【5】
陽が地平線に沈み始め、日没を告げる教会の鐘の音が街中に高らかに響き渡るころ、セーラは無事に我が家に帰りつくことができた。
「ただいま」
「おかえり。セーラ」
エプロン姿のインテグラ女史は、両手に大きな皿を持った状態で娘を迎える。
「わぁ、すごい……どうしたの? このご馳走?」
普段では絶対にお目にかかれない豪華な料理が、彩り鮮やかな食器に綺麗に盛り付けられてダイニングの食卓の上に所狭しと並んでいた。
「どう? ママが腕によりをかけて作ったのよ。まぁ、あの料理本のレシピをそのまま再現してみただけなんだけどね」
今日は、誰かの誕生日ということはないし、だからといって、今日のお使いのご褒美にしては手が込みすぎている。何よりどう考えても二人で食べきれる量ではないのだ。
となると、セーラが導き出せる答えはただ一つだった。
「もしかして、これから誰かお客さんがくるの?」
「まぁ、そういうことになるわね」
インテグラ女史が思わせぶりにそう頷いたとき、ドンドンと玄関の扉をノックする音がした。
「ほら、来たみたいね。セーラ、お客さんをお出迎えしてあげて」
「う、うん」
今日セーラがクロト城に届けた手紙は、誰かを家に招くための招待状だったのだろうか。
でも、それがもしセーラの知らない人だったとしたら、今扉の向こうにいる人物もセーラが知らないその人ということになる。
幼いころから人見知り癖があるセーラは、ちょっとおどおどしながら玄関に向かう。
(どうかセーラの知っている人でありますように……)
心の中で三回もそう呟いてから目を瞑ったまま、玄関の扉を開く。
セーラがそっと目を開くとそこに立っていたのは、緑色の長い髪をサイドテールに結わえた王国騎士の少女だった。
「あ、あれ? ママが言ってたお客さんって、イシュタルちゃんだったの?」
セーラは、見慣れた王国騎士を前に安堵の息を吐く。
「セーラ、残念だけどそれは違うわ。ワタシは王国騎士としてセーラのママが招待したスペシャルな客人(ゲスト)を警護するために、ここまでやってきたのよ」
そう言うが早いか、イシュタルのお腹が大きな音を立てて鳴り響く。
「お行儀が悪いですよ、イシュタル将軍。私の警護とは名ばかりで、やはりそういうことだったのですね。確かにインテグラ女史の招待状には『ささやかな夕餉を用意してお待ちしています』と書かれていましたけどね」
イシュタルの後ろに待機していた長身痩躯の青年が前に歩み出ると、彼女を軽く窘める。
今の季節には少し不釣り合いなモスグリーンの厚手のジャケットを身に着けたこの青年が、イシュタルのいう『スペシャルな客人』なのだろう。
「あ、あはは~。バレてましたか」
イシュタルは愛想笑いをして、その場を誤魔化そうとする。
「こんばんはセーラさん、お久しぶりですね。本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございます」
青年はセーラの姿を見ると深々と一礼し、柔らかい笑みを浮かべる。
ウエーブのかかった美しい金髪に、目鼻立ちの整った気品のある顔立ち――思わずセーラはその青年に目を奪われてしまう。相手の様子からすると、この青年は以前セーラと何処で会ったことがあるようだが、セーラにはそれが何処なのか思い出せない。記憶の糸をなんとか手繰ろうとしていると、その青年は続けて口を開く。
「おや? 私のことをお忘れですか? では改めて自己紹介をさせていただきましょう。私の名前はアルフレッド・モイライ。こう見えてもこの王国の王子を務めさせていただいております。いや、正確には…無理矢理やらされているのですけどね。」
「お……おおお……王子さまッ!?」
王子を名乗る青年の挨拶で、縺れていたセーラの記憶の糸は一本に繋がる。
「あ……あの……セ、セ、セ、セ、セーラ、セーラの名前はセーラです。は、はじめましてじゃないけど、はじめましてです」
直立不動のまま、池の中で餌をねだる鯉のように口をぱくぱくさせて喋るセーラを見て、イシュタルが思わず吹き出す。
「セーラのママと王子が仲いいってのは前から知ってたけど、まさか二人が知り合いだったなんてね。全くセーラも隅におけないねぇ」
「えっと…えっと……マ、ママー!! 王子さまが……王子さまが!!」
王子の突然の訪問に気が動転したセーラは、まるで魔物から逃げるように慌てふためきながら家の中に駆け込んでしまう。
「本日は、このような素敵な会にお招きいただきありがとうございます。久しぶりにインテグラ女史と歓談できることをとても楽しみにしていますし、セーラさんとも再びお会いすることができて、とても光栄です」
こうして、アルフレッド・モイライ王子を主賓に迎えた、インテグラ女史主催のささやかな晩餐会は開始された。
もちろん、王子の警護と称して一緒について来たイシュタルもこの会に参加することになり、招待状を無事に王子に届けた功労者の一人である従者のフリューもセーラの隣に席を与えられ、そこにちょこんと座っている。
「まぁ、今夜はお城でなんか退屈な行事があったみたいですけど、こっちの方が絶対楽しいですよね。さすが王子、賢明なご判断です」
イシュタルは軽口を叩きながら、傍にあった白身魚のムニエルを口一杯に頬張る。
「そうですねぇ。本来はあちらの会にも出席しなくてはならないのですが、ほかならぬインテグラ女史のお誘いですから、私はこちらを優先しました。まぁ、あとから父上にたっぷり油を絞られるかもしれませんがね」
この後、城に帰ってからのことを想像しながら王子は苦笑いを浮かべる。
みんなが憧れる晩餐会も王子にとっては、とても退屈な行事なのだろう。
そのことを察して今日という日をわざわざ選んで招待状を送ったインテグラ女史は、少しおどけた口調でこう答える。
「それは、それは……偶然にもクロトの城で執り行われる大切な行事と日程が重なってしまい大変申し訳ありませんでした。今後、このようなことがないように十分注意いたします」
みんなで一頻り談笑したあと、セーラが床につく時間も近づいてきたということで、ささやかな晩餐会はお開きとなった。
インテグラ女史とイシュタルは食器類の後片付けのためキッチンへ下がる。
セーラは、王子のために食後の紅茶を淹れてあげていた。
「ど、どうぞ。粗茶ですが」
「ありがとうございます、セーラさん。そして本日はとても楽しい時間をありがとうございました」
「あっ……はいっ! セーラもとっても楽しかった……です」
「ところで、セーラさんはワタシのことがお気に召さないのですか?」
「えっ!?」
突然の王子の発言にセーラは危うく手に持っていたティーポットを落としてしまいそうになる。
「そのなんというか、今日もセーラさんとはあまりお話ができなかったですよね……」
王子は唇を強く引き結ぶと、表情を曇らせる。
確かにセーラは王子の正面の席に座っていたのに、王子とはあまり言葉を交わすことはできないでいた。しかし、初対面ではないにしても何年かぶりに会った、しかも王子様という特別な身分の男性と気兼ねなく会話をするというのは、セーラにとっては余りにハードルが高すぎる。
「えええっ!? そそそ……そんなことありません!」
セーラの震えるような大きな声にびっくりしたフリューは、バタバタと羽撃きセーラの頭上を旋回するように飛び回る。
「王子さま、ごめんなさい。セーラ、王子さまの前だとなんだか緊張して……緊張してうまくしゃべれないんです……でも嫌いとかそんなことは絶対にありません!」
セーラは、まるで火がついたように顔を真っ赤にしながら正直に自分の気持ちを吐露する。
「そうですか、それなら一安心です。私の思い過ごしだったようですね。でも、それはきっと私のことを『王子』と思うからですよ。」
王子は悪戯っぽく笑ってみせると、そのまま言葉を続ける。
「例えばあのイシュタルは、『王国騎士』です。普通の人なら彼女に気軽に話し掛けるというわけにはいかないでしょう。でもセーラさんは緊張しないでお話しすることができる。それはどうしてでしょう?」
「そ、それは……」
王国騎士といえば人々が畏敬の念を抱く職業であり、気安く話しかけられるような相手ではない。しかし、セーラは今まで一度だってそんなことを気にしたことはなかった。
「そうです、イシュタルはセーラさんの『お友達』だからです。ですからこうしましょう。私もあのイシュタルと同じようにセーラさんのお友達にしてください。どうですか?」
そう提案すると王子は、手元にあったカップを手にして、紅茶を一口含む。
「は、はい。セーラも王子さまとお友達になりたいと思っていました。よろしくお願いします。そ、それから……あのときは迷子だったセーラを助けてくれて本当にありがとうございました。セーラはとってもうれしかった……です」
王子の申し出にセーラはこれ以上ないというくらいに晴れやかな表情を浮かべる。
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