第1話
一
二年前の初秋。まだまだ残暑も厳しい頃だった。
幼い頃に母親を亡くし、今まで男手一つで姉妹を育て上げた父親が再婚を決めた。
母を亡くして十七年が経っていた。
自分達を育てる為に人生を投げ、再婚もせずに頑張った父。
二人共成人していた事もあり、反対の声なんてあがりっこなかった。
父に、『再婚相手を紹介する』との名目で、海辺に建つ高層ホテルの最上階レストランに招待された。
ここはデートスポットとして、何度も取り上げられた有名店で、なかなか予約も取れないと言うのに、それから察して父親が相当張り切っているのが手に取る様に伺えた。
十九時。
待ち合わせ丁度に姉妹はレストランに入る。
父と、まだ見ぬ婚約者は昼間デートを楽しんでいた。
案内されたテーブルの先には、既に、父親達の姿があった。
「こちらが、仁美さんだよ。仁美さん。娘の沙世と美穂です。二人共あいさつしなさい」
いくらか緊張した様子で、いつもより若干強張りながら紹介した。
「長女の沙世です」
「次女の美穂です」
「小林仁美です。よろしくね」
緊張した二人とは違い、ふんわりとした笑顔を浮かべ、仁美は頭を下げる。
印象はおっとりお嬢様だった。父親の再婚相手だ、四十は越えているだろうに、あの年代の一種独特の妙にケバケバしい、若作りをした化粧ではない。
むしろ、清潔感溢れる上品なメイクに、肩までのセミロングの髪を綺麗にセットしている。
白と黒で薔薇の模様が描かれたワンピースドレスは、仁美によく似合っていた。
中年太りなのか、ややふっくらした印象だが、それが妙に女をエロチックにしていた。
食事の最中も、些細な話をコロコロと笑い、若い二人に話を合わせてくれ、姉妹は仁美にとても好感を持った。
二
「父さん。私達、再婚に賛成よ。父さんの選んだ人だから、最初から反対するつもりもなかったけれど、応援するわ」
自宅のリビングで朝食を取る父親に沙世は言った。
「そうか。ありがとうな。それより、昨日何かまずい事してなかったか?緊張しすぎて半分覚えてないんだ」
新聞で顔を隠し、照れた様に笑う父親は、初恋をした少年の様にも見えた。
「大丈夫だよ!それとね、もう一つ話があるんだ。ね!お姉ちゃん」
美穂が沙世の顔を覗き込む。
意を決した様に沙世が切り出した。
「実はね…」
「ん、なんだ?」
父親が新聞から顔を上げる。
「私達ね、独立しようと思うの。私も美穂も仕事は安定してきたし、丁度いい機会かな…と思って…」
そこまで言うと、美穂が口を挟んだ。
「父さんも仁美さんと新婚さんしたいでしょ?」
父親はまんざらでもなさそうな顔をしている。
「お前達はそれでいいのか?もう二人共一人前なんだ。自分で決めた事ならば父さんは反対しないよ」
そう言うと、父親は少し寂しそうな顔をした。
三
それから話はトントン拍子に進み、ひと月後には二人共新居へと移っていた。
二人がいなくなり、来週には仁美が越して来る。束の間のガランとした貴嶋家で、父は何かを振り返る様に眺めた。
――もう独立する様な年になったんだなぁ。あれから十七年か…。なんだかあっという間だな。すまないなぁ英子。僕は再婚させてもらうよ。許してくれ――
亡くなった妻に許しを請うと、リビングボードに飾ってあった写真をしまった。
日曜日、仁美は旅行鞄四つ分の荷物でやって来た。
持ってきた物は、服と化粧品だけだった。それも、父親と交際が始まってから購入した物ばかりだった。これが仁美の全ての荷物だ。
「他に必要な物は、あなたとの思い出だけにしたいの」
そう言って白い歯を覗かせた。
四
父親と仁美が籍を入れたのは、その年の、赤い紅葉も枯れ落ちた十一月の終わりだった。
世の中は冬に向け支度を始め、せっかちなデパートではクリスマスの準備に忙しなく動いていた。
囁かな結婚パーティーの為に姉妹は貴嶋家を訪れた。
たった数カ月なのに、見慣れた我が家は全く違う表情を見せていた。
あんなに綺麗に手入れをされていた庭木は抜かれ、青々とした芝生も掘り返されていた。
美穂は庭の隅に目をやると、姉を呼び止めた。
「お姉ちゃん。ジョンのお墓もぐちゃぐちゃだよ。」
ジョンは貴嶋家で飼われていた雄の柴犬で、二人だけでは寂しかろうと父親が知人から貰ってきた犬だった。
人懐っこい犬で、貴嶋家の三番目のアイドルだった。
五年前に、何者かに毒を盛った餌を食べさせられ、死んでしまった。
結局犯人は捕まらず、泣き寝入りをしたのだった。
玄関を開け、また愕然とした。
以前の面影が殆ど無いのだ。
玄関脇の靴箱、フロアマットから壁紙まで、全く違うのだ。
ダイニングに行っても、母との少ない思い出のダイニングテーブルもリビングソファーも何もかも違う。
溜まらず、美穂が口を開いた。
「父さんどうして!?母さんとの思い出の物が何もなくなっちゃったじゃない!テーブルは?リビングボードは?母さんの写真は?それに、ジョンのお墓だって…」
「美穂ちゃん、沙世ちゃんごめんなさいね。私が何も知らずにっ…」
興奮する美穂の言葉を遮り、仁美が土下座した。
「仁美さん、何があったかわからないけど顔を上げて下さい」
沙世は仁美に顔を上げさせ、話を聞くと、思い出の品とは知らずに新調してしまったのだと言う。
庭も、春になったら家庭菜園にするつもりで掘り返し、知らずにお墓を潰してしまったのだ。
「二人共すまなかった。僕がちゃんと説明しなかったのが悪かったんだ。仁美に悪気は無かったんだ。わかってくれるね」
その日は、とてもパーティーなんてできる雰囲気ではなく、また後日と言う事にして、興奮する美穂を連れて帰った。
あの家は、同じ貴嶋家でありながら、全く違う家になってしまった。
もう、気の落ち着く実家ではなくなってしまった。
約束の『後日』は二年経った今でも実現していない。
憎しみの果て 夏雨裕也 @summerrain
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