃嫡されるような奴の洗礼式のゆかりの品を、わざわざ偽造しようなんて馬鹿がいるわけないよね」

 歯に衣着せぬ物言いのレイラスがいっそ爽やかで、私は苦々しい顔でぶつぶつ話している彼の美貌に、思わず吹き出していた。

「なんだよ。なに笑ってるんだよ」

「いや……済まない。君は、これが本物だと思うということだな」

 卵の蓋を元通り伏せて、私はそれを眺めた。

 卵は、創生神話にも登場する意匠モチーフで、神聖なものだ。洗礼式に相応ふさわしい。

「本物かどうかなんて、僕にはどうでもいいよ。ただ……拾ったからさ」

 言葉を選んでいる表情で、レイラスは階段の下から、私を見上げて言った。

 不思議だが、上から見ると、レイラスは普段より可愛げがある。

「塩かけて、食べたってことだよね」

「スープを?」

「うん」

 珍しく素直に、レイラスがうんというので、私は少し驚いた。

「そうかもしれないな」

 卵の入れ物は、ずいぶん大きい。これだけの塩があれば、大勢の者が、スープの調味をできるだろう。宝石で飾られた卵の器から、黄金のスプーンで振る塩は、ただの調味というには儀式めいている。

 どのような光景だったのだろう。父の洗礼式は。

 この部族領に来て日の浅い私には、想像がつかなかった。

「聞けばいいと思うよ」

 短刀を突きつけるように、レイラスは私に言った。

「知りたきゃ聞けばいいよ。山エルフなんか、学院にはいくらでもいるじゃないか。皆が、あんたに親切じゃないのは分かるけど、知りたきゃ聞けばいいと思うよ。父親のことや、部族の仕来しきたりなんかは。聞けば済むことだ。知らないのは、別に恥じゃない」

 言いにくそうに言うレイラスの話は、正論だった。

「君もたまには、真っ当なことを言うんだな」

 私は褒めたつもりだったが、レイラスは盛大にむっとしていた。

「可愛げないな……」

「君ほどの者に可愛げのなさを認められるとはね」

 苦笑して、私は答えた。

「レイラス、ありがとう」

 私が感謝すると、レイラスは心底ぞっとしたような顔をした。

「よせよ、頭に虫でも湧いたの?」

 レイラスは本当に身震いして言った。

「やるよ、それ。塩でも入れて使って」

 手を振って、レイラスは階段を降り始めた。どこか、そそくさと逃げるような様子だった。

「受け取れない、高価な品だろう」

 世俗のことに不慣れな私でも、それくらいの事は分かるつもりだ。

 しかしレイラスは否定するように、ひらひらと手を振った。

「気にしないで。貧乏な山の部族では、お宝級の品物なんだろうけど、そんなもん、うちの部族じゃ、鳥の餌入れぐらいにしかならないよ」

 偉そうに言うレイラスの白い顔が、古びた学寮の階段を背景に、幻想的なものに見えた。

「共食いみたいじゃないか、それだと」

 鳥の卵に鳥の餌をいれるんだから。私は単純にそう思っただけだったが、レイラスはもっと深い揶揄と受け取ったようで、にやりと笑った。

「そうだよね。共食いする部族なんだ、僕は」

「レイラス、そういう意味じゃない」

 慌てて私が階段を降りて、去ろうとするレイラスの痩せた背中に声をかけると、彼は振り向き、さっきとは違うふうな、意地の悪いにやにや笑いを浮かべていた。

「気にしてないよ全然」

「レイラス」

「汝許されり」

 ひらひらと手を振るレイラスの姿が、踊り場を走り、階下に消えていった。

 私は、大きな卵の塩入れを小脇に抱えたまま、それを見送った。

 これまでの生涯、私は天使として、多くの者の罪を許してきたが、自分が許されたのは、おそらく、この時が初めてだった。

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